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「俺から逃げようなんて百年早いんだよ、子うさぎちゃん。おバカだねぇ」
そう言いながらソルダはミニョンを引き寄せ、やがて腕の中に納めてしまいました。そうされるまでにもミニョンは身を捩って逃げようとしたのですが、相手は大人の狼の半獣人のオスです。到底振り切れるわけがありません。
しゃがみ込んだり飛び跳ねたりもしてみましたが、ソルダはそんなミニョンをけらけら笑いながら眺めているばかりで放してくれそうもありません。
それどころか、舌なめずりをしてまるでミニョンが美味しそうなご馳走か何かのように見ているのです。
その舌がミニョンの指先をべろりと舐めた時、あまりの気持ち悪さにミニョンは鳥肌が立ち耳の毛並みが逆立ちました。
「ひぃっ!」
「ああー、いいねぇ、その顔……すぅごくかわいいよぉ」
どう見てもミニョンは喜んでいるどころか嫌がっているのに、ソルダは嬉しそうにうっとりしてもう一度ミニョンの指先にべったりとキスをしてきました。泥のようにねばつく感触にミニョンは悲鳴も上げられません。
顔を引きつらせて凍り付いているミニョンを抱きしめながら、ソルダはミニョンのかわいい長い耳にもキスをしてきます。
「はぁ……子うさぎちゃんの良いにおいがするねぇ……あー、早く食べちゃいたいなぁ」
「たべ……たべ、る……?」
「そうだよぉ、子うさぎちゃんを美味しくあまぁくしてあげてから、耳も頭も指もぜぇんぶ俺が食べてあげるからねぇ」
狼が(たとえ半獣人でも)うさぎを食べるのはまだわかります。だけどソルダはミニョンを美味しく“甘く”するというのです。意味が解りません。
意味が解りませんが……先程から繰り返される気色の悪いキスの感じからして、“甘く”するということがあまりいいものでないことはなんとなくミニョンにもわかりました。
「や……やだ……たべ、たべないで……ボクおいしくな、いぃ……」
「だぁいじょうぶ。痛くないようにしてあげるからねぇ……きっと子うさぎちゃんも嬉しくなっちゃうからねぇ」
長い耳に口付けるように囁かれる言葉が伝わってくるたびに、ミニョンは震えが止まりません。怖いのと気持ち悪いのとでもう何も言えなくなってしまっています。
ソルダにとってはミニョンが何も言えない方が好都合なのか、構うことなく何度も長い耳に舌を這わせたりキスをしたりしています。
その内にソルダの手がミニョンのひざ丈のパンツの裾の方に忍び込むように入ってきて、ミニョンの太ももをそっと触ってきたのです。その手つきの気持ちの悪いことと言ったらありません。
「ひぃぃ! っやぁ!」
ミニョンが身を捩ってそれをかわしても、手は追いかけてきてまた滑り込んできます。
身を捩って交わして、滑り込んできて、また交わして……そんなことを何度も繰り返している内に、ポン! と、突然ミニョンは足許を払われてしまいました。
足許を掬われるように払われたミニョンはそのままふわりと仰向けにひっくり返って地面に寝ころんでいたのです。そしてその上には、薄く笑うソルダの姿が――
「ああ、もう我慢できないや……もうこのまま食べちゃおう」
ソルダの口が大きく開き、赤い舌が蛇のようにうねりながらミニョンの頬をひと舐めしてずらりと並んだ牙が目の前に迫ってきたその時、ミニョンは硬く目をつぶってこう叫びました。
「サリュ‼ サリュー‼」
悲鳴にも似た叫びを力いっぱいミニョンが叫んだその時、すぐそばの茂みから一本の矢が――先のところに矢じりではなく大きな石のついた矢が――飛んできてソルダの額に音を立てて命中したのです。
「ッがぁ‼」
喉を押しつぶされたような声をあげてソルダが吹き飛び、そのままミニョンから離れていきました。
なにが起こったのでしょうか? ミニョンは呆然としながら吹っ飛んでいったソルダを見ていると、茂みがまたがさがさと音を立てて揺れ始めました。
更なる悪者が出てくるのかとミニョンはびくびくして身を縮こまらせていましたが、やがて姿を現したのは――
「ミニョン、大丈夫か⁈」
銀色の髪に青い湖の様な美しい力強い瞳、そして低くやさしいミニョンを呼ぶ声。
