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成人の儀(3) 私の使い魔の名は
「ライラ嬢。中央に進んでください」
「はい、神官様」
アルゴン王国に伝わる神話のひとつ。
***************
人間はその存在を《神》と呼びますが、かの御方には決まった名前がありません。
神は高みにおわするために、人はその名を知ることすらできないのです。
人間に遣わされし動物は、神が庭で愛でる生き物。
神は動物を通じて人間に神力をわけてくださいます。
遣わされた動物は、人間の元でよい働きをすることで、死後に大きな恩恵を授かることができるのです。
***************
そんな神話の一節を思い返しながら、ライラは聖堂の中央に立った。
囲いで仕切られてはいるものの貴族の成人の儀は貴族であれば観覧自由になっていた。
現にそこそこ人がおり、ライラの方をじっと眺めている。
今日がひきこもり令嬢の成人の儀だということは知られていないだろうし、誰も興味ないだろうとは思いつつ。
見れば若い令嬢や子息も数人観覧していて、ライラはどきどきしながら胸の前で手を握り、数度咳払いをしたのちに指定の言葉を紡いだ。
「す、すべて神の御心のままに」
一瞬、聖堂の温度が氷点下まで下がったような冷え冷えとした感覚を覚えた。
寒さに震える間もなく聖堂の床に刻みこまれた幾何学模様が一筋ずつ光り始める。
次第に大きな光の塊になり、足元を金色の光が包み込む。
あまりの眩しさに眼を閉じかけた時、何かがはじけるような、パン!という小気味よい音と共にモヤのようなものがわっと辺りに広がって光は瞬時に収束した。
その間、僅か数秒。
その場に立ち尽くして内心興奮しながらモヤが晴れるのを待つ。
私の使い魔はどんな子かしら?
召喚される動物の種類は20弱だが、人によってどの動物になるかは様々だった。
モヤは晴れてきたがまだよく見えない。
だいぶ小さくて丸いものが床にいる。
子猫かしら?
たしか母の使い魔は猫だった筈。
ふわふわの毛並みを想像して心を踊らせる。
仮に猫でもそうでなくてもいい。
たとえやんちゃでもひねくれものでも絶対大事にしてみせる。
我慢できず一歩近づく。
カツンと靴が音を出し、床の丸いものが身じろぎする気配がした。
慌てて足を止める。
びっくりさせてしまうのがかわいそうで、床にそっと膝をつく。
それは令嬢としては不適格な仕草ではあったが気にせず、じりじりと静かににじりよって、
「―――へっ?」
人生最大にひどい間抜け声が出たように思った。
そこにいたのは猫でもウサギでもモルモットでもなかったのだから。
「へ、へび?」
ブラウンの体色で背中に水玉模様のある小さな蛇がちょこんと存在していた。
とぐろを巻いており、片手の掌サイズしかない。
その蛇はゆっくりと頭をあげてライラを見上げる。
ライラは声を絞り出す。
「は、じめまして」
落ち着かなきゃ。
「私はライラ」
種族が違えど挨拶は大事の筈、多分。
努めて冷静を装う。
蛇の使い魔なんて聞いたことがないが、勉強不足なだけかもしれないから。
蛇はじっとライラの方を見上げている。
それから小さな頭を傾げて。
『やあライラ。会えて嬉しいよ』
頭の中が真っ白になっていく感覚を覚えた。
「......は、い?」
蛇は左右を力なく見渡して、
『ねえ、ここすっごく寒くない?ボク早速冬眠しそうなんだけど...』
待って。
待って、ちょっと待って。
ライラは混乱しながら息を吐く。
「あなた話せるの?」
『なにを?』
「人間の言葉を」
『......よくわからないけど、会話はできてるでしょ』
「え、ええ」
『なにか問題ある?』
大ありだ。
この状況は明らかにおかしいのだ。
話す使い魔はいるにはいる。
オウムなどの鳥がそう。しかし、会話でコミュニケーションがとれる使い魔なんて聞いたことも見たこともない。本でも読んだことがなかった。
急に不穏に思って、ライラが身を屈めたまま周囲を見渡した瞬間、
「きゃあああああああああああああああああああ!!」
鼓膜に響く悲鳴があがった。
聖堂に反響する声に蛇もびくっとして小さい体を更に縮める。
「あいつ話してるぞ」
「危険生物じゃないか」
「蛇なんてあり得ない」
様々な声が飛び交い、響き、混乱が生じる中。
