余韻ある余生

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 気付くと憲一は、見覚えのない街並みの中にいた。飲食店が立ち並び、すれ違った学生風の青年が手にしたカップからは、珈琲の芳醇な香りが漂った。  憲一は慌ててスマートフォンを取り出した。時刻は十一時を回っている。始業時間から三時間もオーバーしている、とんでもない大遅刻だ。急いで電話しなければ、と通話履歴を開く。  するとそこには、七時五十分の時に通話した跡が残っていた。 (そういえば、総務の山瀬さんが出て……仁平くんに、今日の業務を引き継いだっけ……──?)  非常に朧げで、電話をした気もするし、していない気もする。そもそもどうやってここまで来ていたのかも分からないのだ。  地図で見ると、独身の頃、江美子が住んでいた町だと判明した。  昔と随分街並みが変わってしまったが、街路樹と信号機の配置を頼りに少しずつ土地勘が蘇ってくる。  二人でよく行った食堂は、洒落た居酒屋になっていた。夜だったら中の様子も見られただろうに、と少し残念に思う。昔と変わらぬ佇まいで、店員の顔触れが変わった惣菜屋や、名前を変えて軒を拡げたパティスリーなど……──タイムスリップしたような感覚で、憲一は町を歩いた。
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