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『また来る』  そんな言葉を残して部屋を去っていったアサギを思い出し、ユズハは大きくため息を吐いた。 「ユズハ、処女卒業おめでとう!」  娼館の奥の生活スペースにある食堂で一向に喉を通らない朝食を前にしていたユズハに、元気な声が掛かる。  同じオメガの男娼、ミクリだ。ユズハよりも可愛らしく幼い顔をしているが、ユズハの二つ年上、二十歳だ。 「ミクリうるさい。それにめでたくない」  隣に座ったミクリからつん、と視線を逸らす。 「あらあら、恥ずかしがっちゃって。聞いたよ、すっごいイケメンでお金持ちのお客だったって」  いいなあ、と甘いため息を吐くミクリの前に朝食が運ばれてくる。それを運んだのは、この娼館の女将だった。ここにいるみんなは、彼女を『ママ』と呼ぶ。  ここでは、オメガの男女とベータの女性が働いている。ここに来た理由は様々だが、親の居ない人が多い。ユズハ自身も十歳で家から放り出され、ここに拾われた。 だからみんなママと呼びたいし、実際仕事の時以外は、本当に優しい、母親みたいな人だ。 「ミクリ、噂話も大概にしなさい。というか、お見送りもしないで寝てたね、あんた」  ママも昔は売れっ子の娼婦だったという。引退して十数年経った今でも、上品で艶のあるキレイな人だ。決して『おばさん』なんて呼んではいけない。 そのキレイな眉目が、ミクリに向かって眇められる。ミクリは、だって、と眉を下げた。 「昨夜のお客さん、すっごい激しかったんだもん。発情期じゃないから中に出していいよね、とかって言って……お客が寝てから後処理したから、ほとんど寝てないの!」 「またそんなリスクある接客して……ひっぱたいてでもゴム付けさせなって言ってるだろう?」  ママが厳しい声でミクリに諭す。けれどその両腕は愛しい子を包むようにミクリを抱きしめていた。ミクリが辛い思いをしたと分かっているのだろう。  あんな薄いもの一枚だが、それだけでこちらのリスクはかなり軽くなる。妊娠のリスクはもちろん、病気のリスクも減るし、なにより気持ちが違うのだと、他の娼婦も話していた。直接は犯されていない、自分はまだキレイなままだと思える、と言っていた。だからこそ、仕事として男を迎えることが出来るのだろう。 「ママ、おれ、昨日アサギにそのまま突っ込まれたんだけど」  ユズハがじっとママの顔を見つめると、ミクリから腕を解いたママがこちらに近づき、眉を下げた。 「辛かった?」 「……最悪だった」 「もっと、優しくするように言っておくけど……ごめんね、ユズハ。お前のあの方だけは、こちらで口出し出来ないんだよ」  ママがユズハの体を抱きしめる。  口出しできないのは、王族だからだろうか。それともそれだけの金額で買われているからだろうか。どちらにせよ、もう二度と抱かれたくない。 「ママ、アイツ出禁にしてよ」  ユズハがママの胸に頭を摺り寄せ呟く。けれど、上から降って来た言葉は、ごめんね、だった。ユズハが驚いて顔を上げる。 「あの方は、普通のお客様じゃないのよ。もうこの先、一か月分お支払いして頂いてるの」 「……え?」 「だからユズハは、他のお客の相手はしなくていいのよ」  いいことじゃない、とママが微笑む。つまり、これから少なくとも一か月はアサギの相手をしなくてはいけないということだろう。全くいいことではない。 「どうして……おれなんだよ……」 「どうしてもユズハがいいそうよ」  ママはユズハの長い髪にキスをしてから、早く食べちゃいなさいね、と食堂を後にした。  ミクリと二人になったところで、ミクリが、ねえ、とこちらを見る。 「そのお客さん、ユズハの知り合いなの?」 「知り合いっていうか……幼馴染、みたいなものだ」  ユズハが答えると、ミクリの表情が嬉々として、聞かせて、と身を乗り出した。  ユズハはため息を吐いてから、あまり思い出したくない過去の記憶の糸を引き出し始めた。
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