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「タップタップ、スキップスキップ、ホップホップ、ジャーンプ!」  ソルシエールと住んでいる大樹の家を出てまもなくミニョンは森の中を歩いていました。春の穏やかな木漏れ日と新緑が目に鮮やかで、その中を舞う小鳥の声も聞こえます。  ミニョンは小鳥の歌に合わせるように跳ねながら歌いながら森を奥へ奥へと進んでいきます。 『ミニョン、ごきげんだねぇ。なにかあったの?』  木のうろから顔を覗かせたリスに声をかけられたミニョンは、ソルシエールから預かった籠を掲げるように見せながら答えるのです。 「ボクねぇ、お使い行くの!」 『へぇ、お使い!』 『ひとりで行くの?』 「もちろん! だってもうボク7つだもん!」  唄うように答えるミニョンにリスも野ウサギも手を振り、その道すがら案内するようについてきます。  森の途中には野イチゴの生っている茂みや、湧き水の出るくぼ地があり、それらを動物たちが教えてくれるのです。  湧き水を飲み、野イチゴをいくつか摘まんでいると、年長の鹿が突然顔をあげて辺りを見渡しました。 「どうしたの?」 『……来るよ』 「来る?」 『ミニョン、お逃げ!』 「え? え?」  森の動物の中でも年長の動物の一声はすさまじいものです。それまで穏やかにミニョンの周りに集っていた小鳥や動物性質が一斉にあたりに知っていったのですから。  倒木に腰かけてイチゴを食べていたミニョンは出遅れてしまい、ただ一人取り残されてしまいました。  逃げろ、と言われてもどこにどう逃げればいいのかわからず、ただお使いの籠を抱えたままおろおろとしているミニョンの背後に、“それ”は近づいて来たのです。 「あれぇ? こーんなところにかわいい子がいるねぇ……」  この辺りにいるのはミニョンだけですから、かわいい子と言うのはミニョンのことでしょう。しかしミニョンはそんなことで凍り付いているわけではありません。 「どうしたの、一人でこんなところにいたりして……お使いかなぁ?」  “それ”は凍り付いて動けなくなっているミニョンの前に回り込んできて顔を覗き込んできました。“それ”は、こげ茶色の毛並みに同じ色の三角の耳に大きな尻尾を生やした、鋭い牙を持った褐色の肌の人と獣の間のような……そう、狼の半獣人だったのです。  ミニョンはその狼の半獣人を目にした途端、ソルシエールの言葉を思い出しました。「性質の悪い、小さな子どもばかりを狙う狼がいる」と。  ミニョンは、自分はもう7歳で、小さな子ではないと思っていましたし、だからお使いだってやっているのです。  でも……まさかただ一言声をかけられただけでこんなに身体が動かなくなるなんて思いもしませんでした。  どうしよう、どうしよう……どんなに耳を澄ませてもミニョンの心臓の音しか聞こえません。  ああ、もう食べられてしまう……そう、ミニョンが思ったその時、その狼はふわりと笑ったのです。 「ああ、ごめんねぇ、怖がらせちゃったね。オレね、ソルダって言うんだ。狼だけど、ヒトは食べたりしないから安心して」 「あ、そう、なんだ……」  ソルダの言葉と笑顔にミニョンは心の底から安心して大きく息を吐きました。 「お師匠様から悪い狼がいるって聞いてたから、びっくりしちゃった」 「おお、それは悪かったな。坊やはなんでこんなところにいるのかな? 迷子?」  ソルダの言葉にミニョンはふふん、と胸を張り、握りしめていた籠を掲げてこう言いました。 「坊やじゃないよ、ミニョンっていうの。ボクね、お師匠様からお使い頼まれてバロンのところまで行くの」 「へぇ、そいつはすごいねぇ。ミニョンがひとりで?」 「もちろん。だってボクもう7つだもん」  得意げにしているミニョンの姿にソルダはそうかそうかと感心したようにうなずき、ミニョンの頭を撫でてきました。 「そうかそうか……そんなすごいミニョンにはいいことを教えてあげようかな」 「いいこと⁈ なぁに?」  ミニョンはこの世のことを疑ってみるということを知りません。それはあまりに育て親のソルシエールが大切に大切に育ててしまったせいでもありますが、元々の性格がそうなのでしょう。  なんにしても、いま、ミニョンはソルダが本当に自分にいいこと――お菓子があるよ、とか、きれいなお花があるよ、とか――を教えてくれると信じて疑っていません。  だから、次の瞬間に横たわる倒木の上にソルダから押し倒されたことも意味が解りませんでした。  さいわい倒木は苔むしていてふわふわだったので押し倒されても頭は打ちませんでしたが、ミニョンが危うい状況であることに変わりはありません。なにより、ミニョン自身がそれを理解していません。  きょとんとした緑の目でソルダを見上げるミニョンを、ソルダはよだれを垂らさんばかりのいやらし目つきで眺めています。 「いいこと、教えてあげるよぉ……とっても気持ち良くて、楽しい――」  そう言いながら、ソルダの指がミニョンの着ているひざ丈のパンツの裾から忍び込みかけたその時でした。 「――ほう、そんなに楽しい事なら俺も混ぜてもらおうか」  ソルダの背後から地に響くような低い声が聞こえ、ソルダの動きが止まりました。  性質まちに脂汗をかき始めたソルダを見上げながらミニョンがその背後を窺うと、銀色の髪に青い目の若い男が弓矢をたがえていたのです。