小野寺さんは結婚したい

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11月30日(木) 居酒屋にて 『で、結局陸は?』   対面に座る未来は、首を左右に振る。 「私をさらった男たちは、あの後全員捕まったけど、陸の行方だけはわからないんだって」 『逃げるのだけは上手いわけね。どうせまた、アンタみたいな馬鹿な女を騙して、隠れてるんだわ』 「……多分ね」  またしても奇跡的なタイミングでチカが駆けつけたことで、未来は事なきを得た。  チカに次いで駆けつけた警察に保護された際、警官の顔にはありありと、「またあなたですか」と書いてあった。  確かに、この短期間で、2度も生命の危機に遭うなんて、常軌を逸している。そんな顔をされても、無理はなかった。  いっそ、呪われているとしか思えない。  未来のピンチを察し、仕事を放り出して、GPSを頼りに男たちのアジトに乗りこんだチカには、あれから嫌味と愚痴をいわれ続けているが、未来にいいかえす資格はもちろんない。  チカが車を飛ばして追跡してくれなかったら、本当に危なかった。  警察は、確実に間に合わなかった。  警察に任せては間に合わないと、自力で未来救出に向かったチカの判断がなければ、今、未来はチカの愚痴すらきくことはなかっただろう。  チカの不機嫌な顔も、2度とみられなかったかもしれない。  今は、嫌味だろうが愚痴だろうが、耳に心地よい。  戻ってきたと、実感させてくれる。  最近、未来は何気ない日常というものが、どれだけ奇跡的に成り立っているのかということを、痛いほど実感している。  平和に1日を終われることの幸せ。  1度、失いかけなければ気づくことすらない平穏という言葉の尊さ。   仕事終わりに親友と飲むお酒。  何気ない会話。  2日酔いで後悔する朝。  それすらも笑い話として変わりなく続く毎日。  憂鬱になる仕事に、反りの合わない上司。  自分に与えられた身の丈に合った環境。  その全てを享受して、生きられることのありがたさ。 「あーあ、なんで私、こんなに男運ないんだろ。もう、チカでいいよ、私」  陸のこと、未来をさらった男たちのことを、根掘り葉掘り聞かれ、うんざりしていたが、ようやく警察の事情聴取も一段落し、久々に今日、チカと居酒屋にやってきた。  ビールを飲み干すなり、未来はジョッキをテーブルに叩きつけ、早くもやや据わった目で、恒例の嘆きがはじまる。 『はあ?こっちが迷惑よ。あたしはアンタのお守りなんかやりたくないんだからね。アンタといると、心臓がいくつあっても足りないわよ。大体、なんでアンタが自分から招いたピンチに遭うたびに助けに行くのがあたしなのよ。どんだけお人好しなんだか、あたし』 「だから、チカがいいんだってば。チカなら必ず私を助けてくれるから。ねえ、私と結婚しない?私、結構いい奥さんになれると思うんだけどなあ」 『願い下げよ。冗談じゃない。アンタ、一途だの尽くすだのいうけど、本当にひとりの男を一生愛せるのか疑問だわ。すぐに目移りして、他の男に走りそう。運命の相手は他にいた、あなたじゃない!なんていってさ』 「ひどいなあ。私、浮気したことはないよ。いつだって付き合ったひとが運命の相手だって思ってる。結婚できないのは、ただ……まだ運命の相手と出会ってないだけで」 『運命の相手ねえ……。どこを落とし所にするつもりなのやら』 「妥協する気はないよ。だって一生を添い遂げるひとだもん。運命を感じなかったら、別れるのは相手にとっても誠実な判断じゃない?」 『婆さんになって、誰も相手にしてくれなくなっても知らないんだからね。あの時、あの男が運命のひとだった……なんてことになったら悔やんでも悔やみきれないわよ。結婚したいってだけなら、ある程度の妥協も必要だと思うけどね』 「駄目、駄目。それこそ相手にとって誠実じゃないよ。不満を抱えたままじゃ、風船が膨らんでくみたいにいつか爆発しちゃう。結婚相手は、よく見極めなきゃ。まだ若いうちに。