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「さっきミニョンがやろうとしていた魔法は、水じゃない。雨を降らす魔法だ」 「そうなの?」 「水を指先から出す場合は、“オー”、雨を降らす場合は“プリュイ”」 「どうちがうの?」 「“オー”は指先からクモの糸のように水を出す。“プリュイ”なら天から雨を降らせる。水の出し方の違いだ」 「ふぅん、そっかぁ」 「……お前、本当にソルシエール・グランの弟子なんだよな?」  サリュがする話は既に知っているはずなのに、ミニョンの反応はまるで初めて聞くかのような反応なのです。  だからサリュからミニョンにそう訊ねられたミニョンは、顔を赤らめてうつむきました。その顔はどこか泣き出しそうな顔をしています。 「ミニョン?」 「……みんなからもいわれるの。ミニョンはソルシエール・グランのでしなんてうそだ、拾われっ子だからめしつかいなんだ、って」  ミニョンの言葉にサリュが驚き、「そんなことはないだろう、さっきちゃんとフラウ・フーができたじゃないか」と言ったものの、ミニョンの表情は変わりません。  ミニョンが拾われっ子なのは本当のことで、七年前の春の朝にソルシエールの家の前にやわらかな水色の毛布にくるまれておかれていたのです。  長らく弟子を取らないことで有名だったソルシエールですが、何を思ったか拾った赤ん坊をそれはもうかわいがって育て始めたのです。それが、ミニョンでした。  あまりにかわいがっていることと、昔のとあることがきっかけとなってソルシエールはミニョンに魔法を教えてこなかったのですが、あまりに周囲からミニョンが弟子という立場でありながら魔法が使えないことをからかわれるため、ようやく今年になってから教え始めたという次第なのです。  そんな話をミニョンなりの言葉でサリュに話すと、サリュは深刻な顔をして考え込んでいました。その顔はまるで怒っているように見え、ミニョンは自分が良くない話をしたんだと思ってしまいました。 「ごめんね、サリュ」 「? なんでだ?」 「だって、ボクの話したから、サリュ、怒ってるんでしょ?」 「怒る? 俺がか? 何故だ?」 「ボクがお師匠様のでしなのに魔法あんまりつかえないから……」  ソルシエールがすごい魔法使いであることは、ミニョンは周りの話を聞いていたので知っていましたが、それが自分にとってどういうことになるかは魔法を教えられるまではわからなかったのです。  すごい魔法使いの弟子なら、弟子もそれなりの魔法を使えないといけない……幼いながらに周りからの目でそうなんとなく察したミニョンでしたが、一朝一夕で魔法が使いこなせるわけではありません。  加えてソルシエールはとっても過保護で、家の用事は任せつつも火起こしはソルシエールが自ら行うし、調理の殆どもそうでした。本来であれば調理から薬の作り方や扱いの基本を学ぶのですが、それができないのです。  唯一出来ている勉強があるとすれば、薬草の勉強でした。それも、ソルシエールが付きっ切りで家の周囲に自生している植物を見ながら、でしたが。 「なるほどな……それで今回は思い切ってお使いにやらせたというわけなんだな」 「そうみたい」 「お前もなかなか大変だな」  サリュが苦笑しながらミニョンの方を見ると、ミニョンは大きく首を横に振り得意げな顔をしてこう答えるのです。 「だいじょうぶ。お師匠様がおまもりくれたもの」 「お守り?」  「これだよ」と言ってミニョンが首から下げて服の中に隠し持っている物を引っ張り出してサリュに見せてくれたのは、あの大きな紫水晶でした。 サリュは自分の姿すら映し出すほど美しい紫水晶を指先でつまんで見ながら、なるほどな、というようにうなずきました。 「ほんとうのほんとうにこまったときにじゅもんをいったらいいっていわれたの」 「ああ、そうだな。こいつは大事にしまっておけ。本当のお守りだ」  サリュにそういわれたミニョンは嬉しそうに大きくうなずいて、またそっと服の中に紫水晶をしまったのでした。  サリュがまた地図を広げて、いま二人がどの辺りにいるかを確かめます。どうやらもう少しで森の出口に着きそうだとのことでした。 「サリュはどうしていまボクたちがどこにいるってわかるの? 魔法つかってないんでしょう?」  何度目かの休憩で大きな木の根元に腰かけて水を飲んでいる時にふとミニョンが訊ねると、サリュは、ああ、と言うようにうなずいてこう言いました。 「魔法はつかってない。俺は魔法使いじゃないからな」 「じゃあ、どうして?」  ミニョンが首を傾げると、サリュは地図を広げてその右端に書かれている丸い印のようなものを指しました。 