〝発見ミラー〟――ワニさんのお肉の巻

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ワニのお肉ってのを、ボクは食べたいんだ――そう思い付いたツルオくんは、さっそくネット上で検索でもして、それを叶えるための方法を探そうかとも思ったが、そうはしなかった。欲しい情報のみでなく、ワニの画像なんてのがワッと出てきたら怖い。そう思ったからだ。 親友(だとツルオくんは思っている)のクラスメートのカネオくんにその話をすると、ワニのお肉を食べたいなんて言ってるくせに、ワニの画像を怖がるなんて、と笑われた。 「度胸無しだなぁ」 「そうかなぁ」 「それにしても、どうして、怖いワニのお肉なんてのを食べたくなったのさ」 「わかンない」 ふーん、そうかいとカネオくんは一つ大人のようなタメ息を付いて、まあ、そんな気分になることが、ボクたちみたいな子供には、タマーにあることもあるらしい。これはヒミツのお話だけど、ホントのこと言うとボクも時々ワニのお肉を食べたくなることがある、そして、ホントに食べている、だから、ワニのお肉というものを食べられる所を知っている、これからいっしょに行かないか、と誘った。 ツルオくんは驚いたが、仲良しのカネオくんもワニのお肉が好きで、疾っくに食べてもいるらしいことが判ると、すなおにうれしくなった。 「でも、ワニのお肉が食べられる所なんて、そんなとこ、どうして、きみが知ってるんだよ」 訊けば、「まあ、ついておいでよ」とカネオくんは、それだけこたえた。  学校の無い土曜日の午後から、二人は出掛けた。 お空が青いなぁとカネオくんは、また大人のようなタメ息を付いて、真上の空を見上げ、きみもこうしてみなよ、きっとイイことがあるよ、とやっぱり大人のような口調で勧めるので、ツルオくんはそうしてみたが、ただただバカみたいに青い空が見えるだけで、どうということもない。ところが、 「あ、ほら、ワニさんがお空を飛んでいるッ」 カネオくんが突然叫んだので、ツルオくんはびっくりして、空をまた見上げたが、そんなことがあるはずもない。でも、ぽっかり真っ白い雲がやっぱりバカみたいに浮かんでいて、口、胴体、尾っぽとそれは見る見る巨大なワニさんのかたちをとって。空のてっぺんから地上をにらみつけるような勢いになってきた。 「ほら、飛んでるだろう、ワニさん」 カネオくんが自分のことを自慢するような口調で言った。 「そうだね。でも、真っ白いワニさんなんて、なんだかおかしいね。ピンとこないね」とツルオくんが反発してみせると、きみは子供だなあとカネオくんは大人そのもののタメ息をまた付いてみせたのだが、ツルオくんのことをただバカにしているといった顔もしていないので、やっぱり自分はカネオくんのことがキライじゃないやとツルオくんは、カネオくんの後をついて行く。 「遠足だと思いなよ」 「エ、遠足?」 「そうだよ、しっかりテクテクと遠足みたいに歩いていたら、きっとイイことがあるよ」 「イイこと?」 「そう、すんごくイイこと。そうだね、発見っていってもいいかな」 ふーん、ハッケンかぁ、とツルオくんは頷いたが、そのうち、足が疲れてきた。 すると、カネオくんが歩調を緩めながら、言った。 「ほらほら、もうイイことがあったよ。ハッケンだよ」 カネオくんが指さす先は、私鉄の駅前、そこには湯気の立たせる足湯があった。 こういうのも発見、ハッケンというのだろうか。テクテクと歩いていたら、たまたまそこに足湯があったというだけの話なんじゃないだろうか、とツルオくんは思ったが、 「さっさと服なんか脱いでさぁ、いや、本当はそうして素っ裸になって、このお湯を浴びてお浄めをするのがいいんだけど、それは出来ないもンね。だって着替えの服だって、ボクたちは持っていないのだからね」とカネオくんは苦笑いをする。 「オ、お浄めって、何だよ」 「お浄めは、お浄めだよ。だって、これからボクたちは神聖なるワニさんのお肉を頂きに行くんだからね。