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 マギーには何人か魔法使いが住んでいますが、なかでもソルシエール・グランと呼ばれる魔法使いは腕利きで偉大であると有名です。  ソルシエールの作った薬であれば病はたちどころに治り、失せ物はすぐに見つかるし、吉兆の予言も外れることがほとんどないとも言われています。  そんなソルシエールにはひとりだけ弟子とも言える存在がおりました。 「ミニョン、ミニョン!」  樹齢が千年ほどはあろうかと言う大木の中をくりぬいて作られた住まいの窓からソルシエールが呼び掛けると、どこからともなく、「はぁい!」と元気のよい声が返ってきます。  返事のした方に視線を向けると、野草が生い茂っていると思っていたところからひょっこりと白いうさぎの耳が飛び出したかと思うと、声の通りに元気のよい小さな7歳ぐらいの男の子が飛び出してきました。 「なんですか、お師匠様!」  くるりとした緑眼にたんぽぽのような金色の髪をふわふわさせながら、それこそうさぎのようにぴょんぴょんと跳ねてソルシエールのもとに駆け寄ってくるのが、彼の弟子であるミニョンです。  ミニョンの姿を確認するとソルシエールは窓辺から入り口に移動し、表に出てミニョンが駆け寄ってくるのを待ちます。  駆け寄って来たミニョンの頭を撫でながらソルシエールは微笑み、そしてほんのわずかに複雑そうな表情をして溜め息をつくのです。  溜め息をついた師の顔を覗き込むようにミニョンは首を傾げ、「お師匠様、どうしたんですか?」と、訊ねました。  あどけなく物事を何も疑う様子のないかわいい弟子の様子に、ソルシエールは苦笑しました。 「いい知らせと、よくない知らせがあるんだが、お前はどちらから聞きたい?」 「んー……いい方から!」 「そうか……まず、ミニョン。お前はいつもお使いに行ってみたいと言っていたね?」 「はい! ボクもう7つなので、お師匠様のお使いくらいできます!」 「じゃあ、お使いを一つお願いしようと思う」 「本当ですかぁ?!」  ソルシエールの言葉にミニョンはたちまちに目を輝かせます。師匠からお使いを頼まれるということは一人前の第一歩ですから。 「どんなに遠くても?」 「平気です!」 「私がついていかなくても?」 「だってお使いですもん!」 「そうだな、それがお使いだな……」 「お師匠様、悪い方の知らせって?」 「ああ……そうだったな……」  普段のソルシエールは、マジーの領主なんかよりうんと偉いので、ただたたずんでいるだけでもあふれんばかりに威厳があるのに、今日はどことなく不安そうな表情をしているではありませんか。  これは余程の悪い事なんだろうか……そう、さしものミニョンも案じていると、ソルシエールはあわてて笑顔を作り、ミニョンの頬を長くて美しい指でつつきました。 「そんな顔をするでないよ、私のかわいいミニョン。なぁに、ちょっと性質(たち)の悪い狼がうろついているという噂を聞いたもんでね」 「おおかみ? それは、ヒトを食べちゃったりするんですか?」 「いや、狼と言ってもね、半獣なんだよ」 「はんじゅう……って、ボクみたいなにんげんとけものの半分半分の?」 「そうだ、よく憶えていたね、ミニョン」 「おおかみのはんじゅうと、お使いがどうかしたんですか?」  ミニョンの言葉にソルシエールは少し神妙な顔をしてうなずき、そして左の指をぱちりと鳴らしました。  すると、ソルシエールの左手にはぶどうの(つる)で編んだ籠が現れ、なかにはワインボトルの二回りほど小さな大きさのビンが一本布巾に包まれて入っているのです。その他にも空のボトルと古い地図が入っています  ソルシエールはビンを籠ごとミニョンに手渡しこう言いました。 「ミニョン、私が作ったこの薬の入ったビンを、マギーの東の外れのバロンまで届けておくれでないかい?」  雪のように白いうさぎ耳と背筋をピンと伸ばし、受け取った籠を抱きしめんばかりにしながらミニョンはこう答えました。 「もちろんです、お師匠様! ボク、どこへだって行ってまいります!」 「そうか、それは頼もしいな。さすがはもう7つだ」  ソルシエールがにこやかに微笑んでそう言うと、ミニョンは得意げにうなずきます。  ただひとつ、ミニョンは気になることがありました。 「お師匠様」 「なんだい?」 「さっき、性質の悪い狼がいるって言ってましたよね?」 