無自覚

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無自覚

「ねぇ……聞いてるの!」  酔眼とでもいうのだろうか、少しトロンとした半開きの目で俺を睨みつけて、あずさは言う。  手にしたジョッキを勢いよくテーブルに置いたから、結構大きな音が店内に響く。 「あ……ああ、ちゃんと聞いてるよ。で、彼がどうしたのさ」  酔いが回り歯止めが利かなくなっているあずさをなだめつつ、店内の様子をうかがう。  幸い誰もこの騒動に気が付いていない様子で安堵する。  俺の目の前で本日のデートの不満をぶちまけている女性は、本郷あずさ。  俺と同じくエバーライト株式会社っていう新興ベンチャー企業に勤める24歳。  俺より1つ年下で、同じく新卒で入社したから後輩というわけ。  そして後輩の愚痴を延々と聞かされながら、電車の時間を気にしている俺は常磐拓斗(ときわたくと)。  毎度毎度、可愛い後輩の愚痴に付き合わされて、酒を飲まされる優しい先輩。  まぁ多分、あずさは適当な愚痴り先程度にしか思っていないのだろうけども。    俺はまぁ、変な意味ではなくてこの後輩を結構気に入っている。  それは女性としてとかそういう意味ではないし、彼女の容姿が俺の好みとか言う話でもない。  普段は男勝りで気が強いくせに、その内面にはかなりの乙女なものを持っていたり、仕事はきっちりこなすくせにどこか一カ所、すっぽり抜けているところだったり、猫のように気まぐれでだけど甘えてくるととても可愛いところとか、そういう部分を気に入っている。  よくいうラブじゃなくてライクって感じに近いんじゃないかなと思う。  だからこうして、毎度毎度彼氏への愚痴とか女性としての自信を喪失したって言う話を、嫌な顔一つセズ聞いている訳なのだけど。  でも今回の愚痴と悩みは、いつもとは毛色が違うようだった。   「ねぇ……せんぱぁい。男ってやらせないと……嫌いになるもんなんですかぁ」  酔っているせいで声のトーンが調整できないのか、かなり大きな声でいきなりあずさがそう言った。  俺は思わず飲みかけていたビールを吹き出しそうになり、それを堪えたせいで喉に変な力がかかってむせる。 「ガハッ……ゴホッゴホッ……こら!あずさ、いきなりなんてことを言い出すんだ。しかも大声で」 「だぁってぇ……付き合ってもう2ヶ月なのにキス以上させてくれないなんて俺のこと、好きじゃないのかよって彼氏にキレられたんですよぅ……。男ってそんなんばっかですかぁ」 「ん……マジレスしてほしいの?それともただ聞いてほしいだけ?」 「そうですねぇ……先輩のマジレスって聞いたこと無いかもだし、マジレスで」  そう言いながら、前のめりになり俺の顔を上目遣いで見てくるあずさ。  確かに可愛い顔をしているんだよなこいつ……なんで不謹慎な思いが心をよぎる。 「人による……って前置きだけしておくけども、まぁそりゃあ……好きな相手と仲が深まればそう言うことをしたくなるのが普通じゃないか。まぁ二ヶ月だからとか、期間で考えるのはどうかと思うけども」 「じゃあ……先輩も私とそういうことしてみたいとかぁ?」 「バカタレ。今の話聞いてなかったのか?好きな相手とって言っただろうが」 「え……先輩は私のこと好きじゃないんですか?」  まて……あずさ、潤んだ目で俺を見るんじゃない。  俺はお前の先輩だし、お前は彼氏がいるんだろう。  そもそもそういう感情でお前を見た事なんて無いし、お前だって俺の事は仕事の先輩くらいにしか思ってないだろ。  などと必死に頭の中で考える。  なんとか気持ちを落ち着けようとして、無駄にジョッキを煽る。 「あははは……せんぱぁい、冗談ですよ。先輩が私なんかを意識するはずないって解ってますよ」  俺の動揺した姿を見て、面白かったのだろうかケラケラと明るい声を出して笑いながら、あずさもジョッキを煽る。 「お、ま、え、なぁぁ……」  またいつものように、あずさに揶揄われたのだと理解した俺は、わざと不機嫌そうな顔をしてあずさをにらむ。  だがそこには俺が想像していたようなあずさの顔はなかった。  何処か思い詰めたような、暗い表情のままジョッキに口をつけ、でも中のビールは飲んでいないそんなあずさの姿がそこにはあった。 「なんだよ……またいつものいじりかよ。ホントお前は先輩を先輩と思わない失礼な後輩だよ」  なんとなく場の空気が重い気がして、敢えていつもと同じ軽口を叩いてみる。  だがあずさは曖昧な、微笑を浮かべているだけでその会話に乗っかってこなかった。 「ねぇ……先輩、私ってね可愛いんですよ。モテるんですよ」  あの後、場の空気が元に戻らないままだったので、いつもより早めに切り上げて駅までの道のりを並んで歩いているとあずさが不意に口を開いた。 