矢じりはちょうどソルダの後頭部に真っすぐ向けられていて、少しでも下手な動きをすれば矢が放たれかねません。 「な……なにしてんだ、お前……」 「それはこっちのセリフだ、変態狼。こんな小さな子どもにお前は何しようとしてんだ?」 「オ、オレはべつに何も……こいつが勝手に寝ころんだだけで……」 「下手な言い訳する暇あったらとっとと失せろ。そうじゃないと、いますぐここでお前を串刺しにしてやるぞ」 「ひ、ひぃ……!」  銀髪の男の言葉にソルダは震えあがってすぐさま文字通り尻尾を巻いて森の奥へと逃げていきました。  ミニョンはぽかんとその姿が見えなくなるまで見ていましたが、なにが起ころうとしていたのかはわかっていませんでした。  ポカンとしたままのミニョンを、男は「大丈夫か? 起きられるか?」と顔を覗き込んできたのでミニョンはのっそりと起き上がりました。 「……あなた、誰?」 「俺はサリュ。悪いやつを狩る狩人をしている」 「かりうど……」 「そんなことより、あいつに何かされたか? 身体を触られたりとか、あいつの体を触らせられたりとかしたか?」 「ううん……ねえ、さっきのソルダは、悪い狼なの?」  首を傾げるミニョンにサリュは当たり前だと言うように大きくうなずき、こう話してくれました。 「ものすごく悪いやつだ。お前みたいな小さい子どもに近づいて、さっきみたいに押し倒して体を触ったり触らせたりするというのはとても悪いことだ」 「体、さわったら悪いことなの?」 「好きでもない相手に触ったり、無理に触らせるのは悪いことだ」 「でも、ソルダはいいことだって……」 「それはあいつにとってのいいことであって、お前……」 「ボクはミニョン」 「……ミニョンにとっていいことじゃない」  サリュの言葉にミニョンはとても驚いてしまい、いいことではなく悪いことをされそうになったことを悲しく思ってうつむいてしまいました。 「ミニョンはなんでまたこんなところに一人でいるんだ? あの狼がここいらに出る話は聞いてないのか?」  そこでミニョンは師匠であるソルシエールからお使いを頼まれたことと、その時の性質の悪い狼がいることを伝えられていたことを話しました。  サリュはミニョンがあのソルシエールの弟子だと知って驚き、そして、どうしてこんな幼いミニョンが一人で森の中を歩いていたのかを理解したようです。マジーの者であればだいたいソルシエールの話は知っているからです。 「そうかお前、ソルシエール・グランの弟子なのか……そりゃ大変だな。こんなところに来るのも修行の一環なんだな」 「しゅぎょうのいっかん?」 「修行の一つ、ってことだ」  サリュの言葉に、ミニョンはなるほどと言うようにうなずき、そしてますますお使いをきちんと果たしたいと思いました。 「サリュは悪者をつかまえてるの?」 「まあ、そんなとこだな。この弓矢を使ったりする」  そう言ってサリュが手にしている弓矢――大きな三日月の様な形をした弓と、まっすぐに良く飛びそうな黒い矢――を見せてくれました。 「カッコいいなぁ」 「ミニョンだって魔法が使えるだろう。ソルシエール・グランの弟子なんだから」 「……ボク、“フー”と“フラウ”しか使えないの」  ミニョンが使える魔法は誰もが知っているほど簡単で有名な魔法ですから、サリュは驚きのあまり目を丸くしてミニョンを見つめました。そんな初歩の魔法しか使えない魔法使いがこんな森の中にひとりでいるとは思えなかったようです。  魔法使いは弟子に試練を与えて魔法がより使えるようにするとは良く聞きますが、こんな初歩の魔法しか使えない幼い子どもにまでそれが行われるだなんて夢にもサリュは思っていなかったのでしょう。  しかも、ミニョンが目指すバロンは森を抜けたところに住んでいます。空を飛べるならまだしも、そんな魔法の使えないミニョンはただ森の中を歩くしかないのです。  しかし、当のミニョンはその事の重大さに気付いていないのか、初めて任されたお使いに俄然やる気なのです。  さてどうしたものか……と、サリュが頭を悩ませているのも知らず、ミニョンはささっと倒木から降り、籠を持って歩き始めました。 「おい、どこに行くんだ」 「どこって、お使いだよ。はやくいかないとバロンがまちくたびれちゃうもの」  このままではひとりきりで森を歩き出し、もしかしたらまたソルダの様な者やそれ以上の何かに襲われかねません。  じゃあね! とサリュに手を振って歩き出そうとしたミニョンの襟首を捕まえて、サリュは慌ててこう言いました。 「まあ待て、ミニョン。ひとりきりじゃ退屈だろう。俺も一緒に行ってもいいか?」  素直にお前が心配だから連れて行け、と言ってミニョンが受け入れてくれるかわからないと判断したサリュが考えた言葉に、ミニョンはきょとんとしてサリュを見つめてきます。  それから少し考えて、ミニョンはこう言いました。 「うん、じゃあ、いっしょにいこう!」  ミニョンは世の中を疑うことを知りませんから、先ほどあんな目に遭いかけたというのに、知り合って間もないサリュと共にバロンのところまで行くことを快諾したのです。  言い出したとはいえ全く疑われた気配のないサリュは戸惑いましたが、それでもなんとか幼い魔法使いの護衛にはなれたのでひと安心ではありました。  こうして、小さな見習い魔法使いの試練の旅と言う名の初めてのお使いにお伴がついたのです。
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