狗カフェ(いぬカフェ)

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 聞き込みで訪れた刑事たちの説明によると、【(いぬ)カフェ】の経営者である犬飼は、某カルト教団の幹部であり、信者たちを洗脳するノウハウを活用してカフェを経営していたらしい。 「つまりね。会員になるための心理テストは、自分たちの術中にはまる都合の良い人間を選別するためのテストで、強烈な非日常を体験することで脳内物質を過剰に分泌させて、薬物中毒に近い状態にするのです」  彼らの唇から発する滑らかな言葉の羅列から、ここに来る前に同じ説明を何度も繰り返したことが伺えた。そう何度も何度も、うんざりするレベルで。  刑事たちの渋面からただよう苛立ちと、斎藤を見据える瞳には、なにも知らない被害者に対する同情というよりも、勝手に不満を溜めこんで、社会を逸脱しようとした罪人を、心の底から軽蔑するような冷たい色が滲んでいた。 「貴方は幸運でしたよ。五回以上も続くと、犬飼の所属しているカルト教団に勧誘されて、修行と称して全裸で山中を彷徨(さまよ)うハメになる。……まったく、保護した当人たちが、カルト教団に騙された自覚がないのだからタチが悪い」 「…………」  もうこれ以上、なにも知らない人間の、正義に酔った一方的な言葉を聞きたくなかった。無自覚な尖った言葉(キバ)で、狗カフェでの体験を罪人の所業(しょぎょう)として、(おと)められているようで耐えられなかった。 「…………じゃない」  思わず感情が喉をつくも、これ以上の言葉が続かない。  負け犬の遠吠えにも至らない呟きが、血の気の失せた唇から零れ落ちるだけだ。 「はい、なんですか?」  聞き返す刑事の目は――狼のような、獲物を狙い定める獰猛な目つきだった。少しでも反論があれば、斎藤の意思を完膚なきまで打ち砕こうとする強い意志を感じた。   「いえ、なんでも」  自らの敗北を悟り、斎藤は目をそらした。  一刻も早く、この苦行から逃れたかった。   ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「それでは、ご協力、ありがとうございました」 「いいえ」  日が傾いて、刑事たちが引き上げたころには、斎藤はすっかり去勢された犬のように従順になっていた。  ため息をついて部屋に戻ると、じわじわと言い知れぬ恐怖が蘇ってきて戦慄する。  今頃、井堤の家にも刑事たちが来ているのだろう。  自分の場合は、利用したのが一回だったからあっさりと解放された。 『、紹介一名追加で』  だが井堤は違う。何度も【(いぬ)カフェ】を利用し、斎藤の他にも新規会員を紹介していた可能性がある。  井堤本人は善意で【(いぬ)カフェ】を紹介していた。しかし、犬のように毎日悲鳴をあげている経理部の人間ではなく、あくまで斎藤のように合格できそうな、自分の利益が見込める人間を選んでいたのだ。  警察が井堤の善意をどのように解釈し、井堤自身も、この事実をどのように受けとめるのか、斎藤が知る(よし)もないし(すべ)もない。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「…………」  斎藤は窓を少し開けて服を脱ぐ。  五感が研ぎ澄まされて、肌を撫でる陽光の温かさと、季節の花々の香りを楽しんで、見上げるように窓の外を見た。  オレは結局犬で、狗になることが出来なかった。  全裸で山中を彷徨う男たちは、恐らく四つん這いになって群れを成し、五感どころか魂ごと、自然と本能に身をゆだねていたのだ。  本来の人間が得るはずだった幸福――理解できない人間は、カルト教団のせいにできれば安心できるのだろう。  けど、斎藤は自分の考えを、これからも言うつもりもない。訴えて周囲の環境を変えるつもりもない。  自分が出来ることは、休日が明けて会社へ出社しても、いつも通りに振舞うこと。同僚たちと愚痴をこぼし、心の中で世の中を恨みながら、腹にたまった黒い毒を吐くしかない。 ――その毒が犬の悲鳴に変わって、経理の人間のように声を上げるのも、そう遠くはない未来なのだろう。  その日、斎藤は夢を見た。  自分も含めた多くの人間が一斉に服を脱いで全裸になり、犬のように雄たけびを上げながら、180度の草原を四つん這いで駆け抜ける。  狩に精を出し、雌と性交して、子を成す。原始的な生活。  目が覚めると、勝手に涙があふれて、犬のような嗚咽を漏らした。  社会の鎖に繋がれることを選んでしまった後悔と、このまま狗カフェやカルト教団に関わらず、日常が壊されないで済んだ安堵がせめぎあい、斎藤はベッドの上で胎児のように背中を丸めた。 【了】2bfcdb89-aa2a-4422-9766-a6891d5d22e0
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