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ソルダが雪と氷の塊になってしまうと、森はシンと静まり返っていました。小鳥も虫も小さな動物たちもじっと息をひそめているのか、物音ひとつしません。
サクッとソルダが先程までサリュをつるし上げて掲げていた指先の辺りの雪が落ちた音がして、「……た、たすかった」と、小さくミニョンが呟きました。
その呟きをきっかけとするようにサリュがミニョンのもとに駆け寄り、地面にへたり込んでいる小さな肩を抱き寄せました。肩は微かに震えています。
「ミニョン、大丈夫か⁈」
「う、うん……」
「ケガはないか?」
「ないよ。ねえサリュ、ボク、こおりとゆきの魔法、つかったの?」
真っ白な塊になったソルダの姿を見つめながら問うミニョンを、サリュは思わず抱きしめてうなずきます。
「そうだ、ミニョンが雪と氷の攻撃魔法を使ってあの化け物狼を退治したんだ」
「ボクが……?」
火を点ける魔法と花を出す魔法しか使えない自分が、雪と氷の、それも攻撃魔法を使っただなんて信じられません。魔法の中でも攻撃魔法はとても難しく、魔法使いの修行の中でも最終段階で教わるものだとミニョンは聞いたことがありましたから。
そんなすごい魔法を、見習の中でもかなりひよっこな自分が使えたなんてミニョンは夢を見ているように呆然としていました。
「ボク、火をつける魔法と花を出す魔法しかつかえないのに?」
目を真ん丸にして驚いているミニョンに、サリュはその小さな手の中に握りしめられている紫水晶に触れ、こう教えてくれました。
「このお守りがあったからだな」
「おまもり……お師匠様の……」
本当の本当に困ったときに呪文を言ったらいいと言われて授けられた首飾りは確かに困っていたミニョン、もとい、サリュを助けてくれました。火をつける魔法と花を出す魔法しか使えないはずなのに、あんなにたくさんの雪と氷を出すこともできたのです。
「さすがソルシエール・グランだな」
「お師匠様のおかげなの?」
「ソルシエール・グランがこの紫水晶に攻撃魔法の呪文を込めていてくれたんだ」
「じゃあ、あのゆきとかこおりが出せたのはお師匠様の力のおかげで、ボクのちからじゃないのかぁ」
自分もようやく魔法使いらしいことができたのだと思いかけていたのに、それが師であるソルシエールの力だと知り、ミニョンは「なぁんだ」と、がっかりした様子でうつむきます。
だけど、サリュはそんなミニョンの様子を見て慌ててこう付け足しました。
「たしかに、紫水晶をにこめられた力があの雪と氷を出したんだろう。だけどな、ミニョン。その魔法は硬い水晶に覆われていたままだったら、何の役にも立たなかっただろう」
「どういうこと?」
サリュの言葉にミニョンが顔をあげると、サリュはこの上なくやさしい顔をしてミニョンの前にひざをつき、頭を撫でながらこう言いました。
「ミニョンが俺を助けたいと強く願いながら呪文を唱えてくれたからだ。強い気持ちがなくては、どんなに力のある魔法の道具があっても、ちゃんと使えない。攻撃魔法は魔法の道具にこめられている魔法の力を上手く正しく使わないとできないんだ。それには、強い気持ちが必要なんだ」
「ボクの、つよいきもち……」
確かにあの大きくなったソルダに捕らえられたサリュが皮をはがされそうになった時、ミニョンはいまが本当の本当に困った時だと思いました。だから、ソルシエールにもらった紫水晶に助けてもらおうと考えたのです。
そうして夢中で紫水晶を取り出して手にした時、あんなに難しいと思っていた呪文がすらすらと口をついて出てきたのです。ミニョンにはそれが不思議でなりません。
サリュが言うには、それはミニョンがサリュを助けたいと強く思う気持ちから来ていると言い、だから紫水晶にこめられていた魔法がちゃんと正しくはたらいたのだろうというのです。
