遠い昔に起きたこと

2/3

21人が本棚に入れています
本棚に追加
/50ページ
 夫が戦地に発って一年、殿は快勝を収めているとの報せが山裾の村々にも伝わって来た。  蝶は夫の無事を祈り、帰りを信じて待った。  それから程なく、敗戦の報せより先に、夫の遺髪が蝶の手に届けられた。それでもまだ信じなかった。夫は必ず帰ってくるのだと、信じ、祈り、二つの年が過ぎた頃──。  戦火は山裾をも焼き払った。 (嗚呼……ついえる)  空に舞うは、桜か蛍火か。いや、火の粉だ。  白い下肢が熱く、びくとも動かないのは、愛しい男が縋り付いて離さないからか。いや、住み慣れた長屋の、焼け落ちた梁に潰されているからだ。 (命が、希みが……)  死屍累々の闇の中、蝶は薄れる意識と狭まる視界の奥に、怪しげな影を見た。  蜘蛛のように長い手足を盛んに動かし、地を這う奇妙な生き物が、闇の中に蠢いている。  ちらちら舞う火の粉が、耳の方まで裂けた口から垂れる、ぬらぬらとした長い舌を照らす。 (異形……土蜘蛛か……)  異形の影は、屍をその長い舌で舐め回しているようだった。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加