子狸の恩返し

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 それはある晴れた日のことでした。  いっぴきの子狸が里を出て、山のなかを歩いておりました。  あまり遠くへ行ったことのなかった子狸は、ふんふんと鼻をならし、嗅いだことのない香りを楽しみながら、先へ先へと進んでいきました。  小石を踏み、やわらかな地面に足あとを残しながら、どんどん、どんどん先へ進みます。  そうして草原を歩いていたときのことです。  いきなり足をとられて、歩けなくなってしまいました。  これはいったいどうしたことでしょう。  もがけばもがくほど縄がからまって、ますます動けなくなってしまうのです。  ちいさな子狸が罠にかかってパタパタともがいていたところ、草むらをかきわけて、だれかがやってくることがわかりました。  里の長老さまによると、人間は我々を「狸汁」にして食べてしまうといいます。  どうしよう、ぼくはきっと食べられてしまうんだ。  煮てさ 焼いてさ 喰ってさ。  父さん狸と村へ近づいたとき耳にした、人間の子どもたちの楽しげな声を思い出して、子狸は泣きたくなりました。  じっさいにキュウキュウと声をあげて泣いてしまいました。  そこへひょっこりと顔を出したのは、人間のおばあさんです。  こちらを見て目をまるくしておどろいたおばあさんは、(しわ)の入った顔をゆるませると子狸のほうへ手を伸ばします。  ああ、これでおしまいだ。  ぎゅっと目をつむっておりますと、それまで足をきつく締めあげていた縄がゆるんで、動けるようになりました。  すっかり痛めてしまった足を引き寄せて、子狸は縮こまります。  カタカタと震える子狸を見やり、おばあさんはいっそう顔をゆるませて笑いました。 「おや。これはまた、ずいぶんとちいさな狸がかかったものだねえ。ほうれ、誰ぞ来ぬうちにさっさとおゆき」  子狸がおそるおそる顔をあげると、おばあさんがにっこり笑って手を振っているではありませんか。  理由はわかりませんが、この人間はじぶんをつかまえる気はないようです。  子狸はあわてて立ち上がると、痛む足をなんとか引きずりながら、里のほうへ向かって一目散に走り出しました。  草のすきまから見え隠れする子狸のしっぽを、おばあさんは見送ります。そうして周囲の土を足でドンドンと踏みつけて、子狸が残した無数の足あとを消してあげたのでした。
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