「あの化け物を前にしても怖がらず、泣きもせず、勇敢に立ち向かって正しく魔法を使えた。だからな、ミニョン。お前はきっと大きくなったらソルシエールのように、それ以上に立派な魔法使いになれる」
「ホントに?」
「ああ、本当だ。なにせ攻撃魔法を一発で出せたんだからな」
大したことなんだぞ、とサリュが言いながらミニョンの頭を撫で、そして膝をついて改まった様子でミニョンの手を取りこう言いました。
「ありがとう、偉大なる小さな魔法使い。おかげで命が助かった」
青いサリュの目がやさしくほころび、まっすぐにミニョンを見つめて映しています。いまサリュの瞳の中にはミニョンしかいません。その様子を目の当たりにしたミニョンは、青い瞳の中に映し出されていることが何よりも誇らしく思えました。
ミニョンは、初めて自分の魔法がちゃんと誰かの役に立てたことを感じ、それが心から嬉しく思えました。
嬉しいのと誇らしいのと、そしてほんの少しむずむずドキドキする気持ち。入り混じる色々な気持ちがミニョンの幼い頬を染めていきます。
こうして小さな偉大な魔法使いは一つの攻撃魔法を習得し、大きな性質の悪い狼の半獣人を懲らしめることができたのです。
段々と小鳥や動物たちがそろそろとまたミニョンの近くに寄ってくるようになり、森は普段の様子を取り戻しました。
「ねえ、本当にこのままにしておいていいの?」
放り出していた荷物などを拾い集めて身支度を整え終えた時、ミニョンはサリュにそう訊きました。その目が白く凍り付いた大きな雪像の狼に向けられています。
「ああ、構うものか。そいつがいないことでどれだけの子どもが助かる事か。いっそ永遠にそのままでもいいくらいだ」
「えいえん、ってずっと?」
「そうだ」
「…………」
「ミニョン?」
サリュの言葉にミニョンはほんの少し困った顔をしたので、サリュがどうしたのだと首を傾げます。
ミニョンは少し考えてこう言いました。
「ソルダはわるいことしたし、こわかったけれど、ずっとこのままだったらおなかすいてかわいそうだよ」
その悪いことをお前がされそうになったんだぞ? と、サリュは言おうとしましたが、ミニョンが緑の目を潤ませてそんな風に言うもんですから、頭ごなしに言う気になれませんでした。それはそれでなんだかサリュが悪いことをした気分になる気がしたからです。
とは言え、ソルダがミニョンはじめこの辺りの子どもを狙って実際に悪さをしていたことに変わりはないので、そう易々と開放するわけにはいきません。
その辺りのことを噛み砕いてミニョン説明すると、ミニョンはうーん、と考えこんでやがて何かを思いついた顔をしてこう言いました。
「じゃあさ、ソルダのゆきがとけてしまったとき、おなかをすかせないように野イチゴをいっぱいおいててあげるのはどう? それならいいでしょ?」
無邪気な笑顔でそう提案してくるミニョンに、サリュもまた考えました。
確かにソルダを覆っている雪や氷は一朝一夕に溶けだしてしまうことはなさそうですし、これに懲りてしばらくはソルダも大人しくしているでしょう。
何より、ミニョンが集めた野イチゴがやがて土に還ってしまっても、それが再び目を出し枝葉をつけて実を生らせる頃まではソルダの氷はカケラも溶けだすこともないでしょうから。
そんなわけで、ミニョンは周辺から野イチゴを抱えるほど集めてきて凍り付いているソルダの前に置きました。
「じゃあね、ソルダ。もうわるいことしちゃだめだよ!」
野イチゴの山を作ったミニョンはソルダを見上げてそう言い、またお使いの籠を持って歩き出しました。
その隣を、サリュが弓矢を担いで付き従います。
「もうすぐでバロンのところに着くぞ」
サリュの言葉にミニョンはぴょんと飛び上がって喜び、嬉しそうに笑っているのを、凍り付いた狼が口惜しそうに見つめていました。
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