それくらいトーゼンだよ」 言いながら、カネオくんはズボンの裾を上げて、素足をむき出しにして、足湯に浸かった。 ツルオくんも倣って、そうする。確かに気持が良く、ずっとこのままこうしていたいとツルオくんは思ったほど。 カネオくんもイイ気持になるだけなったらしく、何だか聞いたこともない作り歌を急に歌い出す。そんなカネオくんに、ツルオくんはヒヤヒヤしたけれど、傍には、自分達の話に夢中のおばちゃん達がいるだけで、ツルオくんたちになど関心を向けていないからよかったが、それにしても、何だか恥ずかしい気がして、ツルオくんは俯いていた。 それにしたって、足湯は快く、このままうつらうつらと眠ってしまいそうにもなったが、さあ行くよとカネオくんは足湯をおしまいにする。そして、意気ヨーヨーといっそう張り切って、歩き出すので、ツルオくんはやっぱり付いて行くしかない。 「まだかい?」 「もうすぐだよ」 そんな問答が何度か続くうちにも、山道に入っていた。まだまだと歩く、歩き続ける。そのうち、おひさまも翳って来るだろう。家のひとだって心配するだろうと心許なくなってきたが、その様子を見抜くように、 「ほうら、着いたよ。おつかれさま~」とカネオくんは笑顔になった。 目の前には古びた丸木小屋があった。トントントンとカネオくんが丸木小屋のドアをノックしても、何の応答もない。だが、カネオくんは。すっとノブを引いて、開ける。 「おや、カネちゃん、久しぶりだね」 顎の尖った、ツルのような顔をした痩せたお年寄りが、部屋の奥で寝間着姿で座っていた。 一見して、おじいさんだかおばあさんだか、判らない。 「お肉が――そうです、とっておきのお肉が食べたくて、やってきました。ヨロシク」 そうかい、そうかいと機嫌良さそうな声で、こたえるが、その声もおじいさんのものかおばあさんのものか、判らない。 「お連れさんかい?」とツルオくんを見やると、おじいさんだかおばあさんだか判らないそのひとは、ふんと笑って、よく来たねとやっぱり機嫌の良さそうな声を発した。 カネちゃんも何年生になったのかな、幼稚園はもう卒業したんだよねなどと更に訊かれると、何を言っているんですか、とカネオくんは笑い、ボクはもう小学五年生ですよ、さらいねんは中学生ですよとエラそうにこたえる。 ああ、そうか。ごめんよとそのひとは謝ってから、 「さて、とっておきのお肉と言ってもいろいろあるが、どんなお肉ってのを、きみたちは食べたいのかな」 と訊くのだが、すぐさま、アハハンと笑って、判っているよ、きみたちは、ワニのお肉が食べたくって、ここまでやって来たんだね、と言った。 その瞬間、そのひとの顔がワニの顔に見えた気がして、ツルオくんは、キャッと身を引く思いがしたのだけれども、そのひとはやっぱり笑っているばかり、カネオくんもどうってことない顔をしている。 寝間着姿のまま、その長い袖をちょっとたくし上げるようにしながら、おじいさんだかおばあさんだか判らないそのひとは、 「ワニさんのお肉は、人気があってねえ。もう、売り切れちゃっててねえ」 もったいぶるように言い、でも、それじゃあカネオくんの顔が立たないだろうから、なんとかしてやろうかと身を乗り出すようにして、これから持って来てやろう、いえね、売り切れなんて今言ったばかりだけれども、ホントはそんなのはウソなんだよ、ごめんねと今度はツルのような顔からパンダの子供のようなご愛嬌たっぷりの顔になって、部屋から姿を消した。 だが、またすぐ戻ってきて、 「ワニさんのお肉を提供するには手間ヒマがかかるってもので、きみたちをお待たせするのも気の毒だから、こんなものを持ってきた」と謎めいた微笑など浮かべて、言う。 手には、自分の顔が丸々隠れるほどの大きさの虫メガネの親玉みたいなものを握っている。そのひとはすぐさまカネオくんとツルオくんの顔に当て、これはね、発見ミラーといって、過去から現在までいろんなことを発見できる不思議なミラーなんだよと自慢した。 