開闢相伝

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~雪兎~ 物心がついた頃には、袴姿で、父親の祝詞を聞いていた 護り人と、開闢継承後の隠逸花のみに見える護り人の証 それぞれの家の色を瞳に宿していること 俺は5歳の誕生日を待たずに、瞳に白を宿し、護り人となるべく人間として認定された 護り人の家系に生まれたからと言って、全ての人が護り人になれるわけではない 護り人になると決まった人間は、多くの知識を吸収し、必要な技術も会得しなければならない すぐに俺の修行は始まった 俺が7歳の時妹が生まれた 妹は柊佳(とうか)と名付けられた 7歳の頃には、基礎的な神事に関する事は大体教え込まれ、夏も冬も関係なく毎日の基礎体力維持、その他諸々の技術を教えられた 辛くないと言えば嘘だった でも、そんなもんなんだと思ってた 俺にとっては、その世界しか知らなかったからだ 両親に甘えた記憶はほとんどない 甘えられる時間もなかったのかもしれない 学校で過ごす時間が俺にとっての自由な時間だった すでに小難しい漢字で書かれた書物を読んでた俺にとって、授業の内容は聞かなくても分かる程度のもので、学校には遊びに行ってるようなものだった 1日の中で何度か見る柊佳の仕草が可愛いくて、それを見ている母親の穏やかな顔を見るのが、ほっと出来る時間だった 柊佳も3歳になると俺の時と同じように、袴姿で父親の傍に座り祝詞を聞くようになった 10歳になった俺には何でもない事だが、柊佳を見て、冬は凍えるほど寒かった事を思い出す 母親に言うと、柊佳の白衣や袴の中にカイロを入れてくれた 座ってる柊佳の表情が和らいでいてほっとした 良かった 柊佳の為に出来る事があるのなら、俺が頑張ってきた意味がある すっかりおしゃべりになった柊佳は、暇さえあれば俺に纏わりつき、色々話してきた 「お兄ちゃん」 そう呼ばれる事が何より心地好かった 女の子なのを考慮してか、柊佳は俺に比べて、そんなに過酷なスケジュールは組まれなかった 絵本を読んだり、たまに母親と公園に行くこともあった 羨ましさより、ほっとした気持ちの方が大きかった 5歳になっても柊佳の瞳に変化はなかった 徐々に柊佳と居る時間が少なくなっていった 13歳になった俺は、大禮(おおのき)家の護り人として必要とされる最低限の事を譲り受け、通常の神事にも関わる事が多くなっていった 6歳になっても変化がなかった柊佳は、完全に俺とは別の生活サイクルとなった 5歳から10歳で変化が見られると言われているのに、6歳の時点で判断したのは、父の護り人としての勘なのかはわからない けれども、護り人について知る程に、本当に柊佳には、その変化が見られなかったことに感謝した 14歳になった頃、新たな隠逸花が見つかったと知らされた 新しい隠逸花はまだ5歳とのこと 年齢からして、実際に関わりが多くなるのは、父達の世代ではなく俺達の世代になるだろうとのことだ おとぎ話の世界のようだった話が、急に現実味を帯び始めた 小学校に上がった柊佳は楽しそうに過ごしている ただ、その頃から周りの人達の、俺と柊佳への態度の違いに気付き始めた 家柄、俺の家には神職者の出入りが多い その中でも、大禮家所縁の者達の中には、あからさまに柊佳を見て見ぬふりする者、侮蔑的な視線を送る者がいた 柊佳がどこまで気付いているのかわからないし、直接的な関わりがあるわけではないので、そんなごく数人の奴等の事なんて気にしなければいい そう思ってやり過ごしていた 母親が柊佳と同じく、神職とはまるで別の世界の人だったのが幸いだった
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