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 ミニョンの家から目的地であるバロンのところまでの間には大きな森が鬱蒼と広がっています。  普段ミニョンは家からほど近い森のそう深くない辺りで遊んだり、ソルシエールと薬草の勉強をしたりしているのですが、「家の窓が見えなくなるほど遠くへ入ってはいけないよ」と、ソルシエールから言い聞かせられているので、今回ほど森へ深く入ったことがありませんでした。  森の奥へ進むほどに樹々の根は複雑に絡まり、うろはまるで人の顔のようにも見えます。もしひとりきりでお使いに来ていたのなら、きっとこの森の様子に怖気づいていたかもしれない……そう、ミニョンは思うのでした。  だから、すぐそばを一緒に歩いてくれているサリュがいてくれることをとても有難く嬉しく思っていました。それは時折、用もないのにサリュの横顔を見上げてしまうほどに。 「どうした、ミニョン」  狩人であるせいかサリュはミニョンの視線に割とすぐ気付いてしまうので、そう訊かれると困ってしまいます。最初こそ、喉が渇いた、とか、ちょっと休みたい、とか口実がありましたが、あまりに頻繁だと口実がなくなってしまうのです。  何か言わなくちゃ……そう思えば思うほど、ミニョンは焦ってしまって言葉が上手く出てきません。 「ええっと、えっとね……」 「腹でも痛いか?」 「そうじゃ、ないよ……えっと……」  お腹は痛くも空いてもいませんし、手足もどこも痛くも痒くもありません。何せ用事という用事らしいことがないのですから、どうした? と訊かれても困ってしまうのです。  なんでもないよ、と言ったら、きっとサリュは怒ってしまうか呆れてしまうでしょう。誰からもそんな態度は取られたくないものですが、ミニョンはとりわけサリュからそうされたくないと思っていました。それがどうしてなのかは、わかるようでわかりません。  サリュに訊ねられて答えようとしている内にミニョンの足が止まり、サリュの歩みも止まります。 「ミニョン? 大丈夫か?」  サリュが――表情こそ変わりなく見えますが――心配そうに傍に寄ってきて顔を覗き込みます。直ぐ触れられそうな近さに、ミニョンはまた胸がドキドキむずむずするのを感じました。  どうやらサリュに近づくとそうなるようだ、とミニョンは気付きました。ドキドキとむずむずはサリュと関係があるらしい、と。 (……でも、なんで?)  ソルシエールから近づけられたり顔を覗き込まれてもこんな気分にはならないのに……サリュだと心臓が跳ねるようにドキドキするのです。  サリュのせいで心臓が大変なんだ! と言ってしまえれば良かったのですが、そういおうと口を開くとより一層ドキドキが強くなります。  どうしたらいいのだろう……ミニョンが途方に暮れてうつむきかけていると、そのおでこにそっとサリュが触れてきました。 「ひゃあ! な、なに?!」 「んー……熱は、ないか……腹は痛くないんだな?」 「な、ないよ! えっとね、ねつさましにはこのニッケイのねっこのかわをこなにしてのんだらいいんだよ!」  ふと目に付いたニッキの樹を指してミニョンが言うと、サリュは感心したようにうなずき、「そうか、ミニョンは詳しいんだな」と言ってくれました。それがまたミニョンの気持ちをドキドキさせます。  こんな風に、サリュにどうしたんだ? と訊かれると、話しかける口実が浮かばないミニョンは慌ててそこらにある草や木の薬効を口走ってしまうのです。  サリュはそのたびに、へぇ、とか、そうなのか、とか言ってくれますが、それがまたミニョンをむずむずドキドキさせるのです。 「しかしちょっと疲れたな……よし、休むか」  サリュが触れていたおでこから手を離すと、ミニョンは触れられていたおでこがすうすうする感じがしました。それはなんだか寂しいような物足りないような気持ちに似ています。薄荷の飴を食べた時にも似ている、ともミニョンは思いました。  サリュが休憩をしようと言ったので、二人はすぐ近くにあった倒木の近くに座りました。 「水を汲んでくるから、ミニョンはフーで火を起こしておいてくれ」 「うん、わかった」  休憩の時はサリュが水を汲みに行き、ミニョンは枯れ枝を集めて魔法で小さな火を点けることがいつの間にか二人の決まりになっていました。  ミニョンはフーで少しずつ大きな火を出せるようになっていたので、枯れ枝さえ集まればあっという間に火を起こせるようになりました。  