「きみたちは、ここにやって来る前に、足湯に浸かったね。そして、それはとってもキモチのいいものだったんだよね」 そ、そーですとツルオくんは思わず驚きの声を出したが、カネオくんは慣れているのか、あくびでもしたげな風情。 そのひとはかまわず、「カネオくんが、ここにやって来て、ワニさんのお肉を買ったのはちょうど1年前、我慢できずにここでむしゃむしゃとひとりで、お肉を食べたんだ」と発見ミラーをもっとカネオくんへと近づける。 発見ミラーの中には、なるほど、お肉らしきものを貪り食っているカネオくんの姿が映し出されている。 ああ、そうでしたっけね、とカネオくんはミラーの中の自分の姿にさしての関心も示さない。反対に、見入ってしまうばかりのツルオくんに向かって、おじいさんだかおばあさんだか判らないそのひとはミラーを当てて、少し笑って言った。 「きみは3日前にオネショをしたね。ほらほら、恥ずかしそうに寝床の中でグズグズしているきみがいるよ」 ツルオくんは全く恥ずかしくてたまらず、顔をそむけたが、気にしなくていいよ、ボクだって、5日前にヤッちゃったばかりだから、とカネオくんが横から言ってくれたのは、彼のやさしさだろうか。 それから、ツルオくんの家族構成、ペットの猫、去年の夏に死んだ大好きだったおじいちゃんのお葬式の様子なども、次々と発見ミラーは映し出す。 「ど、どうして、そんな魔法みたいなミラーを持っているんですか」 とツルオくんは訊かずにいられなかった。 そのひとは、うふふとまたおじいさんだかおばあさんだか判らない不思議な声で笑った。 「そりゃ、ワニさんのお肉のおかげだよ」 カネオくんも釣られるように笑った。笑うと、「ほらよ」とそのひとは、発見ミラーを軽く投げるようにしてカネオくんに渡した。 「そうなんだ。この御方は、ワニさんのお肉を食べるにつけては、ボクたちの大先輩なんだ」カネオくんはまた自慢気な声を出す。 「ワニさんのお肉を食べ続けると、魔法の発見ミラーを誰かからもらえるんですか?」 カネオ君がゆらゆらと手元で揺らすようにする発見ミラーを見詰めながらツルオくんはそのひとに訊いたつもりだったが、「そんなに甘くはないよ」とエラそうにこたえたのは、カネオくんで、「そりゃあ、まあ、そうだ」と少し遅れて、そのひとが頷いた。 「でも、カネオくんは、もうじきもらえるかもしれないね。けっこう、長いこと、ワニさんのお肉を食べ続けているから」 そう言われて、途端に、満面の笑顔になったカネオくんが、急に自分の手の届かないエラいひとになったように見えて、ツルオくんは少し焦ってしまって思わず訊いた。 「ボ、ボクも、そうなれるんでしょうか」 「なれるさ。だから、きみをここに連れて来たんじゃないか」 そのヒトに代わって、またカネオくんがこたえ、うふふんと笑う。 カネオくんの言うとおり、このボクもワニさんのお肉にありつけ、食べ続け、そうしてやがて発見ミラーをもらえるのかもしれない。 ツルオくんは怖いくらいキモチが弾んで、ホントにそうなんでしょうかとそのひとに念押しをして確かめたくなったのだが、いや、気付けば、そのひとの姿が見えない。 「あれ? どうしちゃったんだろう。いないね」 「心配しなくていい。やっとね、あの御方はね、ボクたちにね、今度こそ、ワニさんのお肉を持ってきてくれようとしてるのさ。ほら」 カネオくんは、手元の発見ミラーをまた軽く左右に振った。 「ほらほら、ごらんよ」 ツルオくんが横から覗き込む発見ミラーは真っ暗で、しばらく何も見えなかったが、そのうち、ひとすじの光がすっと差し込むと、みるみるそのひとの姿を映し出す。 まるで、こちらからカネオくんとツルオくんが見ているのを知っているように、そのひとは、ニッと笑い、それから、おもむろに寝間着の長い袖を両腕ともたくし上げる。 その右手には、小型の斧が握られていて、アッと息を呑む間もなく、そのひとは自分の左手の手首を切り落とした。 