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「根岸先生、何かアイデア湧きましたか?」
「……。」
本当は首を縦にふりたいところだったが、嘘はつけない。
「……本当、しっかりしてくださいよ、締切近いんですから。でも、この前までストーリーあったのにどうしちゃったんですか?」
「面白くないかなぁって思って……。」
「はぁ、そうですか。でも、この前までのあのストーリーでいいんじゃないですか。悪くなかったですよたいして。」
君が悪くないと言っても僕が納得していないんじゃ書けないんだよ。という言葉を飲み込む。
「あ、じゃあほら、妖怪ネタつきたんならやめたらいいじゃないですか。ラブストーリーとかどうです?」
「妖怪の話ばかり書いている僕にできるわけないでしょう、第一恋なんてしたことないですよ。」
「え〜!先生彼女できたことないんですか?意外!僕でさえ五人と付き合ったことあるのに!」
君の話なんぞ聞いていないんだけど……。
「少し外の空気を吸ってきます。」
「いいですけど!締切!わかってますか、締切には間に合わせてくださいね!では、僕はこれで失礼しますよ。」
「ご苦労様……。」
騒がしい編集者の彼がいなくなって、息をついた。しょうがないじゃない、思いつかないものは思いつかないんだから。実際に見たことのないものを想像するのは楽しいけど、疲れるんだよ……。
財布も持たずに家を出る。外は暗くなりかけていた。夕焼けこやけのチャイムはもうとっくのとうになってしまったから、子供の声はしない。
しかし今日はあまりにも人が少ない。というか、誰一人としてすれ違わない。この時間帯はいつもなら部活帰りの学生や仕事から帰ってくる人が多少なりともいるはずだが……。
少し気になったが、深く考えずに薄暗い街を歩き続けた。歩いているうちに、商店街にたどり着く。人通りが少なくて寂しい場所だ。しかし、今日はやはり異常に人が少ない。
……おかしい。幾ら歩いても商店街を抜けられない。それにこんな時間に、これほどお店が開いているのもおかしい。ここはもっと寂れた商店街で、そもそもやっている店自体少ないはずなのに。
「お客さん。」
「っ、は、はいっ」
「そば食べてかないかい?」
店の中から僕を呼ぶ声がする。
「……でも、あの、あー、えー、僕お金持ってないので、」
「お代ならあんたの爪を3枚くらいくれりゃいいからさ。」
「つ、つめ?」
「ニンゲンの爪は薬にされる。ちょっとは高くつくのさ。ほら、どうだい、食べてかないかい」
そう言って僕を招く手はところどころ透けていて、黒いモヤがかかっている。
「ご、ごめんなさい僕、あ、え〜と、アレルギー持ち……なので……。」
嘘じゃない。実際そばアレルギーだし。
というか、それより、絶対におかしい。ここはもしや、本当に、妖怪の……まち?
「お!ニイちゃん、いいもんつけてんね!」
駄目だ。口をきいたらどんなことになるかわかったもんじゃない。僕は早足になる。
「それだよ、その目につけてるこれ。」
「わ!危ない!」
目の前に突き出されたのは剣だった。声の主は器用に剣に引っ掛け、眼鏡を手に取った。
「あのぅ、何も見えないんですが」
「カカカ、かっこいいなこれ、ほらどうだ似合ってるか?」
「だから、その、今お取りになったそれ、返していただけないでしょうか。」
「嫌だ!こんなにかっこいいのに!」
「何も見えないと困るんですよ!」
「困るのはよくないな!ほれ!」
素直に返してくれた……。爪を剥がれなくてよかった。
僕は眼鏡をかける。
「え!!!カ……鴉天狗……。ほ、本物の……。」
「よく知ってんな!あちらの世界でも儂は有名か!カラスなのに一人称はわし……ってな!カカカ!」
「」
「黙るなニンゲン。」
なんだか想像と違う。しかし、子供を家まで送り届けたなどという伝承もあるくらいだから、親しみやすいキャラクターなのもまぁ、頷ける。
いや、でも、待て。こんな状況やはりおかしい。夢と考えるのが妥当じゃないか?
「夢じゃないぞ、ニイちゃん。」
確かに、僕は担当の酒井さんとの打ち合わせの約束を前々から取り付けていた。
そして酒井さんは家に来た。しかし、だからと言ってこれが夢でないことの証明にはならない。酒井さんが家に来たというところから夢かもしれない。逆に言えば、これが夢であるという証明もできないのであるが。
そうだ。
明晰夢なら、鈍足の僕でも瞬足になれるかもしれない。
「……どうした急に早歩きをして。」
「ゼェ、はぁ、はぁ、は、走ったんですよぉ、」
「……なんか、すまんな。」
「いや、はぁ、別にいいですけど。」
息切れは止まらないし速く走れることもない。やはり夢でないのか?
「だから夢じゃないって」
……さっきから僕の思考読んでませんか、鴉天狗さん。
「読んでないよ」
「ほら!やっぱり!今私僕の思考読んでませんか、って心の中で言ったのになんで返事できるんですか!」
「あ……はは……。」
そう言って鴉天狗は僕を無視して進み始めた。引き返そうか迷ったが、あと少しだけ。小説の参考にするために。そう思って、僕は彼の後を追いかけた。
「あぁラ!活きの良いお兄さんだことぉ!ちょっとあそんでかなぁい?かんわいい女子がいぃっぱいいるわよぉ!柔らかいわよお!締まるわよお!」
「兄ちゃん、この石買わない?霊力たっぷりだよ!」
町のあちらこちらから、視線を感じる。人影はないのに。恐らく店内にいるのだろう、店からはどす黒い煙が漂っている。
しかし、鴉天狗からそのような気配は感じられない。
「商人達、お前を商品としてしか見てないぞ。本当に金のことしか頭にないな……。ここは危険だ。早いとこ瑞葉さんのとこへ行こう。」
「……みずはさん、というのは?」
「知恵のあるやつだ。あいつなら、ニイちゃんを向こうに戻すのを助けてくれるだろ。」
僕の小説なら、息を止めたまま元来た道を辿れば現世に帰れるのだけれど。
「元来た道を辿れば帰れるんじゃないかって?笑わせるねェ。後ろを振り返って御覧よ」
そこには商店街はなく、学校の廊下のような空間が広がっていた。
しかし、前を向くとそこはまだ商店街。
「この世界は刻一刻と変化している。だから、元来た道を戻ろうったってそう簡単には行かない。そもそもあっちの世界との繋がりができる場所も不安定だ。どこにできるかもわからないし、いつまであるかもわからない。だからニイちゃんがここに来れたのは奇跡だよ。」
奇しい跡とはよく言ったものだ。僕は歩いているうちに奇しい世界に足を踏み入れ、歩いてきてしまったようだ。
「ま!取り敢えず瑞葉さんトコ行ってみよう!振り落とされんなよ!」
そう言って鴉天狗は僕を抱き抱えて天高く飛び上がった。
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