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 母はカウチソファから立とうとしないし、着替えも化粧も始める気配がなかったから、こっちが呼びかけても、どうせ出かけるつもりなんかなかったに違いない。現実をつきつけられることほど、母と朱音にとって、大きなダメージを与えられることはないからだ。同じような体型で、同じような狭い視界に生きて、ある意味幸せなんだから、壊されたくないのは仕方ない。  本当は、目の前でぼろぼろにして、ざまあみろって足蹴にしたいけれど。  代々木上原行きの千代田線車中で、父はつり革を両手で握りしめながら中吊り広告を見上げて「ああ、あのサプリは煙草屋のトメ子さん飲んでるよ」なんて、かなりとぼけたことを言っている。  度胸があるのか、ただの鈍感なのかわからない。  朱音から「お姉ちゃぁん」野太い猫なで声を発して、すがりつかれたときは心から面倒くさいと、消えてほしいと思うほどうんざりしていたにも関わらず、それを上回る興味というか、好奇心が押し寄せてくる。  だから、いつニヤニヤするかもしれないと警戒して、唇をぎゅっと結んで、私は下を向いて、気のない返事をしてごまかしたのだった。  会社には「父親のほうがいいだろ、会社ってそういうもんだからな」とライトな感じで固定電話から父が連絡してくれて、飲酒運転なども絡んでいるため、警察が関与するかもしれない事実を、感情的にもならず、慌てず、たんたんと、きちんと伝えてくれた。  その間じゅう、電話を切ろうとする母のでっぷりした身体を必死におさえつけ、朝から取っ組み合いみたいになってしまい、腕がジンジンと痛い。  爪を噛んだり、私の腕をひっかいたりしながら「どうしてよ、どうして?これじゃ朱音がかわいそうじゃない、やめさせてよぉ!」と叫ぶ母の姿など少しも気にせず、父はあくまでも簡潔に、はっきりと会社に連絡していた。
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