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ジョフロワと……
ジョフロワと食堂に行き、席に座ってから迷うことなく「本日のおすすめランチ」を注文した。
お昼をすぎていることもあり、食堂のテーブルはうまっている。が、ちょうど一席空いたのでそこに座ることが出来た。
食堂のご主人夫婦の娘さんが、注文した「本日のおすすめランチ」を運んできてくれた。
豆の冷スープ、野菜サラダ、ライ麦パンにミートボールパスタ。
この食堂のミートボールは、最高に美味しい。
「いただきます」
手を合わせ、この料理に関わったすべての人たちや食材そのものに感謝を伝える。
それから、食べ始めた。
まさしく一心不乱に。あまりにもお腹が空きすぎている。食べることに夢中になりすぎたあまり、ジョフロワの存在など頭の中から消え去ってしまっていた。
が、それもさほどときを必要としない。なぜなら、あっという間に平らげてしまったからである。
最近は、なにかをしながらの「ながら食事」ばかりである。食べることにこれほど集中したのは、ほんとうに久しぶり。
本来なら、お喋りをしながら食事をするのが一番いい。
食もお喋りも進むこと間違いなし。理想的な「楽しい食事」だけれど、実際はそうはいかない。
(心にゆとりがない証拠よね)
空になったお皿を見ながら、あらためて実感した。
「なんてことかしら。ジョフロワ、ごめんなさい。ついつい食べることに専念してしまって」
「いいのです。あなたの食べる姿は、とてもパワフルで清々しい。見ていてスッキリしました」
(ううっ……)
いったい、いまのはなに?
遠まわしに「マナー知らずの大食漢」だって言いたいのね。
自己嫌悪。実際のところ、いまのはマナーなどそっちのけだった。そう認定されても仕方がない。
「腹がいっぱいになったところで、お茶でも飲みながら話をしましょうか」
「お茶だけでなく、スイーツ付きならご一緒します」
おどけたように言った。
こうなったら、彼をもっと驚かせたい。
『わたしは、これだけ食べた後にまだこれだけすいーつを食べることが出来るのよ』
それを見せてあげたい。
まさしく、「スイーツは別腹」を実践するのよ。
そんなムダな使命感に燃えてしまう。
「アイ、もちろんですとも。では、まいりましょう」
彼は、さっさとお会計をすませた。
「ここは、わたしが払います」、というのを無視して。
お礼とともに、つぎはわたしが払う旨を添えておいた。
そして、食堂をでたところで彼はさりげなく左肘を差し出してきた。
きつい陽射しの中、先程とくらべて人通りがほとんどなくなっている。
ジョフロワは、きっと周囲の目を気にしているのだ。いまなら人に見られることはないから。
が、さすがにこれはマズい。わたしにとっては、という意味で。
しかし、彼はキラキラ光る美貌をこちらに向けて待ってくれている。
その表情は、仔犬みたいに期待とほんのわずか不安が入り混じっている。
負けてしまった。
この一回だけ。この一回だけよ。わたしは、夫がどう思っていてどんな態度を取ろうと結婚しているのだから。人妻は、夫以外の男性と腕を組んで歩いていいものではない。
この一回だけ。そう、この一回だけ。ジョフロワは、あくまでも紳士としてレディをエスコートしようとしている。ただそれだけのこと。そんなわたしたちに、やましいことなどどこにもないのだから。
そう何度も自分に言いきかせ、彼の左腕に自分の右腕を絡めた。
そして、カフェへ向かった。
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