色んなひとと出会って結ばれたたったひとりを見つけだす……簡単じゃないけど、運命の相手だったら、絶対にわかるはず。出会えるはずだよ」 『相変わらず重いし甘いわねえ。いやしないわよ、運命のひとなんて。好きだっていってくれる男がいるのに、贅沢な女ねえ。強欲よ。運命の相手を探しすぎて、迷子にでもなったらみてるこっちも面白いのに』 「ちょっと、興ざめなこといわないでよ。私はまだ、運命の相手を探すことを諦めてはいない。ただ、今はちょっと休憩中かな。怖い思いしたばかりだし。本物のクズを2連続で引いて、臆病になってるかも」 『それくらい慎重に男は選ぶべき。顔とか金は、判断を鈍らせる。ようやく成長したじゃなたい、アンタも』 「チカに褒められると自信がつくな。これからは、自分磨きに時間を使うことにする」 『自分磨きねえ……。きこえはいいけど……。ま、次は邪な男に引っかからないようにね。どうもアンタは、そういう男を引き当てる運命にあるみたいだから』 「やめてよ、縁起でもない。もうクズはたくさん。優しくて、誠実なひとであれば、顔もお金もこだわらない。私のことを一番に考えてくれるひとを探すんだ。1度騙されたから、もう同じ手には引っかからないよ。学習したからね、この体で、痛いほど」 『あ、そ。それはなにより。体張って助けたかいがあるってもんだわ。あたしが救ったその命、大事にしてよね』  チカは本当に満足そうに微笑むと、2杯目のビールをぐいっと煽った。 「あーあ、気がつけばもう冬だよ。今年ももう少ししかないよ。24歳が終わっちゃう。人生計画ではとっくに結婚して子どものひとりは産んでる予定だったのになあ。まさか旦那さんになるひととも出会ってないなんて。クリスマスも年越しも、今年は予定なしかあ。これから相手みつけられないかなあ」 『ほらまた危険な思考に陥る。予定ありきで恋人を探そうと焦るから、男の本性に気づけなくて痛い目に遭うのよ。別にクリスマスだろうが年越しだろうが恋人がいなきゃ成り立たないわけでもないでしょ。ただの日常の延長。世間の風潮のほうがおかしいのよ。商売人が、金儲けの手段として利用したイベントにすぎないのよ。踊らされるほうが馬鹿ってもんだわ』 「そういうチカは?今年のクリスマスなにか予定ある?」 『どうせ会社の忘年会かなにかで埋まるんじゃない?』 「色気ないなあ。チカも恋人作ったら?」 『いらない。煩わしいだけ。今は仕事とアンタがいればいいわ』 「ふーん、かっこいい……」 『アンタみたいに男には依存しないタイプなの。自立した人生を送るためにキャリアを積んでるんだから』 「チカの自立心の半分もほしい」 『まあ、心がけとしては好ましいかもね。でも、まあ、アンタにはアンタなりの目標があるわけだからね。あたしはアンタのそういうところ、否定したりはしないわよ。ブレないところとか。意外と頑固に目標を達成しようとしてるところとか』 「チカに認めてもらえるとは!」 『あたしにはアンタみたいな人生は送れないからね。誰かに甘えることもできないし、頼るひともいない。全部自分で完結しなきゃいけないんだから、そりゃ仕事に躍起になるわよ』 「チカはもうちょっと弱みをみせられる相手を探したほうがいいと思うけど」 『いいの、あたしの話は。アンタは自分のことだけ考えなさい。じゃ、改めて、未来の生還を祝って……』 「『乾杯!』」  すっかり憑き物が落ちたような笑顔を浮かべると、未来とチカは飲みかけのジョッキを合わせ、心ゆくまでアルコールを摂取した。  ああ、生きている……。  ようやく未来は、自分が平和な世界に、いつもの日常に帰ってきたことを実感し、賑わう店内に視線を巡らせると、ささやかな贅沢を楽しむ客たちをみて、幸福な気分に浸ったのだった。 12月8日(金) 仕事終わりの病院の敷地にて  仕事を終え、帰宅するために、未来が勤務先の病院を出ると、「あ、あの……」とか細い声に呼び止められ、振り返った。  振り向いた先には、未来とそう年齢の変わらなそうな長身の男性が立っていた。  若干戸惑いながらも、「はい?」と返事する。  邪険にするわけにもいかない。  