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葬儀と宴会
曾祖父の葬儀は、地域の公民館でしめやかに行われていた。
曾祖父の遺体は、今は事故として処理され、未だ返却がなされておらず、出棺も火葬も埋葬もない、変則的なものになっていた。
勘解由小路にはあえて言うまでもなかったし、あの馬鹿はとっくに知っていたろうが、確かに島原の家は、代々キリスト教信仰を続けていた家系ではあった。
周囲が、キリシタン狩りで処刑、あるいは改宗を迫られる中、島原家は独自の教えを代々口頭で伝え、明治以降もそのスタイルを守り続けていた。
世界遺産になった、潜伏キリシタンとは違う。
島原の生まれたこの村は、潜伏せずに独自の教義を伝える、隠れキリシタンの村だった。
口伝を厭うた、通常の仏教徒であった祖父からすれば、村人は得体の知れない異教徒の巣窟でしかなかった。
故に、祖父の代から網元としての権威も信頼も失墜し、父親の代では、漁師ですらなくなると同時に、網元一族であった島原家は、かつて網元だった、古いだけの家になっていた。
それでも、共同体でそれなりの立場にいられたのは、曾祖父の存在が大きかったのだろう。
曾祖父がいない今、この地域での、島原の存在意義は消滅したと言っていい。
先に祖父が亡くなり、年老いた両親と共にこの村を出るのが、島原の本質的な目論見だった。
長崎市に、マンションの手配も出来た。
ああこれか。何がフリースタイル風のヒップホップオラショだ馬鹿め。
土着言語と混じり合い、何を言っているのか、判別しかねるオラショの祈りが、方々から囁かれている。
駄目だ。あの馬鹿の所為で、彼等のオラショが、シャバでサツ撃てJKまるでAKという、ギャングスタラップにしか聞こえない。
怒りで震えながら、島原は2点のことを考えていた。
事故など有り得ない。朴訥な高齢者を殺した者が、どこかにいる。
その人物の逮捕と、両親の転居。
必ず見付けてやる。警視庁の警察官の誇りにかけて。
横で、居心地悪そうにしている、志保も必ず守る。
彼女は、今28歳で、長崎市出身で、ここは全くの異邦にすぎまい。
アンデレ十字を象った戸棚が開かれていた。
隠れキリシタンにとって、Xは神聖なものであり、いかに仏教の影響下にあっても、Xがあるものを拝むが即ち、キリシタンの証明だった。
参列者が、驚愕したのが解った。どよめきと、悲鳴が聞こえていた。
本来、中は祭壇になっているはずで、中には、マリア観音が供えられているはずだった。
そのマリア観音の、頭部が引き抜き砕かれて、何かの血で、べったりと染められていた。
それだけではなかった。胴体は、黄色い塗料で塗り固められていた。
ゾワゾワとした、忌まわしさだけがそこにはあった。
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