余韻ある余生

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 会社を早期退職して憲一が開いたのは、小さな喫茶店、兼雑貨屋だ。テナントの半分が、七人も座れば満席になる喫茶スペースで、もう半分は江美子のハンドメイド雑貨を展示販売するスペースになっている。  ここで珈琲を嗜みながら、丁寧に作られた手作り雑貨を眺めた客は口を揃えて言う。  まるで時を忘れるように居心地のいい店だ、と。  榎木憲一は、「一生のお願い」を使って、「時間を忘れる」店を作った。  この店にいる間、憲一と江美子は時を忘れて過ごすことができる。しかし忘れているだけで、現実の時間は確かに流れていて、当然ながら病の進行を止めることはできない。  そうして時を忘れて一年が過ぎた開店記念日。江美子はカウンターで編み物をしながら、眠りについた。  この一年、久しぶりの夫婦二人だけの生活の中で、派手に喧嘩をすることもあったが、最期は江美子らしい笑顔で安らかに人生の幕を閉じたのだった。  憲一の願いは叶い、これにて契約は満了だ──。
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