声をかけてきたのは、顔見知りの男性だった。  男性は自身の靴の辺りに視線を落とすと、もじもじと、女々しい動作をしながら、言葉を続ける。    「小野寺さん、ですよね」 「……そうですけど」 「あの……実は、僕……」 12月10日(日) 焼き鳥屋にて 『ナンパされた?』 「そう。一昨日の仕事帰りに。仕事終わるまで待ってたみたいで、病院を出たところで声をかけられた」 『仕事が終わるまで待ってた?ちょっと、それって、またストーカーのたぐいじゃないの?』 「うーん、まだわからない。でも、一応顔見知りではある」 『顔見知り?』 「うん。うちの病院に通院してる患者さんなの。左腕を骨折して、しばらくうちに通ってる。だから、私の名前を知ってても不思議じゃない」 『ふーん、どんなひと?』 「すごいイケメン。すらっとしてて、顔もすごい整ってる、ちょっと陰のある感じのひと」 『それが、なんていってきたの?』 「病院に通ってるうちに、私をみかけて、好きになったって。付き合ってほしいっていわれた」 『……で、なんて返事したの?』 「ちょっと待ってほしいって。まだ高柳さんのことよくわかんないし、まずはお友達からって」 『アンタにしては理性的な対応。告白されただけですぐに頭に血がのぼって、付き合う、っていったのかと思った』 「色々経験してるからね、私も。しなくてもいいことまで。さすがに前みたいに後先考えずに付き合うことはしないよ」  『相手、高柳さんていうんだ』  「そ。高柳冬真(たかやなぎとうま)さん。すっごいイケメンではあるけど、用心するに越したことはないから、もうちょっと様子見かも」 『そのいいかたからすると、その彼に運命は感じなかったわけね。……ん?高柳冬真……?』 「そうだけど……?」 『高柳冬真って……。ちょっと待ってよ』  チカはスマホを取り出すと、検索をはじめた。  未来もその様子を興味津々にみつめる。 「どうしたの?」  チカは、珍しく感極まったように興奮すると、スマホの画面を未来に見せてくる。 『高柳冬真って、もしかして、このひと?』  そこには、カメラ目線で、こちらを鋭く睨みつける高柳冬真が写っていた。  普段未来がみている高柳とは、雰囲気がだいぶ違うので、一瞬同一人物だと思えなかった。 「あ、そう、このひと。高柳さん」 『嘘!すごい!本物の高柳冬真に会ってるのね!羨ましいわ』 「なにものなの?高柳さんて」 『『絶命』に出てた俳優よ。あたしあの映画、3回も観にいったんだから』 「ああ、毎回号泣したって、あの映画か。なるほど俳優さんね。どうりで顔が整ってると思った」 『ちょっと待ってよ……。少し前のネットニュースでその名前をみた気がする……。あ!これだ。俳優の高柳冬真、撮影中の現場で事故、左腕を骨折、だって。やっぱりアンタに告白してきたの、高柳冬真だわ!』  チカがここまで熱く男について語るのは、珍しい。  『絶命』に心酔していたようだし、チカの熱にあてられて、未来も高柳に興味を抱きはじめる。  芸能人なんて初めてみた。  いわゆる芸能人オーラは感じなかったが、そんなひとに告白されたなんて、自慢話にできるかもしれない。  一体自分のなにを気に入ってくれたのだろう。  芸能界にいれば、綺麗な女優さんなんて飽きるほどいるだろう。  そんなひとたちを見慣れているであろう高柳が、何故自分を選んだのか。  未来の体が熱を持つ。  ああ、結局またいつもの恋愛モードに入ろうとしている。  自制を胸に決めたばかりなのに。  未来は、自分のなかにわだかまる熱気を冷まそうと、冷えたビールをあおる。  火照った体はなかなか冷めない。  高柳の顔が、頭に浮かんでは消える。  チカは、串刺しの焼き鳥をくわえながら、なおも高柳を検索している。 『『STARS』所属の25歳か。業界大手の事務所ね。高校在学中にスカウトされモデルデビュー。卒業後は俳優に転身。出演作も並べてあるけど、脇役のさらに脇役ってところね。代表作はなし。いわゆる売れない俳優ってやつね』  しかしチカは、満足そうに口角を吊り上げている。 『舞台もやってるのね。