いままでは五回くらい呪文を唱えてやっと小さな火種を点けられるぐらいだったのに、いまでは一~二回唱えるだけで簡単に薪になるような火種を起こせるようになったのです。 「えだ、えだ、えだいっぱい~」  即興の歌を唄いながら薪に使えそうな枯れ枝を集めていると、ふと、茂みの方から音がします。  サリュがもう戻ってきたのかな? そう思いながらミニョンが満面の笑みで振り返ると―― 「やあやあ子うさぎちゃん。また会ったねぇ」  サリュよりも少し背が高く、褐色の肌に三角の耳、大きな尻尾、そして鋭い牙の覗く口許……そして、ミニョンを舐めるような眼差しで見つめる垂れた目許。見覚えのあるその姿に、ミニョンは凍り付き持っていた枝を落としてしまいました。 「お、おおかみ……」 「そうそう、狼のソルダだよぉ。憶えててくれて嬉しいねぇ」  凍り付いて声も出ないミニョンの様子をにこにこと言うよりもニヤニヤと言った様子でソルダは見つめてきます。ミニョンの頭も長い耳も指もお腹も足の先っぽも、すべてを舐め回すように。  最初に会った時は何とも思わなかったのに、サリュに助けられた時にどうしてソルダがミニョンを押し倒してきたりしたのかを教えられたので、ミニョンにはソルダがどうして自分をニヤニヤ見ているのかがいまは何となくわかっていました。そしてそれが、すごく怖い事であることも。  ミニョンはニヤニヤしているソルダに見つめられながらサリュの言葉を思い出していました。 「お前みたいな小さい子どもに近づいて、さっきみたいに押し倒して体を触ったり触らせたりするというのはとても悪いことだ。好きでもない相手に触ったり、無理に触らせるのは悪いことだ。……ミニョンにとっていいことじゃない」  ソルダにはいいことでも……ボクにとって、いい事じゃない……サリュがはっきりと教えてくれたことをもう一度思い返し、ミニョンは大きく息を吸って叫びました。遠くに水を汲みに行っているサリュまで届くような大きな声で。 「サリュ! たすけて! おおかみだぁ‼」  さっきのように大人しく捕まるだろうと思っていたミニョンが、一歩近づいただけでそんな大きな声をあげたものですから、ソルダは飛び上がらんばかりに驚きました。  周りにいた動物や小鳥たちはミニョンの叫び声に騒ぎ出して飛び回ったり逃げ回ったりしています。森が一気に騒がしくなってきました。それはまるで森中がミニョンの叫び声に共鳴してソルダを非難するようでした。  騒めく森の様子にソルダがうろたえている隙に、ミニョンは素早く大地を蹴って駆けだしました。サリュのところへ逃げるためです。 「ああ、くそ、子うさぎのくせに生意気な……!」  ミニョンはうさぎの半獣人ですので、そこら辺の子どもより足がとても速いのです。跳ねるように駆けていき、あっという間にソルダを置いてきぼりにしてしまいました。 「はぁ、はぁ、はぁ……サリュ、サリュー!」  サリュがいると思っている方にどんどん駆けて行くのですが、いっかなその姿が見えてきません。そろそろ水を汲みに行った場所に辿り着いてもいいはずなのに。  森はどんどん深くなっていき、その内にミニョンはどこにいま自分がいるのかわからなくなってきました。  やがて足がもつれるようになって立ち止まり、辺りを見渡してサリュを呼んでみました。 「サリュー! どこー!」  遠くへ呼びかけても、返事はありません。さっきまで近くにいたリスたちもいません。ミニョンは森にひとりぼっちになってしまいました。  さっきのところへ戻ろうか、それとももっと捜しに行こうか……迷っていると、すぐそばの茂みががさがさと音を立てて揺れ始めました。  サリュかもしれない! 声を聞いて捜しに来てくれたのかもしれない! そう思ったミニョンは、茂みに駆け寄りました。 「サリュ!」  茂みの動きは段々大きくなってきて、やがて何か人影が現れてきました。ミニョンはkそれに駆け寄ろうとして――それよりも一瞬早く茂みから手が伸びてきてミニョンをつかんだのです。 「――つーかまえた。かわいいかわいい俺の子うさぎちゃん……さあ、もう追いかけっこは終わりにして、楽しくていいことをしようねぇ……」  掴んできたのは鋭い爪を持った茶色の腕に三角耳の大きな尻尾――ソルダだったのです。  ソルダは口調こそやさしく穏やかでしたが、その目はちっとも笑っていません。  ミニョンは、あまりの恐ろしさに悲鳴を上げることもできませんでした。
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