「知ってるよ。うちの会社でも3本指に入る美人って言われてるよな」 「3本指に入るかどうかは知らないですけどね……まぁそれなりに告白されてますしね」 「羨ましいこって。俺なんか大学卒業して今の会社に入ってからは全くご縁がないって言うのに」 「でもね……告白されて、相手のこと嫌いでもないから付き合った……って、失敗なのかなって考えるんです。別に嫌いじゃない相手、仕事で関わっている間はむしろ好印象を持っていた相手だから、告白されて付き合ったら……楽しいとか幸せとか思えるのかなって思ってたんですけどね。なんだか悩むことばかり……。」 「正解が何かなんて俺には解らないけど……もし俺がお前の立場なら、嫌いじゃないからって理由では付き合わないと思うな。交際するって考えると……嫌いじゃないではなくて、好きだと思う相手じゃないと上手くいかないんじゃないかな。例えば相手との温度差とか、自分がその恋愛にどれだけ前のめりになれるかとかさ」 「そう……ですよね。あのね、先輩。私……今日、先輩に嘘つきました」  会話の途中、突然歩みを止めて俺の方をじっと見たまま、あずさはそう言う。 「嘘?お前が俺に嘘を言うなんて珍しいな」  つられて俺も足を止めて、ゆっくりと振り返り、あずさと正対する。 「ごめんなさい。彼氏の愚痴を聞いてほしいって……嘘です」 「そう……なのか?なんでそんな嘘を」 「そう言わないと、先輩来てくれないと思って。どうしても言いたいことがあったから」  あずさの視線が俺をじっと見つめてくる。  俺は何か言おうと思ったが、今は何かを言うべきじゃないような気がして、敢えて黙ったまま立っていた。 「さっき先輩は言いましたよね。告白されても好きだと思う相手じゃないとダメだって。なら……多分コレは自爆行為だと思うけど……でも、自覚してしまったから。彼氏だった人にも私にも、そして先輩にも嘘をつくことになってしまうから……」  なんとなく予想できた。  だけど俺は口を挟まずに、視線だけで話を促す。 「私……先輩のことが好きなんです。最初は頼れる職場の先輩、一緒に飲むようになってからは相談に乗ってくれる頼れる兄貴分みたいに思っていましたけど……でも、突然自覚してしまったんです。」 「突然自覚って……何が切っ掛けで」 「彼に……いえ、彼だった人に抱きしめられたとき、ホントに一瞬、これが先輩だったらって思ってしまったんです。そうやって自覚してからはもう、好きだって気持ちが溢れてきそうになって。でも先輩は絶対私のことを後輩として島見てないって解ってて……言うべきか迷いました。だけど……言わないで居ることは出来なくて。彼氏と別れて今日の飲み会をセッティングしました」 「そっか……、正直に答えるな」 「はい……覚悟は出来てますから」 「お前の言うとおり、俺はおま……いや、あずさのこと可愛い後輩だって思ってる。恋愛感情は今のところ持っていないと思う。だけどさ……後輩って垣根を取っ払っても、お前と飲むのは楽しいし、お前のことを可愛いとも思うよ。だから今すぐは無理だけど、俺もお前のことちゃんと見るようにするから、答えはその先次第ってことで良いかな」  まっすぐに告げてくれたあずさに、俺も正直に答えた。  あずさは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。 「絶対……後輩としてしか見てないって……いわ、れると……おもってたから……」  グスグスと泣きながら、途切れ途切れにあずさが言う。 「おいおい、まだOKしたわけじゃないんだぞ」 「でも断られても……いないもん」  急に事もみたいな物言いになるあずさを、無意識に可愛いなと思ってしまう。 「おまえ……口調……、なんだ余所の子供みたいな物言い。さてはお前、甘えるの好きだろ」 「わ……悪いですか……先輩には甘えたかったんです、っていうか甘えてました。愚痴を言うとき思いっきり」  開き直ったかのように言うあずさ。  そしてそんなあずさをやはり可愛いと思ってしまう俺。  俺も自覚していなかっただけなのかもしれないなと、内心苦笑する。  予言者でも無い俺だけど、そう遠くない日に、俺は彼女と恋人になっているのだろうなと、不意にそう思ってしまった。  そんな気恥ずかしさを誤魔化すように俺はあずさに言う。 「どうでも良いけど、急げよ。終電に間に合わなくなるぞ」  そう言って歩き始める。  あずさから顔を見られないように、背けながら。  自分でも解る位、顔が熱くなっているから。  
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