『絶命』でも演技力は光るものがあったもの。将来有望に違いないわ。舞台、やるならチケットでも取ってみようかしら』  チカは、いたく高柳を気に入っているようだ。  未来は、高柳が舞台に立っている姿を想像する。  胸が高鳴った。  トクン、と心臓が脈打つ。  観てみたい、と思った。  未来の知らない高柳の姿を。  恥ずかしそうに告白してきた高柳とは違う、凛々しい彼の姿を。  ああ、自分はどうしてこうも単純なのだろう。  高柳が、売れない俳優だと知った時点で、未来のなかに焦りが生まれる。  早く手に入れないと、誰かに掠め取れてしまうのではないか。  みすみす逃すわけにはいかない。  付き合ってから、彼のことを知っていったって遅くないのではないか。  少なくとも、向こうは未来を好きだといってくれている。  あとは、未来の気持ちひとつだ。  友達からはじめましょう、でも、付き合うこと前提で。  冷静な対応をしてしまった以上、すぐに付き合うことは軽い女にみられるからできない。  芸能人だと知って、それで付き合ってみたくなったなんて、口が裂けてもいえない。  ミーハー極まりないからだ。  そんなこと知られれば、せっかく彼から寄せてくれた好意が、翻されるかもしれない。  それだけは避けたい。  きちんと素性のはっきりした相手。  立場上、はじめから未来を騙すために近づいてきたとも思えない。  自分は世間を知らない素人だが、高柳にとって今は大切な時期で、イメージも大切な職業であることから、未来はそう判断した。  彼が誠実なひとであると、決して下心だけで自分に近づいてきたわけではないと確信できたら、新しい恋をするのも悪くないかもしれない。  まだ25歳と若く、売り出し中の俳優であることを考えると、付き合ってすぐに結婚というのは、難しいかもしれない。  結婚を焦る未来にとっては、痛いタイムロス。  それを上回るなにかを彼が与えてくれたなら、それは運命の相手だ。  彼がブレイクしたりすれば、結婚は更に遠のく可能性だってある。  けれど、それこそが運命というのなら。  未来は、待つ決意を持つことができる。 『顔、にやけてるわよ』  冷たいチカの声で、はっと未来は我に返った。  いけない、またチカにお説教される。 「す、すぐに付き合うとはいわないよ。うん、いわない。彼のことをよく知ってから……」 『まだなにもいってないけど。付き合う気は大いにあるってことね』 「だ、だって、チカが煽るから!なんか惜しい気がしてきて……。今逃したら後悔するかもって焦ったというか……」 『まあ、あたしも興奮しすぎたわ。でも、煽ってはいない。あたしのせいにするのはやめてよね』 「わかってるって。慎重に、でしょ?彼が遊びでなく真剣に私のことを想ってくれてたのなら、私も誠実に向き合うよ。それならいいでしょ?」 『いちいちあたしに確認とる必要はなし。あたしはアンタの保護者じゃないんだから』 「え、似たようなものでしょ?」 『ちょっと、やめてよね。あたしに依存しすぎ。なんであたしがアンタの世話しなきゃならないのよ。いくつまであたしに頼るつもり?アンタ、あたしが死んだら破滅するんじゃないの?』 「するよ。だから、チカはいつまでも私の面倒をみなきゃいけない。私が男選びに失敗したら、正義のヒーローみたいに助けてにきてくれて、愚かな私に説法をする。私が幸せな結婚をするまで、チカは私の親みたいなもん」 『やだやだ、そんな人生いやよ!なにが悲しくて自分のこと愚かとかいってるアホ女のためにあたしの時間を削らなきゃいけないの!アンタにとって貴重な時間はあたしにとっても貴重な時間なのよ』 「だから、私が結婚すればチカはお役御免なわけよ。早く私から解放されたかったら、協力して運命の相手探しを手伝うしかないの」 『厚かましいわね、アンタ!全然あたしを巻きこんで悪いと思ってないのね。大学時代のあたし、こんな女と親しくなっちゃ駄目よ、あたしの人生が破滅するわ!』  やけ酒をあおったチカの悲痛な声が、焼き鳥を焼く煙とともに舞い上がり、換気扇から冬の街を流れ、消えていった。 