あの男?

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あの男?

「話があります」  そう切り出してみた。 「隣国アムラン王国に行ってきます」  一度口を開くと、言葉が勝手に口から飛び出していく。逆に口を閉じることが出来ないような勢いで言い募った。  おそらく、支離滅裂な説明だったに違いない。彼にしてみれば、なにをどうしたいのか、どうなっているのか、さっぱりわからなかったかもしれない。  とにかく、言葉が出るに任せて話しを続けた。  そして、言葉を出し尽くした。  気がつくと、肩で息をしていた。言葉の代わりに、ハアハアと荒い息が口から出ている。  喋っている間は、彼ではなく彼のうしろの窓の向こうに広がる木々を見つめていた。このときになってやっと、視線を彼へと戻した。  彼のごつい顔に浮かんでいるもの。  驚きや失望や疲れや倦怠?  いいえ、違う。  なにも浮かんではいない。まったくの無表情。  一瞬、わたしの説明がまったくわからなかったのかと思った。 「座ってくれ」  その瞬間、彼が大きな溜息とともにその一語を吐き出した。手で長椅子を示しつつ。  その通りにするにきまっている。  長椅子にそそくさと腰かけた。 「散財か?」  彼は、そうつぶやいてから小さく笑った。  ごつい顔の両頬に出来たえくぼを目の当たりにし、なぜか驚きよりもほんわかした。 「どうして散財と言ったんだ?」  一瞬、彼がなにを言っているのかわからなかった。  が、すぐに思い出した。  わたし自身が彼にそう言ったのである。  ラングラン侯爵家の大切な資産を散在しまくっている、と。 「散財かそうでないかは、調べるまでもない。そのような嘘はな」  この前、そのことで彼に問われて答えたことである。わたし自身が答えただけではない。慈善病院にまわしている資金。それをわたしがわたし自身の為に使っているようにして欲しい。管理人のマルスランや執事のモルガンには、すべての記録にそのように残して欲しいと頼んでいる。  フェリクスは、最初から知っていたのである。  ラングラン侯爵家の資産の使い道を。 「申し訳ありません。ですが、わたし自身が散在していることは事実です。その内容が、ドレスや貴金属や絵画ではないというだけのことです」 「きみは、かわっているな」  彼は椅子の背に大きな背中をあずけつつ、また小さく笑った。 「まぁいい。きみの問題の話をしよう。アムラン王国に行きたいというのだな? 流行り病を癒しに? あるいは、加護をする為に? それは、あの男の要請なのか?」 「あの男?」  またもや彼の言っていることがわからなかった。  しかし、すぐに思いいたった。  ジョフロワのことだ、と。
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