灯火には遠く

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──未だ空は暗く耳の痛くなるような静けさばかりが満ちている、薄墨が濁り渦を巻いたような空は今日この後の天気が芳しくないことを暗に示していた。空に向けて掌を翳してみると指の隙間を冷たい風がすり抜けていく。掴もうと指を丸めたが、もちろん手の中には何も残ることはなく、自分の体温が虚しく滲むだけだった。 「──」 さく、さく、と。規則的な足音を立てて雪の積もった地面に浅く足跡を刻む。地肌を覆い隠す新雪は靴底の汚れを擦り付けられ、足の形を象って沈み、つかの間男の存在をこの世界に残している。これも時間が経てば後を追い降り続く雪が掻き消していくのだろう。醜い痕を消して、隠して、陽の下にはその色の痕跡すらも残さない。 白い白い、世界。ひとっこひとり居ない。 雪玉を投げ合う子供も、駆け回る犬も居ない。 みんなみんな、未だ深い夢の中。 「──」 男はただ、宛もなく歩く。振り返ることもなく、自らの存在した証を白に擦って残していく。気付いてくれと期待もしない。気付かないでくれと嘆きもしない。地を覆う雪に息を潜めて紛れる結晶のひとつぶの如く、ただ、そこに居る。そこに居て、意義も意味もなく歩く。 「──」 ──その背は消えゆく夜に溶ける。朝が来れば溶けて無くなる夢幻のように、静かに消える。 残るのは、足跡だけ。 それもいつかは溶けて消える。 男は心の中で独りごつ、 生きた証も同じこと。 遺るのは、抜け殻だけ。 それもいつかは焚べられ消える。 ──……ああ、朝が来る。 全てを陽の下に露わにする、朝が来る。
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