な、なにをしてるんです、と気絶しそうなツルオくんを、「安心しなよ」とカネオくんがなだめた。 「シンパイいらないよ。すぐにね、また手首は生えてくるんだからね」 なるほど、カネオくんの言うとおり、そのひとは何事もなかったように手首の揃った両腕を突き出すようにして、発見ミラーの中でニニッと笑っている。切り落とされて床にゴロンと転がった手首はすぐにも、五本の指がなくなり一つの肉の塊になった。 アッとまたツルオくんが息を呑むと、手首からの肉の塊は、一枚のステーキ肉のように変幻しているのだが、きらめくほどのウロコが見える。見えるが、消える。 「あ、これって、ワニさんのお肉かい」 ツルオくんは息苦しくなりながら、それでも訊いた。 「そうともさ」 「え、じゃあ、あのひとはホントはワニさんってこと?」 「いや、そんなこともないさ」 全く何がどうなっているのかわからない。 ツルオくんは、気付けば、自分の左手の手首を右手で撫でていた。この皮膚は、ワニのものでも何でもなくって、ちゃんとにんげんである自分のものだ。ホッと安心しながら、カネオくんの左の手首を見ると、やっぱりちゃんと人間の皮膚の様子をしていて、またホッとする。 「ボクもちゃんとボクで、きみもちゃんときみなんだ」 「何を言ってるんだい、全くきみは」 バカにするように反応するカネオくんに、何処かの森に迷い込んだ少年たちが、お客となった謎の家で出される料理を待っていたのだが何時まで経ってもそれは出て来ず、やがて自分達こそが料理の材料にされると気づく、そんな童話を読んだことを思い出したのだとツルオくんは弁明した。ところが、 「そんなさあ、そうだよ、そんなありふれた付け焼刃的な知識みたいなものをひけらかすんじゃないよ。笑っちゃうじゃないか」とカネオくんはマジに叱る。 ツケヤキバという言葉など聞き慣れなくて、ああ、そうかい、とツルオくんはちょっぴり悔しいキモチになったが、カネオくんも自分もワニさんにはなっていない事実がうれしいばかりで、すぐ笑顔を取り戻した。 しかし、またもまたまた、怖くもなりそうだった――だって、おじいさんだかおばあさんだか判らないあのひとは間もなくこっちに還って来るだろう。どんな顔をして、どんな応対をすればいいのだろうか。 「そうだろ、怖くないかい?」 「だから、どうってことないんだよ。シンパイしなくってイイんだよ」 カネオくんは、ツルオくんの頭をやさしく撫でさえした。 「そうなんだ。きみは、ボクの横でね、じっとしていればいい。そのうち、ワニさんのお肉が目の前に運ばれてきちゃったなら、そのおいしいお肉を、きみとボクはありがたくムシャムシャと食べさせてもらう。それでいいんだ。うん、ホントにホントに、それでイイんだ」 カネオくんは、そう言って、発見ミラーをいっそう手元で振った。 ミラーはしばらく何も映し出さない。でも、10秒かそこらで明るく映えて、カネオくんとツルオくんの顔を横並びで映えさせた。 瞬間、カネオくんの顔全体が、牙をむき出しにしたワニそのものに見えたが、ツルオくんは、もう、キャッとも叫ばない。 「えらいね、ツルオくん。そうだよ、その調子」 カネオくんのやさしい声が、耳元で渦を巻き、ツルオくんのキモチを落ち着かせる。だが、落ち着くままに、そのまま体が静止して、身動きが出来なくなる。 発見ミラーの中のカネオくんは、ワニでなく、そっくりそのままカネオくんに戻り切って、微笑んでいる。カネオくんのままのカネオくんは、そして、言う。 「――そうだよ。きみは、幾つも幾つも、思いがけない信じられないような発見を繰り返して、それからね、うん、立派な大人と呼ばれるようになるんだよ」 カネオくんはやさしい声のまま、ポーンと発見ミラーを宙に放り投げ、すると、その両腕は見る見るウロコだらけになって、きらめいた。そして、身動きできないツルオくんの首をゆるやかに、しかし、強く強く絞め上げて行った。
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