余韻ある余生

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 高揚して、スマートフォンのファインダーに街並みを収めながら、今度は江美子を連れてこようと憲一は誓う。 「あれ、ここ……」  裏路地に入った途端、表の洒落た雰囲気とは違って雑然とした通りに出た。古着屋やレコードショップ、看板を見ないと何屋か分からない美容室など、雑多な店が並んでいる。電柱の張り紙や落書きが、ごみごみした雰囲気を後押ししていて、長男が言っていた感……という言葉が、憲一の視覚にかちりとハマった。  そんな中、ぽつんと一つだけ空いた店舗に憲一は懐かしさを覚えた。  硝子張りの白く四角いテナントは、江美子が住んでいた頃にもそこにあった。当時もテナント募集中と張り紙がされていて、江美子は通りかかる度に「あたしが借りちゃおっかなぁ」と半ば本気で言っていたものだ。  というのも、江美子は昔から手先が器用で、趣味で人形やぬいぐるみの服を作ってはフリーマーケットに出店していたのだ。いつか自分の店を持てたら……なんて夢を見ているうちに、子育てが始まり、落ち着いた頃には新型感染症のパンデミックで、起業なんて昔以上に非現実的な話になってしまった。  それでも明るい江美子はフリマアプリを利用して、小さな店を持ったつもりで夢を叶えている。 「これから……、まだこれからだっていうのに」  江美子が笑う分、泣き虫になってしまったのか、溢れてくる涙を袖で拭う。滲む視界に、硝子扉に掲げられた「テナント募集中」の文字が燦然と輝いて見えた。 ──テナント募集中。商談はかくりよにて。  かくりよ?  随分と変わった社名だなと思ったところで、憲一の意識はその「かくりよ」へと引き寄せられて消えた──。  
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