狗カフェ(いぬカフェ)

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「この数百年で人間の生活は劇的に変わりました」 ――男たちは、この状況を楽しんでいた。 「ですが、人間の身体はまったく進化をしていないのです」 ――獣のようにふるまいつつも、一定の秩序で保たれる安心感。 「想像してください。100年前の過去を。比較すると、現代社会は情報の嵐どころか、一方的な五感への蹂躙と暴力です。光、音、色彩、食事、臭い、言語、教育、そして世界」 ――言葉を使う必要がない、感情をぶつける原始的なコミュニケーション。 「便利になった分、肉体は毒のような負担に苛まれます。そんな人間の本来の寿命は三十代ぐらいだと聞きます」 ――礼儀も作法も必要ない、ありのままの自分を許された空間。 「無理やり三倍寿命を引き延ばして、過剰な栄養で肉体と生活を維持しながら、目まぐるしい情報の更新と、激変する環境に、私たちは適応しないといけません」 ――そこには女性がいない。  当然だ。飢えを意識した獣に肉を与えるようなものだ。 「自殺、虐待、いじめ、引きごもり、セルフネグレクト……起こって当然です。私たちは人間であるのに、社会が要求している水準は本来の人間以上――100年前の人間たちから見たら、私たちは人を捨てた化け物のように映るかもしれません」 ――不自由な自由。  だが、そこでしか得られない一体感と解放感。 「ですが、私たちは日々、懸命に生きています。真面目に誠実に、だからこそ、この場所が必要なのです。そう、この【(いぬ)カフェ】が!」  そう力説する、犬飼は宙に文字を書いた。  指がけものへんの軌道を描いて、この店が【犬カフェ】ではなく【(いぬ)カフェ】だと理解し、斎藤はようやく納得して落ち着きを取り戻す。 ――アオーンっ!!!  見ているだけで、目に見えない荷物を下ろしたような感覚だった。早くこの群れに合流したい、煩わしい現実から逃れて、管理された秩序の下で本能のままに自由を謳歌したい。  自分の中の爆発しそうな部分が、斎藤の喉を獰猛に震わせる。 「アオーンッ!」  気づいた時には、斎藤は完全な犬になっていた。    
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