12月10日(日) 未来の自宅にて  チカとの大荒れの飲み会を終え、帰宅した未来は、寝る仕度を整えると、「寒っ」とぼやきながら、ラグの上に置かれた寝袋に下半身を突っこんだ。  陸に家財を全て奪われた未来の部屋は、未だにがらんとしている。  就職とともにこの部屋に引っ越し、家電一式を揃えた。  しかし、今の未来に、家電を買い揃える資金はない。  寂しさを紛らわせるテレビと、冷蔵庫を買えば、貯金はすぐに尽きてしまう。  ベッドと布団一式を買うお金がなく、仕方なく寒さをしのぐために寝袋を買うことにした。  エアコンは陸に奪われなかったとはいえ、フローリングの床から立ち上る冷気に首を縮めながら寝袋に足を突っこみスマホの画面を眺める。  暖房器具を買うお金があれば、スマホなどの通信費に充てたいという妙に現代的な発想で、不便な生活を選んだ。  みつめる画面には、様々な役柄に扮した高柳の画像が表示されている。  ヒットしなかった映画の端役。  視聴率が悪かったドラマの死体役。  全く評価されなかった舞台の悪役。  チカのいうとおり、俳優だけで食べていくには厳しい状況かもしれない。  でも、みてみたい。  役者として大勢のひとの前に立つ高柳の姿を。   むふふ、とだらしなく笑うと、スマホの電源を落とし、寝袋にすっぽりと体を入れると、心だけは温かくなって、すぐに心地よい眠りにつくことができた。 12月15日(金) ランチタイムのそば屋にて 『相当夢中になってるみたいね』  熱々の天ぷらそばに息を吹きかけながら、チカがからかうようにいった。  相変わらずチカは猫舌だ。  それを指摘すると、不機嫌になって『第一子は総じて猫舌なのよ。親に大事にされた証』と、決まっていう。  しかし今の未来には、チカをからかう余裕すらない。  そう、実際、未来は夢中になっていた。  高柳冬真に。  あれから、チカにお情けでプレゼントされたプレイヤーで、高柳が出演した映画やドラマを漁るように毎晩見続けていた。  ちらとでも映った高柳の姿を、何度も巻き戻しては、うっとりと彼に見惚れる。  学校が舞台のドラマでは、制服姿の生徒役のなかから、その他大勢の高柳を見つけ出すことに熱中したし、殺人犯の青年役を演じたドラマを観たときには、役名がついたことに感激した。  配信でのみ視聴できる作品では、3番手、4番手の役柄も着実に増えてきている。  近年は、漫画やアニメなど2次元の作品を舞台化したミュージカルなどにも出演していて、かなりの美声を響かせている動画も、見漁っていた。  高校生から大学生、新社会人役が多いが、この先更に、演じる役柄の幅も増えれば、たくさんのひとに高柳冬真という役者を知ってもらえるかもしれない。  輝かしい高柳の将来に思いを馳せ、未来の頬は緩みっぱなしだ。  高柳の怪我は完治していた。  しかし、彼は未来の勤務先までやってきて、夕食に誘ってくれる。  会うたびに、彼に驚かされる。  毎回、雰囲気が違うのだ。  前までは、どこか陰気な、陰のあるひとにみえたのに、今は爽やかな好青年の笑みを浮かべている。  未来に、自分の職業が俳優だと知られたと知った彼は、どこか恥ずかしそうに役柄が憑依するのだと語った。  実生活にまで役柄が影響するとは、大変な仕事なのだなあ、と感心せざるを得ない。  それだけ、高柳が演技派だということなのだろう。  天職を実際に仕事にできる高柳は、恵まれているほうなのかもしれない。  普段の彼は、飾らない年相応の青年で、連絡先を交換したあと、こまめに連絡をくれる。  地に足のついた、身の丈に合った生活を送っているようで、未来を連れていく店も、リーズナブルな場所ばかりだ。  変に背伸びしない、高柳の人柄が伺えて、好感度はうなぎのぼりだ。  画面越しに観る彼と、目の前で屈託なく笑う高柳をみるたびに、高柳の全てを知るのは、自分だけに与えられた特権のような気がして、妙にこそばゆい心持ちになる。  もっと高柳冬真という俳優を認知してほしい、けれど、皆が高柳の魅力に気づいたときには、すでに高柳は未来だけのものとなっている。  