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「スオウ、急に走らない! かあさまはついていけないよ」  春、一斉に咲いた桜が風に花びらを乗せている。ピンク色が舞う宮廷の中の広い庭を走るのは三歳になったばかりの王子だ。  ユズハがお腹を痛めて産んだ、アサギとの愛の結晶だった。 「かあさまは、後で来て! 僕は先に行くから!」  小さな背中が遠のいていく。確かに宮廷の中は安全だろうけれど、スオウが走っていく先には池もあるし、転べば怪我もする。  やはり追いかけなければ、とユズハはスオウの背中を目指して少し歩調を速めた。 「ユズハ、無理をするな。お前の中には姫が居るんだから。スオウは俺が追う」  ハラハラとしていたユズハの肩を掴んで止め、後ろから走って来たのはアサギだ。今日は公務があったから三つ揃いのスーツを着ている。走りにくいその服でも軽やかに走り、スオウをすくい上げる様に抱き上げる。スオウの嬉しそうな、きゃあ、という声が聞こえ、ユズハはほっと息を吐いてから微笑んだ。 「楽しそうだね。この後国王は休暇かな?」  白いシャツに黒のパンツを履き、長い髪を後ろで束ねたいで立ちでユズハの隣に立ったのは、母だった。 「かあさま、今日はお仕事終わりなの?」  かつては、今ユズハが着ているようなひらひらとしたアオザイ風の衣装を身に付け、上品な印象だった母だが、今は少し強い印象を受ける。実際、色々な経験をして強くなっているのだろう。 「いいえ、生徒を迎えに来たんですよ、王妃様」  母が見つめる先にはアサギとスオウがいる。 「ああ、スオウ……」  母は今、この宮廷で王族の子たちの教師をしている。 ユズハが無事に逃げたと知った母は、シコンと番うくらいなら死ぬ、と言ったらしい。それを止めたのはギンシュだと聞く。 「スオウ様は、アサギ様に似てやんちゃだけど、聡明なお子様だよ。叔父上に似て、口も上手くなってるけどね」  口が上手い、と母が言うのは、きっと母を教師にした時のギンシュの話を思い出しているからだろう。  ユズハが無事に逃げたのはリアンの教育のたまもの、自分たちもリアンに学べば強く正しく賢い王になれる、父の妾なんかにするよりずっと価値がある、と前王から母を奪ったらしい。  アサギに聞いて、ひどく驚いたと同時に親子揃ってあの方に救われたのだと思った。口が上手い、なんて言っているが本当に感謝しているのだ。 「じゃあ、この子はきっともっと、お喋り上手になるかな?」  ユズハが自身の大きくなった腹を見下ろす。母も隣で目を細めて頷いた。 「女の子なんだったね。きっとみんなが可愛がるよ」 「だといいな」  ユズハが答えると、可愛いに決まっている、と声が飛んだ。顔を上げるとスオウを抱きかかえ、こちらに向かって来るアサギがいた。 「俺とユズハの子だ、世界一可愛いに決まっている」  ユズハの傍に寄ると、アサギが自信たっぷりに笑う。ユズハの望みは全部叶える、と言い放った時の笑顔と同じで、ユズハはあの時と同じように心臓を高鳴らせた。  この人となら、不安も心配も全部乗り越えていけるのだろう、こんな時、ユズハはいつもそう思うのだ。 「生まれる前から親バカなんて……この子は苦労しそうね」  くすくすと笑いながら母がユズハの腹を優しく撫でる。確かに父親からの愛は重そうだ。  その言葉の意味が分からないのか、アサギは首を傾げる。それでも二人が楽しそうなことは分かったのだろう。特に気に留めず、スオウに視線を向けた。 「さあ、スオウはおばあ様と勉強の時間だ。終わったらみんなでお茶にしよう」  アサギが胸に抱いていたスオウを母へと引き渡す。母は、そうですね、と微笑み、スオウを引き取った。 「では、参りましょうか。スオウさま」 「えー、まだ遊びたかった! かあさま、助けて」  母の腕の中のスオウがユズハに手を伸ばす。それでもユズハはそれを優しく握るだけで、行ってらっしゃい、と笑った。 「おばあさまの言う事をしっかり聞いてね。かあさまは、スオウの大好きなお菓子を用意して待ってるから」  ユズハがスオウの手を離す。母はそのタイミングでスオウを抱えたまま歩き出した。  アサギがユズハの肩を抱き寄せ、それを見送る。 「ありがとう、アサギ」  二人の背中を見送りながらユズハが呟く。それにアサギが不思議な顔をした。 「かあさまに、自分の子を抱かせてあげられるなんて思ってなかったから」  スオウが生まれた時、母は誰よりも喜んでくれた。生きててよかった、と母が泣いたことをユズハは今でも覚えている。  母を捨てるように離れて暮らして男娼にまで身を落とした親不孝だと思っていたけれど、ちゃんと親孝行ができた、させて貰えたことに改めて感謝した瞬間だった。 「そこは、ユズハを安全なところへ導いてくれた兄のおかげもあるがな」 「そういえば、ギンシュさまも、こちらに戻るとか」  ユズハの言葉を聞きながらアサギが歩き出す。ユズハもそれに倣ってゆっくりと歩き出した。そんなユズハの肩にアサギが自身の上着を掛ける。風が出て来たからユズハの体が冷えると思ってくれたのだろう。何年経ってもアサギは優しいままだった。その優しさはユズハだけに向かっているものではなく、きちんと国全体にも向かっている。 「ああ。ようやく、あの二人をパートナーにしてやることが出来る」  アルファという性別はとても貴重なため、これまで、アルファに限り、子孫を残せない関係の二人をパートナーと認めることができなかった。けれどつい先日、アサギの働きで、ようやくそれを撤廃することができたのだ。  ギンシュはもう王族ではないけれど、ユズハにとって義兄であることは間違いないし、ナギサとこの国で暮らしてくれるならユズハも嬉しかった。 「あの二人のためだけじゃない。スオウにも、心から愛する人と結ばれて欲しいからね」  スオウもアルファだ。次期国王として育てられてはいるが、スオウが望まないのなら、ギンシュのように自分の気持ちを貫いてもいいと思っている。当然これから生まれて来る子も、だ。 「おれたちみたいに?」 「そう、俺たちみたいに」  アサギが立ち止まり、ユズハを見つめる。  幼い頃は、この人の存在が苦手だったし、嫌いだった。なのに今はこんなにも愛しくて、誰よりも大事だと思える。  大好きなこの人の子を身籠って良かった――そんなふうに思う日が来ることを、あの日アサギに体を開かれて泣いた自分に伝えたい。 「アサギ、大好き」 「俺も愛してるよ」  強く風が吹いて、桜の花びらが二人を包むように舞い散る。花にも祝福されているような幸せな気持ちのまま、ユズハは優しく落ちて来るアサギのキスをゆっくりと受け止めた。
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