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 バロンのところへのお使いに出発したのは、空気の爽やかな朝の八時を過ぎた辺りだったかと思います。  それからミニョンは野イチゴを摘まみつつ森の中を歩いていたらソルダに襲われかけ、そしてサリュと出会い、共に歩いて来たのです。  途中何度も休憩をしたり思いがけない出来事に見舞われたりしたせいで、バロンの屋敷の前に着いたのはもう日も暮れかけた夕方遅くでした。 「ソルシエール・グランのもとからまいりました、ミニョンです。おくすりをとどけにきました!」  バロンの屋敷――白壁に磨かれたガラス窓、レンガ造りの塀がぐるりと屋敷の周りを取り囲んでいるとても広くて大きな敷地――の黒鉄格子の門の前でミニョンが大きな声でそう言うと、門の腹のところに立っている門番が二人出てきて門の鍵を開けてミニョンとサリュを中へと入れてくれました。  やがて二人が屋敷の中へと入ると、さっそくバロンが出迎えてくれたのです。 「おお、よく来たミニョン。ずいぶんと遅かったが道中大変なことはなかったかね?」  出迎えてくれたバロンはでっぷりと丸いお腹を抱え、ゆったりとしつつも心配そうにミニョンに話しかけてきました。  ミニョンは大変なことはなかったか、と訊かれて困ってしまいました。なにせ、困ったことや大変なことが山のようにあったお使いだったのですから、何から話せばよいかと思ったのです。  困り果てたミニョンがサリュの方を向くと、サリュはミニョンに小さくうなずいて一歩前出てミニョンの代わりにバロンに答えました。 「わたくしは道中この小さくて偉大な魔法使いの護衛をさせて頂きました。幼き魔法使いの手に余るような難事が森の中には渦巻いておりましたから」 「そうなのか、ミニョン」 「はい! サリュのおかげでボクはこわいこともわるいこともだいじょうぶでした!」  サリュ、という名を聞いてバロンは驚いたように目を見開き、サリュの方を見つめました。まるで何かに気付いたか思い出したかのように。  そうしてやがて、バロンは深く納得したようにうなずきました。 「そうかそうか……それはご苦労であったな、サリュ。そなたのおかげで私の薬も小さな偉大なる魔法使いも守られた。さすが、かつて偉大なる魔法使いの弟子であっただけあるな」  バロンの言葉にサリュは少し複雑な顔をしていましたが、何も言いませんでした。その代わりというように、ミニョンがとても驚いた顔をして声をあげたのです。 「サリュ、魔法使いのでしだったの⁈」 「……ああ、まあな。ほんの少しだけだ」  少しぶっきらぼうに答えるサリュに、バロンがさらに言葉を付け加えました。 「そうだぞ、ミニョン。このサリュはそなたの兄弟子にも当たる」 「あにでし……?」  知らない言葉が出てきて眉を寄せて首を傾げているミニョンに、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきました。 「そう、サリュはかつての私の弟子だったんだよ、ミニョン」  低くやさしく響く声に惹かれるように振り返ると、すらりと背の高い薄紫の長い髪をなびかせて歩み寄ってくる菫色の瞳のソルシエールの姿がありました。 「お師匠様! どうしてここに⁈」  突然の師の登場に驚きを隠せないミニョンにソルシエールは穏やかに微笑みかけ、そっとその少しかすり傷だらけの丸い頬に触れました。 「そろそろお使いが済むころかと思ってね、ミニョンが置いていってくれた花を辿って迎えに来たんだ。だが――」  そう言いながらソルシエールはミニョンの傍らにたたずんでいるサリュの方を向いてにっこりとこう言いました。 「だが――その必要はなかったかもしれないな」 「どうして、お師匠様」 「彼がついているなら百人力だからね。――サリュ、久しぶりだね」  ソルシエールの微笑みにサリュはムッとしたような顔をして黙って一礼し、「師匠もお元気そうで」と呟きました。 「お師匠様、サリュはお師匠様のでしだったの?」 「ええ、そうだよ。ミニョンがやってくるずっと前にね」  そう言いながらソルシエールの表情が少しだけ悲しそうに曇ってサリュの方を見つめるのです。