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二日酔いの兆しで頭がガンガンする。昨夜は久しぶりに飲んだ。喉の渇きを覚え、億劫げに身を起こす。 「水……」 ガシャンと鎖が鳴り、手首が後ろに引っ張られた。 手錠? 革製の輪の内側にはファーが装着され、手首を痛めない工夫が施されていた。恐らくソフトSМ用の手錠。通販サイトの写真で見たことがある。 背中に当たるマットレスは弾力に富み、糊の利いたシーツが敷かれていた。足を伸ばして探り、面積の広さに驚く。 遊輔は手錠に繋がれ、ベッドに仰向けていた。 視界は一面真っ黒。目隠しをされている。僅かに感じる濃淡は布を濾して届く室内灯によるもの。 視覚以外の感覚を研ぎ澄まし、雑駁な情報を拾い集める。かすかに空調の音が響く室内は、快適な温度と湿度に保たれていた。余程防音対策がしっかりしてるのか、あるいはマンションの上階に位置するのか、都会に付き物の車の走行音は聞こえない。 犯人は誰だ。フェイクニュースでハメた芸能人、以前捕まったヤクザ、女を寝取ったチンピラ……日頃の行いが悪いせいで心当たりは腐るほど、容疑者を挙げ連ねればきりがない。 落ち着け俺。 これしきで取り乱すな。 布の内側で目を瞑り、深く息を吸って平常心を取り戻す。 拉致監禁されるのは人生三度目。一度目はヤクザ、二度目は半グレ。最初はパイプ椅子に縛り付けられ、次は煙草を押し当てられた。今回はまだマシな方、過去に比べれば丁重な扱いと言える。 とはいえ、危害を加える気がないと油断するのは早計。犯人の目的が掴めぬ現状、判断は保留しておく。 靴は脱がされてるが靴下は穿いたまま、スーツも身に付けている。盗られた物はどうだ、背広の内ポケットに入れてたスマホと財布は無事か。 最悪財布は諦めるにしても、データが詰まったスマホを没収されてはおしまいだ。 敵。 犯人はバンダースナッチの敵対者(アンチ)? 恐ろしい可能性に思い至り血の気が引く。バンダースナッチの正体がバレ、恨みを持ってる人間に襲われたのだとしたら、相棒の身も危ない。 「!っ、」 逃げろと伝えなければ。鎖が許す限界まで引っ張り、背広の内側に手を突っ込もうとする。もうすこしで届きそうで届かない、じれったさに苛立ちが募りゆく。 遊輔を放置する理由はわからない。恐怖を与える為?疑心暗鬼を煽る為? あんまり考えたくないが、拷問の準備でもしてるのか。 「お目覚めですか」 懐かしい声が不安を消し飛ばす。 「薫!おま、心配させやがって」 反射的に顔を向ける。 「喉渇きましたよね、お水用意しますから」 ベッドがギシッと軋む。片膝を乗り上げた気配。 「ンぐ、」 唇を割る舌。口移しで水を飲まされる。零れた水が喉仏を伝い、首筋を経てシャツに吸われていく。やめろと叫びたくても離れず、性急に嚥下するしかない。 「かはっげほっ」 盛大に噎せた。顔に執拗な視線を感じる。至近距離で観察されてる。 「少しは楽になりましたか」 「悪ふざけはよせ。手錠外せ。目隠しも」 「駄目です」 「お前がやったの」 否定してくれと願い、低く訊く。 「はい」 穏やかに微笑まれた。見ずとも気配だけでわかる。 「覚えてません?俺の肩借りて、酔い潰れて帰宅したでしょ」 「ここは」 「俺の部屋のベッド」 「開かずの間か」 薫のマンションには遊輔が立ち入りを禁じられた部屋がある。電子機器が沢山置いてあるから、というのがその理由だ。故に遊輔はリビングのソファーで寝起きしていた。 「お招き預かり誠に光栄って言いてえとこだが、ちょっとばかし招待の仕方が手荒じゃねえか」 「でしょうね。怒ってますから」 「なんで」 素で返す遊輔に対し、声音が一段冷え込む。 「心当たりありませんか」 「……冷蔵庫のサラダチキン食った」 「はずれ」 「コーヒー豆の補充忘れた」 「違います」 「風呂掃除サボった」 「他には」 「寝煙草でソファー焦がしたの根に持ってんの」 「火事になるんで本当やめてください、スプリンクラー作動しちゃったら大変です」 早々にネタが尽きた。 言葉に詰まる遊輔に向かい、静かに訊く。 「昨日一緒にいたの誰ですか」 「誰って……」 眉間に力を込め、途切れた記憶を辿る。昨日飲んだ相手は……。 「元同僚。週刊リアルの同期」 「仲良さそうでしたね」 「そこそこ」 「付き合いあるなんて意外でした」 「数少ねえ例外。若え頃から妙にウマ合って、今でもたまに飲みに行くんだ。ネタ流してもらえるし助かってる」 「貴重な情報源か」 「やけに突っかかんな」 「わざわざ俺がシフト入ってる『Lewis』に連れてこなくていいと思いますけど」 昨日の夜、数か月ぶりに友人と会った。 場所は薫が勤務する新宿二丁目のバー『Lewis』。入店後はカウンターに並んで座り、浴びるように酒を飲んでお互いの近況を報告し合い、共通の知人の話題で盛り上がった。 談笑中視界の隅に捕らえた薫は、フォーマルなベストに身を包み、ポーカーフェイスで通常業務をこなしていた。 丁寧にグラスを磨き、客が注文する酒を作り、アイスピックで砕いた氷を添えて。 失恋にへこむ常連を慰めるママの傍ら、口コミ経由で来店した女性に爽やかな笑顔を振りまき、フォトジェニックなカクテルを提供していた。 不自然な点といえば、サービス精神旺盛な彼が近寄ってこなかったこと。 普段は目顔で合図を送ってよこしたり特段用がなくても話しかけにくるのに、昨夜は連れに遠慮したのか、必要最低限の接触しか持ってこなかった。 再びベッドが軋む。足でも組んだのか。
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