その姿と声を認めた途端、ミニョンは弾かれたように立ち上がってサリュに抱き着きました。あたたかくたくましい体がそれを受け止めてくれます。
「サリュ……サリュぅ……」
いまになって恐怖心が改めてミニョンを襲ってきたのか、しがみついた手足がガタガタと震えて止まりません。
うわ言のようにサリュの名を呼ぶミニョンを抱き寄せ、サリュはそっとその背をやさしくさすりました。
「もう大丈夫だ、俺がいるから安心しろ」
「サリュ……」
サリュの言葉にようやく安心したミニョンは、ぽろぽろと緑の目から大粒の涙をこぼして泣きじゃくりました。
泣きじゃくるミニョンの背と頭を撫でたサリュは、乱れていたミニョンの服をそっと整え、もう一度「大丈夫だ」と言ってくれました。
それにミニョンは小さくうなずき、サリュに手を牽かれてその場を離れようとしたその時でした。
「――誰が来たからもう安心だってぇ?」
地の底から聞こえてくるような不気味な声の方に二人が振り返った瞬間、二人の間を割るように先程サリュが射った矢が飛び込んできたのです。そのはずみに、二人はつないでいた手を離してしまいました。
「サリュ!」
「ミニョン!」
お互いを呼びながら再びつなごうと手を伸ばしたのですが、それを遮るように大きな影が立ちふさがったのです。
一体何が……そう、影を見上げた時、「ぅわぁぁ!」と、サリュの叫び声が聞こえました。
「サリュ⁈」
叫び後のした方にミニョンが目を向けると、サリュは大きな大きな山のような何者かにつるし上げられていたのです。
大きな大きな山のようなそれは茶色の毛並みをしていて大きなもみの木のような尻尾を揺らしながらゆっくりとミニョンを見下ろしてきました。
三角の耳、舐めるようにミニョンを見てくるその目……
「……ソル、ダ?」
恐る恐るミニョンが名を呟くと、その大きな化け物はにんまりと笑いつるし上げたサリュをミニョンの上にぶら下げてきました。
はるか頭上につるし上げられたサリュはもがきながらどうにか逃れようとしていましたが、どうにもなりません。
「放せ、化け物!」
「うるさいんだよ、邪魔者め。俺と子うさぎちゃんの楽しみをずーっと邪魔してきやがって……鬱陶しいったらありゃしない」
「当たり前だろう! お前のような不届き者にミニョンを指一本触れさせるわけにはいかない!」
そう叫びながらサリュが手にいた弓で矢を射ろうとしたのですが、ソルダは嘲笑うように吹き飛ばしてしまうのです。
それでもなおサリュが腰に下げている短剣を取り出して振り回してみましたが、何の役にも立ちそうにありません。
ソルダはサリュの様子を見ておかしそうに嗤い、やがてこう呟きました。
「ヒトの楽しみを邪魔するようなやつは……皮を引っぺがして喰ってやろう」
鋭い爪がサリュの喉元目がけて突き立てられそうになり、ミニョンはとっさにソルシエールからもらったお守りの紫水晶のことを思い出したのです。いまこそ、本当の本当に困った時だと思ったからです。
首から下げて服の中に隠していた紫水晶を急いで取り出したミニョンは、それをつかんで掲げこう叫びました。
「“ネージュ・グラース・タンペート・ド・ネージュ”‼」
するとどうでしょう。晴れ渡っていた空が急に曇り出し森の中が薄暗くなったかと思うと、突然雷鳴が聞こえてきました。
雷鳴にソルダが手を停めて天上を見上げると、たちまちに真上を黒い雲が覆い始めたのです。あんなに晴れていたのに。
何事だ? と、ソルダが呟くより早く、黒いそこからソルダ目がけて大量の雪と氷の粒が勢い良く降り注いできたのです。
「ぎゃあぁぁ‼」
あまりの冷たさと衝撃にソルダはつるし上げていたサリュを手放していました。
解放されたサリュはどうにか体勢を整えて地面に上手く転がり落ちたのでケガ一つありません。
雪と氷におおわれて断末魔の悲鳴を上げているソルダの声は森中に響き渡り、あらゆる動物たちが大騒ぎをしています。
やがてソルダは大きな大きな雪と氷の山となって動かなくなってしまったのです。
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