その様子を、ミニョンは不思議そうに見ていました。 「ずいぶんと腕の立つ狩人になったと聞いているよサリュ」 「……お陰様で」 「お前には随分と申し訳ないことをしてしまったと思っている……だからいま達者で暮らせているのなら、何よりだ」 「いえ、あの事はもういいんです」  申し訳なさそうにしているソルシエールと、苦笑をして首を振るサリュの姿にミニョンはほんのりと不安を感じました。何か自分が知らない頃に二人の間に何か良くないことが起きたのではないかと思ったのです。 「……あのこと、ってなぁに?」  訊いてみても良いのだろうかとドキドキしながらサリュとソルシエールの方を交互に見ながらミニョンが呟くと、応えたのはソルシエールでもサリュでもありませんでした。 「まあまあ、長い話になりそうだし、今日はもう遅いから屋敷に泊っていくがいい。サリュもソルシエールも、遠慮はいらないよ」 「しかし、俺は……」 「いいじゃないか、つもる話もあるんだろうから。おおい、誰か案内を頼む」  バロンが手を叩くと数人のメイドと一人の執事が現れ、三人を客間へと連れて行ってくれました。  通された客間は、ミニョンが日頃暮らしている家の倍はある広さでした。  飾り立てられた部屋にはふかふかなベッドが三つ並び、応接セットのテーブルの上には既にあたたかな紅茶と美味しそうなお菓子が用意されていました。 「わぁ!」  思わず部屋の様子にミニョンは声をあげてしまいましたが、先ほどのサリュとソルシエールの様子を思い出したのか慌てて口をつぐみます。  その様子に、ソルシエールは苦笑して言いました。 「いいよ、ミニョン。お使いを頑張ったのだから遠慮なくこのお菓子を食べるがいいよ」 「いいんですか⁈」 「我々も頂くとしようか、サリュ」  嬉々としているミニョンの様子に目を細めながら、ソルシエールはソファの傍で居心地悪そうにしているサリュに椅子とお茶を勧めました。  サリュは観念したように大きく溜め息をつき、ミニョンの隣に腰を下ろして紅茶をひと口飲みました。  ミニョンが焼き菓子をいくつか頬張って夢中で食べていると、サリュがぽつりと呟きます。 「まさか、ミニョンが本当にあなたの弟子だなんて……」 「偉大なる魔法使いの新たな弟子が火の魔法と花の魔法しか使えなくて驚いただろう?」 「それは、まあ……。やはり、俺のせいですか?」 「まあ、全く無関係、とは言えないかな」  ソルシエールの言葉にサリュが複雑な顔をして少し俯くと、お菓子を食べていたミニョンがその手を停めてソルシエールに聞きました。 「お師匠様、サリュがボクのまえのでしだったってホントですか?」 「ああ、本当だよ。サリュはそれはそれはよくできた弟子だった」  ソルシエールがカップを置いて昔を思い出すように背もたれに身を預けながら言うと、サリュは苦笑して「それは買いかぶりすぎだ」と言いながら首を横に振ります。  しかしソルシエールはそれを更に首を横に振って否定して、こう続けました。 「よくできた弟子だったよ、本当に。初歩の魔法はすぐに覚えてしまったし、応用の呪文もすぐに使いこなせていた。攻撃魔法だって驚くほど速く使えていたね」  そこまで言うと、「――だから、私が無理なことをさせてしまったんだ」と、呟きました。 「むりなこと、って? むずかしいことですか?」 「まあ、簡単に言うとそうなるかもしれないね」 「しかしあれは、師匠が俺のために課した試練で……」 「弟子の力量を見誤った試練を与えてしまうのは師としてあってはならないことだ。たとえ試練によって魔法の技量が上がるのだとしても、それによって魔法を失ってしまったのでは意味がない」  ミニョンには難しい言葉でしたが、サリュの身に昔なにが起こったのかは何となくわかりました。  魔法使いは師によって試練が与えられ、それをこなすことで魔法の技量が向上していくことが基本です。今回のミニョンのお使いもその一環でしたし、それによりミニョンは雪と氷の攻撃魔法を習得したのです。  しかし、サリュはその試練によって魔法を失ったというのです。それは一体どういうことなのでしょうか。
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