たった一言、ライラの心を貫いた言葉があった。
「き、気持ち悪い!」
見知らぬ令嬢が扇で顔を半分以上隠しながらも、金切り声で吐き捨てるように言ったのだ。
「たとえ危険生物でなくても蛇よ!気持ち悪い、早く退治して!!」
「......なんですって」
体中の水が一気に沸騰するかのような感覚が奔った。
何故そのような言葉をかけられなければならないのか。
この子はただここにいるだけ。
小さな体を縮こまらせて。
誰かを傷つけたわけでもなく、ただ存在しているというだけで。
そんな道理、あってたまるものか。
ライラが怒りの言葉を吐こうとしたその時だった。
「無礼者。騒ぐな」
フードの人物が大きく鋭く言い放った。
堅い口調とは裏腹に涼やかな若い男性の声だった。
殺気を孕むその声に、シンと観覧は押し黙る。
「皆忘れるなよ。今日がライラ嬢の晴れの日だということを。侮辱の言葉しか持ち合わせない者は即刻この場を立ち去るがいい」
ライラは怒りを忘れて目をぱちぱちとしながらフードの男を見つめる。まさか優しい言葉をかけてもらえるなんて思ってもいなかった。威圧する声の中に気遣いを感じて嬉しかった。
観覧者が静かになったところで神官が声をかけてきた。
「ライラ嬢、そこから離れてください。その生き物は人語を話している。神の庭で蛇を飼っているというのも聞いたことがありません」
しかしライラは動かず、黙ってその場に立っていた。
蛇は寒さと怯えによってかすっかりしゅんとしている。今自分が離れればこの子は間違いなくひどいめに合わされる。それが目に見えている以上動くことなどできなかった。
そもそも自分の呼び出しに応じてこの子はやってきたのだから。
私がこの手で守らなければ。
熱い闘志がたぎる。
最適解は何か。
この国では使い魔は呼び出した者の所有物となり、みだりに攻撃したり奪取することはできなくなる。
そして呼び出した使い魔を所有するために必要なことはただ一つ。
固有の名を与えること。
召喚前に名前を考えておく人と召喚した生物を見てから考える人とで二分されるらしい。ライラは後者で何も考えてきてはいなかったが、ぱっと出てくる名が一つだけあった。
意を決して腕を伸ばし蛇の体をわしっと掴んだ。
小さな体はすっかり冷え切ってかちこちだった。
『うわあ!』
驚く声ごと両手で包み込み、立ち上がって胸の前に手を据える。
視界の端でフードの男が笑った気がしたが、気のせいかもしれなかった。男の傍らでは父ギリアンが額を押さえているのが見えたもののもう後にも退けなかった。
「なっ...!!ライラ嬢!そ、その蛇を離しなさい!!」
神官の憤慨する声が上がり、父が囲いを跳び越えてこちらに来ようとしているのも見えてライラは焦る。
どうしよう。
名前候補はひとつしかないが一応。
「あなた性別は?」
『お、おとこ。オス』
「そ、よかった」
ギリアンは娘を守り落ち着かせようと腕を伸ばす。
「ライラ落ち着きなさ―――」
「ギルバード!」
ライラは父の言葉を遮り大きな声で言い放った。
胸の中で湧き上がる不安や恐れや怯えには一切気づかないふりをして力の限り宣言した。
「ギルバード。神から与えられた私の使い魔の名です!何人たりとも、絶対に手出しはさせない。たとえ、お父様であっても。攻撃するなら、私の心臓ごと貫けばいい」
身の震えを抑えて立つ。
赤紫色の瞳は強い意思を滲ませてギラギラと輝く。
ギリアンはその場で歩を止めていた。
娘の発した言葉や名前が彼を立ち止まらせていた。
ライラ。
何故その名前を。
『―――あっ!』
緊張する空気を打ち破るように両手の内から素っ頓狂な声が上がる。
『や、やばい』
「...えっ?」
床がみしりと揺れる。
『ライラ、ムシっぽい』
ムシ?
「ムシって―――」
詳細を問う間もなかった。
大きな地鳴りがして聖堂内は狂乱する。床が揺れてあちこちで悲鳴が挙がる中、気づけば父がそばに来ていてライラの身を守るように支えていた。
揺れと埃とで視界がぼやぼやと霞む中、見ればフードの男は席を離れて窓辺から外を眺めている。ステンドグラスから差す光の下、黒い影のような男の立ち姿は美しくも退廃的な絵画のようでライラは思わず魅入ってしまった。
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