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嵐と蒼志
永尾 蒼志
32歳
「検察庁特別捜査部 (通称:特捜部)」
東京・名古屋・大阪だけに設置され大掛かりな脱税や政治家の汚職,その他背任や企業の横領・詐欺事件などの経済事件を捜査する。
検察の力を象徴する組織でありそのため,ここに配属される検事は選ばれし精鋭だ。
そのなかでも永尾蒼志は特捜部長の一番の右腕だと言われている。
蒼志の母親が亡くなって真面目な父親が再婚した女が嵐の母親だった。
女手一つで5歳の息子を育てる女に言い寄られ、情に絆され結婚したものの、1年もたず女は他の男に乗り換えた。蒼志が16歳の時だった。
それでも父親は小さな息子を気に掛けていた。
蒼志もそんな弟の事を可愛がった。
おとなしく内気な嵐の事がずっと忘れられなかった。
可愛すぎてキスしたのも一度や二度じゃない、高校生の自分が可愛い義理の弟に恋心を抱いていた。
それなのに、ある日突然蒼志の前から、嵐はいなくなった。
母親が亡くなったと聞いたのはそのずっと後だった。
高校、大学とずっと嵐を探した。
就職して検事になってからも、あらゆる場所に嵐の姿を求めた。
そしてやっと、見つけた。
一目見て直ぐに嵐だとわかった、昔と変わらず可愛いかった・・・・・だが、変わってないのは顔だけで、あの内気でおとなしかった嵐はとんだ台風になっていた。
それでも、気持ちは変わらない。
嵐が思い出してくれるまで、何度でも通う覚悟はできていた。
東園 嵐
【BLUE イーグルス】と言うジャスBARでバーテンダーとして働く21歳。
賑わう街に建つビルの最上階にあり、ジャス好きには割と知られた店だ。
ステージと客席が近く一体感が楽しめる店だと人気がある。
嵐の母親は男にだらしなく、常に新しい男を家に連れて来ては嵐に父親だと紹介した。
スナックで人気のあるうちは良かったが、その内相手をする男もいなくなり、酒に溺れた挙句肝臓を悪くして亡くなった。
嵐が17の時だった、高校を辞め母親の何度目かの夫のこの店で働くようになった。
母親は男にだらしなかったが、選ぶ男は優しい気の弱い男ばかりだった。お陰で嵐は義理の父親から暴力を受ける事もなく、面倒を見てもらう事が多かった。
何度目の父親かも忘れていた男に息子だと言われ、小遣いをもらった事が何度もあった。
覚えていないが、[永尾 蒼志]の父親もそんな男の一人かも知れない。
だが、今となっては顔はもちろん、名前すら覚えていない。
子連れの男がいた記憶もその息子の存在も全く覚えていなかった。
キスされたなんて話も今更だ。
嵐にとって、日々の暮らしを楽しむ余裕はない。
深夜まで働き、疲れた身体で翌日の昼まで眠る毎日。
休日も遊びに行く事も出かける事もなかった。
友達も恋人もなく、欲しいと思った事もない。
母親は男にはだらしなかったが、決して嫌な母親じゃなかった。
愛されていたかどうかは疑問だが、母親が居る間一人じゃなかった。
誰かがそばに居ると言うだけで、温かさを感じた。
好きになるたびに結婚離婚を繰り返し、父親だと言う男が何度も変わった。
その母親が亡くなって5年、他人ばかりの中で暮らし、甘える事も泣くこともしなかった。
一人の暮らしに慣れ、胸に沁みるジャズの響きに酔いしれる。
ピアノの演奏が始まり、それに合わせるように胸に染み込むサックスの音色が聞こえてくる。
ソニー・ロリンズ《ST.thomas》
軽快で明るい曲に身体が自然とリズムを取っていた。
うざいと思いながら、あいつとの軽い口喧嘩はストレス発散には丁度良かった。
そんなあいつがもう二週間も顔を見せていない。
休日の朝遅めの食事を終えて、シャワーを浴びるために浴室へ向かった。
テレビは見ないのにそれでも静かさを紛らすためにつけっぱなしにしている。
冷蔵庫からペットボトルの水を飲みながら、テレビに視線を送る。
テレビから流れるの言葉が耳に引っかかった。
《特捜部が選挙事務所へ家宅捜索に入りました。》
テレビに視線を向けると、一際目立つ背の高い男の後にダンボールを持った男達が続いていた。
先頭にいる男の顔は見慣れた顔だった・・・・・
カウンターの前でしつこく言い寄るいつもの顔と違って、真剣な表情には軽率な男の影はなく、正義を追求する厳しい男の顔があった。
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