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 父が足をややふらつかせながらよけると、ライトグレーの作業服を着た業者らしき、がっちりとした男性がぎょうぎょうしいほど重そうな黒くて大きなケースを携え、足早に中へと入っていく。開放感あるロビーではなく、きしんだ音をたてる、隅に養生テープを貼って破損を隠している弱そうな自動ドアが開いて、薄茶色のエレベーターがドアをごうごうと重い音をたてながら開けて、彼を飲み込むようにして、迎え入れる。  ミーティングスペースも、カフェもない。  エレベーターのドアとちょっと強めに叩いたらへこみそうな、アルミ製の壁付け郵便受けがひとつ、ぽつんとあるだけで、殺風景で狭苦しい。 家の玄関ぐらいか、下手したらそれよりも狭いかもしれない。 「朱音の言っていたビルとは、だいぶ違うよなあ……本当にここで合っているんだろうなあ?なんだか化かされたみたいだ」 「もう一回電話してみたら?そのほうが確実でしょ?」 「まあ、そう、だよなあ……ちょっと確認してみるか」 スマホユーザーが人口のほとんどを占めるなかで、頑なに「俺はこれじゃないと落ち着かないんだよ」と父は機種交換を断り「がーちゃん」とひそかに呼んでいるガラケーを、スラックスのポケットから取り出す。 デジタル社会なんだからとタブレットだけは持つようにという説得には応じてくれたし、インターネットやメッセンジャーアプリもよく使っているから同級生や会社の人との連絡手段には困っていないみたいだ。 父が確認しているあいだ、ふとこの事実を知らないのは、家で朱音が帰宅するのを待っている母だけだということに気づく。  母だけは、立派な自社ビルを構える会社に勤めている、自慢の娘であるという、おめでたい夢を見たままでいるのだ。そのほうが幸せだろうが、私としてはぶち壊してやりたい。
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