「この印がな、どこが北でどこが南か、そして東か西かを教えてくれる」 「きた? みなみ? ひがし、にし?」 「太陽が昇ってくる方向は知らないか?」 「んとー……あっち?」  そうミニョンが森のむかって右を指すと、サリュはうなずいてこう言葉を続けます。 「そう、そっちだな。それを、東、というんだ。太陽が出る方角は決まっているからな」 「へぇー」 「そして、その反対側、向かって左側が西。そうやって右に東、左に西という立ち方をした時の前が北、後ろが南になる」 「んん……?」  右と左が東と西になることは何とかわかったようですが、そこに北と南が加わると途端にわからなくなったようで、ミニョンは眉をひそめました。  その様子にサリュは少し考え、じゃあ、と言ってから立ち上がってすぐそばの切り株のところに手招きしました。  ミニョンが覗き込むと、そこには年輪と呼ばれる輪の模様があります。 「きりかぶ?」 「この模様をよく見てみろ」 「んー……こっちのわっかとわっか、あいだが大きい?」  ミニョンが首を傾げながら答えると、サリュはその通りだ、とうなずく。 「これは年輪と言って、樹の成長具合がわかるんだ。そしてこれはよく日の当たる南の方ほど良く成長する。だから、南に生えてる方角だとこそ輪と輪の幅が大きくなるんだ」 「……きりかぶ見たら、どっちがみなみか、ってわかるんだ!」 「そう。南がわかったらその反対は北になるし、北がわかるということは東と西もわかってくる、というわけだ。だから、俺がいま森のどの辺りにいるかがわかるというわけだ」  サリュがそう解説すると、ミニョンはひどく驚いたように目を丸くし、そしてしきりに「すごーい! サリュ、すごーい!」と、拍手までしたのです。  サリュはミニョンの感激ぶりに戸惑っているようでしたが、いやではないようで、「まあ、ミニョンもその内わかるようになる」と素っ気なく呟いてひっそり笑うのでした。  それからミニョンは試しに地図を広げつつすぐそばの切り株と先程地図を見たという位置からの距離を比べながら今どのあたり煮るのかを割り出そうと頭をひねってみました。 「ん~……ん~、とこっちがみなみだから、こっちがきたで……えーっと……」  ミニョンは考え事をする時に自分の長いうさぎ耳をいじくる癖があり、ついつい耳の毛並みが乱れてしまいます。 「ミニョン、そんなに難しく考えるな。ほら、耳の毛並みがこんなにぼさぼさになっている」  そう言いながらサリュが逆毛立ったミニョンの耳に触れてみたその時、ミニョンが声をあげて飛び上がったのです。 「ひゃあ!」 「す、すまない……いやだったな、悪い」  普段素っ気ないサリュがうろたえるほどの驚きよう……というよりも、白い耳もその内側も顔もすべてがほんのりと赤く染まっていたことがまずサリュには驚きでした。それはまるで、成熟したうさぎが恋仲の相手を求めるような姿にも重なります。  幼くあどけない子うさぎとも言えるミニョンの思い掛けない姿に、サリュは目を見開いて言葉を失いました。あまりに美しい姿だったからです。 「お耳、すごくくすぐったくて、ドキドキするの……」 「あ、ああ……悪い。気を付ける」  サリュが自分には何の他意もないことを示すように両手のひらを掲げるようにして見せると、ミニョンはふにゃりと笑ってうなずきました。その潤んだ緑色の目は森の緑よりも美しく、染まった肌は美しいというよりもつやめかしくさえ見えたのです。相手はまだほんの7歳の子うさぎなのに。  思ってもいなかった自分の感覚にサリュは戸惑いを覚えていましたが、それを幼い彼に悟られるわけにはいきませんので、努めて何でもない風を装いました。  結局、ミニョンは現在地をあてることは出来ず、サリュの解説を聞きながらも打ち度方角の見方を学ぶことにしました。  しかしその時の二人は先程よりも少し距離があり、ぎこちない雰囲気が漂っていました。 「えーっと……まあ、だから、いまは大体この辺りにいるんじゃないかということだ」 「へ、へぇ……」  地図は小さいので顔を寄せ合うようにしないとよく見えません。しかし先程の事故のような触れ合いが気になってしまってあまり近づくことができないのです。 (……なんでだろう、サリュの近くに行くと、さっきよりうんとドキドキする……)  褒められた時にも感じたむずむずする気持ちが、その時よりも強くなっているのをミニョンは感じていましたが、やはりその意味と名前がわかりません。  わからないことはサリュに聞けば教えてくれると思うのですが……何故か、サリュに聞くことそのものが恥ずかしく思えるのですが、その理由もまた、ミニョンにはわからないのでした。
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