「ああ、そうなんだ。小さな子どもを狙っている妙な奴らしくてね。村の自衛団でも見回りをしているとは言うんだけれども……」 「大丈夫です、ボク、もう7つなんで! ちいさくないです!」  ミニョンがそう言ってにっこりとお日さまのように笑って胸を張るので、ソルシエールはやはりお使いはやめにしようとは言い出せませんでした。  (よわい)数百を数えるソルシエールから見れば7つもそれ以下も同じようなものなのですが、そう言っていつまでも弟子である彼を赤ん坊のように扱ってしまってはミニョンの成長の機会を奪ってしまいかねません。  現につい最近までやけどを恐れて火の魔法を教えてこなかったことがあだとなっていて、ミニョンは7歳にもなるのに初歩の初歩の魔法である火を点ける魔法“フー”や、花びらを出す“フルウ”しか使えないのですから。  あまりに過保護なため、他の魔法使いのもとで修業をしているミニョンと同じ年頃の弟子性質よりずいぶんと遅れていることに最近若干の焦りを覚え始めたソルシエールは、意を決して今回のお使いを決意したのです。 (……しかしよりによってそのタイミングで変質者が出没するなんて……)  変質狼の話は昨日の夕方、薬の材料となる薬草を摘みに森へ出かけた際に顔なじみの村人から聞かされたのですが、その時は既にバロン宛てにミニョンが薬を届ける旨を伝えてしまった後だったのです。  ソルシエールはミニョンの代わりに自分が届けに行くことも考えましたが、留守をさせている間にその不届き者がこの家にやってこないとも限りません。  かと言って、7つにもなるミニョンの付き添いについていくわけにもいきません。なにせ、相手方にはミニョンだけが行くと伝えてしまっているのですから。  それでなくとも、ソルシエールは弟子には激アマだという噂が立ちかねませんし、それはミニョンにとっても不名誉な話でしょう。  そこでソルシエールは考えに考え、ひとつのお守りを用意しました。 「ミニョン、これをお前にあげよう」  そう言ってソルシエールが懐から取り出したのは、美しい紫水晶が革ひもの輪に結ばれた首飾りのようなものでした。  ソルシエールは屈んでミニョンの首にそれをかけてやり、こう言いました。 「いいかい、ミニョン。本当の本当に困った時にこの水晶を握りしめてこう言うだよ。“ネージュ・グラース・タンペート・ド・ネージュ”と。わかったかい?」 「ねーじゅ、ぐらーす……たんぺ……」  いままでになく長い魔法の言葉にミニョンは困った顔をしていましたが、ソルシエールは、「大丈夫、お前ならちゃんと言えるよ」と言うのでした。  師の言葉にミニョンは安堵したように微笑み、そして改めてこう言いました。 「バロンのところへいってまいります!」 「ああ、行っておいで。気を付けて」  「はぁい!」とミニョンは籠を抱えて跳ねるように歩きながら初めてのお使いへと出発したのでした。  森の奥へと続く野道を跳ねて進んでいく愛弟子の後ろ姿を、ソルシエールは微笑みながらも複雑な思いで見送っていました。 「――水晶なんぞに頼らなくてもよい旅路であるといいのだが……」  ソルシエールは偉大なる魔法使いですし、占いはたいてい大当たりします。魔法の腕だってこの辺りで右に出るものはいません。それでも、何かが起こることを完全に防ぎきることは出来ないのです。  しかも水晶の効き目は魔法に比べればとても弱いものですし、もしその性質の悪い狼とやらに奪われてしまえばどうすることもできないかもしれません。  それでもなぜソルシエールがミニョンをお使いにやらせたかと言うと、魔法使いの弟子が大きく成長するためには試練を乗り越えなくてはならないと言われているからです。  魔法の言葉を教えることは出来ても、それを使いこなすためにはあらゆる状況を体験する必要があるのです。そのための、今回のお使いなのです。  バロンの領地までは大人の脚で4時間ほど。魔法使いが魔法で空を飛べばもっと早く辿り着くことができます。  しかしミニョンは空を飛ぶ魔法は使えませんし、そもそも7歳の子どもです。 (相当な試練になるだろうけれども、きっとミニョンのためになるはず……)  すっかり姿の見えなくなった愛弟子のことを思いながら、ソルシエールは家の中に入って行きました。
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