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3章 意図せぬ負の遺産 第9話 和やかな時間の中で
その日、祐ちゃんは夜まで一緒にいると言ってくれた。昨日の今日ではあるが、また梨本が来るかも知れないからだ。
守梨が最初に対応したのは昨日の昼過ぎだったが、平日の出勤している時間帯にも来ていた可能性だってあった。今日は日曜日。在宅を見越される恐れがある。
そう思うと、祐ちゃんがいてくれるのは安心する。お家でゆっくりしている方が休まるだろうに、守梨を気遣ってくれるのだから、お礼に今日の晩ごはんは守梨がご馳走することにしよう。どこに行こうか。お料理下手なので、作る選択肢は最初から無いのである。
守梨と祐ちゃんはリビングでテレビゲームに勤しむ。最近はお勉強をすることが多かったので、こういう娯楽は久しぶりだ。気分転換にもちょうど良い。
最近ゲームを新調していないので、ゲーム機も含めて旧式のものである。それでもまだまだ動いてくれる。
ふたりで楽しめるゲームとしてセレクトしたのはすごろくゲームである。さいころを振り、駒を進め、止まったところにある指示に従うシンプルなものである。
だがその内容で億万長者になったり一文無しになったり、アイドルになったりサッカー選手になったりする。架空のこととはいえ、なかなか心踊るのである。
「あ、私結婚するわ。ご祝儀1,000万えーん」
「高っか!」
そんなささやかな喜びで和みながら、ほのぼのとゲームを進めて行った。
ひとりでいると、また鬱々と考え込んだりしてしまっていただろう。ガラスの件は解決せず、昨日はあんなことまであった。両親の逝去から、自分では処理できないことが立て続けに起こっている。
こんなことに心を揺り動かされている余裕なんて無い。セミナーが続いていて、飲食店経営のノウハウだって勉強中だし、給仕の修行だってまだまだこれからだ。ワインのことだってレシピのことだって、完璧に頭に入れたい。両親がこの世にいられるまでに、できる限り成長していたいのだ。
ドミグラスソースも、ようやく祐ちゃんのお陰で取り戻せるだろうところまで漕ぎ着けた。もうすぐ。だがまだまだこれからなのである。
「うわ、俺、会社倒産したんやけど」
「あちゃあ、大変やん」
そんな軽口を叩きながら、ゲームを進める。祐ちゃんがいてくれて、本当に良かった。いなかったら両親の存在にも気付けなかったし、こうして「テリア」を再開させようとは思えなかっただろう。今も不安に怯える守梨のそばにいてくれる。
祐ちゃんの恋人に、奥さんになる人は幸せやろうな。
そんなことを思った時、インターフォンが鳴り響く。守梨はびくりと顔を強張らせた。祐ちゃんもそんな守梨を見てか、コントローラーを掴んでいた手を止めた。
「守梨」
「……分からんけど、梨本さんやったらどうしよう」
またわけも分からず慰謝料だの何だの言われるのだろうか。凄まれて、脅されて。昨日は確かに梨本の顔をまともに見ることはできなかった。それでも合った目のどろりとした気持ち悪さは覚えている。
「俺が出よか?」
「ううん、私が出る」
そうだ、直接会う前に、インターフォンでできる限り聞くことができたら。顔を見なければ、守梨でも少しは話ができるのでは無いか。聞いてもらえるかどうかは分からないが。
守梨は意を決してインターフォンに出る。心臓がどきどきする。嫌な汗が額に滲んだ。
「……はい。どちらさまですか」
硬い声になってしまった。だが流れて来た声を聞き、守梨は力が抜けた。
「こんにちは。榊原です」
「さ、榊原さん……!」
守梨は心の底から安堵し、大きく息を吐いた。
「はい。榊原です。どうかしはりました? まさか梨本が」
榊原さんの声に緊張が走る。守梨は慌てて「い、いいえ」と首を振る。
「すぐに行きますね。お待ちください」
インターフォンを切ると、祐ちゃんが「俺も行くわ」と立ち上がった。連なって榊原さんを迎えると、祐ちゃんを見てほっとした様に表情を緩ませた。
「こんにちは。不躾ですけど、彼氏さんですか?」
「いいえ、幼馴染みなんです」
「こんにちは。原口と言います」
祐ちゃんが頭を下げると「こちらこそ」と榊原さんが応える。
「ああ、でも良かったですわ。一緒におってくれる人がおって」
「榊原さん、心配してくれはったんですか?」
「そりゃあね。今日も仕事お休みでしょう。そんな日を狙って来てもおかしないですからね。ほんまは丸山も連れて来たかったんですけど、今日は俺らも休みで」
「え、そんな時にわざわざ」
守梨が驚いて恐縮すると、榊原さんは「いえいえ」と笑顔で手を振る。
「俺が勝手にしたことです。でも原口くんがいてくれはるんやったら、安心ですね」
「はい。お陰さまで」
すると祐ちゃんが「あの」と声を上げる。
「榊原さんって「テリア」の常連さんやったんですよね」
「そうですよ」
すると祐ちゃんが考え込む様に目を伏せる。そして。
「守梨、これから厨房使わせてもろてもええか?」
「うん、もちろんええよ」
お昼ごはんは済ませているし、晩ごはんには早い。不思議に思いつつも守梨が快諾すると、その視線が榊原さんに向いた。
「榊原さん、これからお時間ありますか?」
「ありますよ」
「ほな、これから俺が作る料理、食べてみてもらえませんか?」
「原口くんの料理?」
榊原さんが首を傾げると、祐ちゃんは「はい」と少し緊張の面持ちで頷く。
「俺、今、おやっさん、春日さんの、ここのオーナーシェフのレシピを見ながら練習してるんです。同じ材料は使えませんし、技術はまだまだ拙いですけど、食べてみてもらえませんか?」
祐ちゃんの熱心な懇願に、榊原さんは「へぇ」と興味深げに目を輝かす。
「そら嬉しいですねぇ。でもこちらこそええんですか?」
「もちろんです。晩ごはんには影響出んぐらいの量にしますんで」
「それは気にせんでください。あ、それやったらうちの奥さんも呼んでええですか? 奥さんも「テリア」のファンで。もちろんお金、材料費とかは払いますんで」
「いえ、こちらが無理言うて食べてもらうんですから、こちらで持ちます」
「いやいや、とんでも無い。ええもん食べさせてもらうんですから」
そんな応酬が続く。ふたりの様子を見ながら、守梨は思い出していた。
「榊原は中身おばちゃんですから」
そんな丸山さんのせりふに、なるほどなぁと何となく納得してしまったのだった。
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