小さい女神に何を願うか

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「ああ、すまんすまん。手が思いっきり滑った」  キョーイチは笑いながら謝り、空の弁当箱を重雄に突き返した。 「家に帰って、弁当落としたから金くれって言って来いよ。いまからならまだ学校には十分間に合うだろ?」  重雄は深くうつむいたままだが、拳は固く握られている。 「ん? なんだ? 何か言いたそうだな?」  リューイチが、凄みのある声と顔で重雄の顔を覗き込む。重雄が怒っているのがわかる。僕だって同じ気持ちだ。重雄の父親は2年前に亡くなって母親だけが働いている。介護士をしている重雄の母親は日勤も夜勤もあり、弁当を作るというのは大変な作業のはずだ。だからお金を渡すだけのことも多い。それでも弁当を作ることがあるのは、ちゃんと親らしいことをしてやりたい、という母親の愛情なのだ。決して気まぐれで作っているわけじゃない。僕の両親も離婚して父がいないが、母は昼食以外はほとんど毎日作ってくれている。だから重雄のいまの怒りはよく理解できるのだ。でも、それだけの怒りがあってもこの2人に抵抗する勇気や度胸は重雄にも僕にもない。 「もう仕事に行ってるから家にはいないよ」  と言うだけで重雄は精一杯のようだった。 「あーあ。じゃあ重雄は今日はお友達じゃないな」  リューイチが後頭部を掻きながらそう言うと「ごめん」と重雄は呟いた。 「とりあえずいまある金を出せ」  キョーイチが言うと重雄は財布を渡す。 「なんだこりゃ? 320円? 小学生でももう少し持ってるぞ」  と笑いながらもキョーイチは自分のポケットにそのお金を入れた。 「学校いくぞ」とリューイチは僕と肩を組んだ。一方の重雄は「早く行け」とキョーイチにケツを蹴られている。  キョーリューの2人は制服のシャツではなく半袖のTシャツを着ているが、キョーイチはドクロの描かれた、リューイチは龍が背中から胸にかけてうねって描かれた、これまたセンスの悪いシャツを着ている。そして2人ともTシャツの袖口付近の腕や首元に少し傷痕が見える。これは度重なる喧嘩で負った傷らしく、2人は『名誉の負傷だ』と言っている。全身にはもっと多くの名誉の負傷こと”喧嘩傷”があるということだ。そんな喧嘩慣れしている2人に挑んだとしても痛い目に遭うだけだ。  教室に入るとこれもいつものことだが、みんな大騒ぎをしている。サルの檻の中で多くのサル達が激しく騒いでいる、という感じか。いや、それよりずっと酷いか。
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