そんな明るい展望まで抱きはじめている。  恋に恋する暴走がはじまる一歩手前。  興味はあるが、特に仕事の話はきかない。  高柳に、自分が芸能人だから興味を持たれたと誤解してほしくないからだ。  しかし、何回目かのデートを重ねたとき、高柳のほうから、「今度出演する舞台を観にきませんか」と誘われた。  画面越しにしか観たことがなかった高柳の演技を間近でみられる。  未来はふたつ返事で了承したが、そこでふと考えて、「友達も連れて行っていいですか?」ときいてみた。  高柳は、少し驚きながらも、いいですよ、といってくれた。  ボロアパートを見られるのは恥ずかしいので、デートはいつも、アパート手前の公園で終わる。  吐く息が白く凍りつきそうな夜、高柳は、名残惜しそうに、初めて未来の冷え切った手を繋いできた。  ふたりは、まだ恋人ではない、あやふやな関係だった。  いつまでもは待てない、高柳のそんな意思表示のようにも思えた。  求められている。  高柳の真摯な瞳が、ひたと未来を見据える。  静寂が落ちる住宅街で、ふたりは無言でみつめあう。  やがて、未来の手が温まったころ、高柳がぽつりといった。 「稽古、本当に頑張っているんです。小野寺さんに観てほしくて」  未来は、彼に抱きつきたい衝動に駆られた。  それは、いじらしい愛情表現をしてきた高柳も、同じなのかもしれない。  ふたりは互いの意思を確認し合うように見つめ合ったあと、どちらからともなく手を離して、それぞれの帰路についたのだった。  舞台の幕が開いた。  ライブやコンサートに行ったことすらない未来にとって、舞台鑑賞というハードルはなかなかに高かった。 『だからってあたしを誘わなくてもいいんじゃない?』  一緒に劇場の席についたチカは、『せっかくの休みなのに』と不満な様子を隠そうともしない。 「高柳さんのファンなんでしょ?彼が出る舞台に興味ないの?チケット取るとかいってたのに」 『あれは、勢いよ。あたしは『絶命』のファンなの。『絶命』の片瀬智久には興味あるけど、高柳冬真のファンなわけじゃないわ。それに、アンタの恋人候補の晴れ舞台を一緒に鑑賞なんて趣味悪い』  片瀬智久とは、映画『絶命』で、高柳が演じた役名だ。  確か、あの映画でも彼は非業の死を遂げる役だった。  これから初日の幕が開く舞台でも、彼は悪役で、最後は死を迎える。  勧善懲悪で人気を博した漫画の舞台化。  原作の漫画を借りて読んできたが、またしても与えられた役柄が悪役ということに、歯がゆい思いもしている。  勧善懲悪の舞台なのだから、主人公が倒す悪がいなければ始まらないわけで、わかってはいるのだが、物足りなさを感じてしまのも事実だった。  早く主役を演じられる役者になってほしい。  早く賞を取れる役者になってほしい。  早く人気も知名度も高い役者になってほしい。  そんな複雑な思いを振り切るように、舞台が幕を開けた。  漫画の再現度の高さと、圧倒的なエンターテインメントの迫力に、2時間半、未来は息をするのも忘れて魅入っていた。  役者の熱量とそれを裏切らない演出。  観るもの全てを物語のなかに惹き込む引力。  高柳の役は、なくてはならないものだった。  彼の役がいるからこそ、正義とはなにかを考えさせられる。  一筋縄ではいかない現実の矛盾を孕んだ高柳の役は、勧善懲悪のなかにありながらも、果たして彼を悪役というだけの言葉に押しこめてしまっていいのかを考えさせられる。  正義と悪が、混濁するなか、彼は死を迎える。  そこに、すっきりした結末は訪れない。  彼は本当に悪なのか。  主人公がかざす正義とはなんなのか。  どちらが悪でどちらが正義なのか、その明確な答えを提示しないまま、舞台は終わりを迎える。  終演後、現実に戻れず呆然とする未来を引きずってチカは劇場をあとにした。  ついてきてよかったと、チカはため息をつきながら未来を引っ張って電車に乗る。
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