余韻ある余生

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 夫婦だから時にいがみ合うこともある。その度にほつれた糸を、破れた布地を繕って、大事に大事に修繕しながら夫婦は時を重ねていくものだ。  しかし憲一は江美子のように器用でない。江美子が繕ってくれるから、いい夫の服を着られていただけだ。  旅行の計画、夢の海外移住──。  子供たちの目のない、夫婦二人だけの残りの人生に、綻びがないとどうして言えようか。  だから憲一は選んだ。病を治した江美子と永く連れ添い、つぎはぎだらけの服を纏う未来よりも、不治の病の妻に寄り添った献身的な夫の経歴を抱え、感傷に浸る余生を。 「あの時は楽しかったよなぁ」  たった一年の穏やかな思い出を繰り返し描いて、憲一は江美子の墓前に花を供えた。  ◆ ◇ ◆ 「……その声も届かない。江美子さんの声が聞こえることもない。まして来世など、ありはしない。神のご加護を手放すとは、そういうこと」  墓地を遠くから見守る女が、ぽつりと呟いた。  白いコートに、ゆるりと巻いた菫色のマフラーが儚げだ。  女は奇しく微笑み、両手に握ったタンブラーに息を吹きかけた。 「今生限りの余生、どうぞ優雅なひとときをお過ごしください」  白い湯気に、ふくよかな香りがくゆる。  一杯の珈琲の余韻を残して、女はその場を後にした。 第二話 終. ーーーーーー ◇クロ〈黒〉 蝶のビジネスパートナー。
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