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成人の儀(4) 何故、王子様がここに?
揺れが収まり、暫くして。
聖堂内で散らばっていた者達は全員窓辺に集まり、唖然として外の景色を眺めていた。
それは神殿がある場所からそう遠くない地点。
小さな商店が数軒まばらにある場所で、家屋を倒壊させ土と埃を巻き上げながら巨大なムカデのような生物が三体ノロノロと地中から這い出てくる姿が見えた。
そういえば、と観覧に来ていた男達が慄きながらもぼそぼそと会話し始めるのでライラは耳をそばだてる。
「今朝西の森で出たっていう危険生物、アイツらのことなんじゃないか?」
「それは精鋭部隊が討伐した筈だ。森はここからかなり離れているし途中に川だってある。来られる訳がない」
「となると今朝のとは別か」
「そうだろうな。もしかしてあの蛇と関係あるんじゃ...」
その時、
『関係ないよ』
ライラの指の隙間から蛇―――ギルバードがズボッと顔を出して言ったので男達は仰天して飛び上がった。
ライラはギルバードの背を親指で軽く撫でる。
「大丈夫?元気になった?」
『まあね』
寒さで暫く手の中で縮こまっていたのだが、人肌で暖められたことで幾分動けるようになっていた。
ギルバードは頭をもたげて舌をピロピロとして、
『うーん、改良かなにかされてそうだけどにおいはほぼムカデだね。短時間なら潜水もできると思う。森がどこにあるか知らないけど土を潜ったり川を泳いだりして普通にここまで来ちゃったんじゃないの?』
普通に会話に参加してきた蛇に男達は渋い顔をし、見知らぬ令嬢はひどく不快そうに顔を顰め、神官は不気味なものを見る目を向ける。しかし当の本人は気に留めるそぶりもなく、舌をピロピロさせながら頭を傾げた。
『あれ?哺乳類ともかけてるのかな。もう少し近づかないとわからないけど、このにおい多分にんげ―――』
「近づくことはゆるさんぞ」
ギリアンが途中口を挟み、ライラも近づくのはごめんだと内心思った。その時別の話し声が聞こえてきたので横を見ると、フードの男とその従者とが少し離れたところで会話をしていた。
「ロッソが探知したのは2体のキメラでした」
「同じ種か」
「恐らく。目は獣らしいです」
「......そうか。だいぶ土深くに隠れていたんだろうな。イーゴは一時退避させていい。あとついでに俺の剣持ってきてくれ」
従者は頷いて足早にその場を離れて行き、その場に残った男は一瞬ためらうそぶりをしたのちに顔を隠していたフードを下ろした。黒くさらさらとした髪、金の瞳を持つ整った顔立ちが顕わになり、皆何の気なしに男を見たかと思えば。
「―――はっ?」
ライラとギルバード以外全員息を飲んで、高位の者に対する一礼をした。
「ライラ、アラン王子だ」
父に耳打ちされ、ライラも驚きながら一礼をする。
アラン王子。
アラン=レオニダス=アルゴン
この国の第二王子。
ライラの頭の中は疑問符でいっぱいになる。
王族がこんなところで何をしているの?
お忍びみたいだし、もしかして他人の儀式観覧が趣味とか......?
ちらと一瞬だけアランを見る。
若い。
現王が高齢のため王子も既に父親世代くらいかと思っていたが、目の前にいる彼は20代そこそこにしか見えなかった。
「いいから。皆顔をあげてくれ」
フード付きの外套を脱いでアランは言った。
彼が纏う黒地の装束には金糸で刻まれた王家の紋章の獅子が輝いており、ライラは冷や汗をかく思いで小さく深呼吸をした。蛇を召喚し巨大ムカデの出没に居合わせたというだけでも思考が追いつかないのに、ダメ押しで王子と対面。
これまで社交を拒絶していたツケをまとめて払わされている気がして気が滅入った。
すると、
「失礼ながら、何故アラン王子がここに」
ギリアンがそうアランに尋ね、ライラは下向けていた目を上げて父を見た。
「侯爵令嬢の成人の儀など見るに値しないでしょう。何故わざわざいらしたのですか」
その目と声は警戒心をはらんでいた。
たしかに王族がいるには不自然な場ではあるのだが、父がこのように、不遜とも取れる態度でアランに話し掛ける理由はこの時のライラにはわからなかった。
アランはギリアンに目をやりながらさらりと答える。
「深い意味はない。神殿周りの視察があって"偶然"寄っただけだ」
「......偶然、ですか」
「ああ。まさかこのような事態に出くわすとは思わなかったが寄っていてよかった」
ギリアンはそれ以上何も返さずに息をつき、ライラは二人のやりとりを黙って見ていた。
「アラン様!剣お持ちしました」
その時彼の従者が小走りに戻ってきて、アランに剣を三本手渡した。剣を受けとるとアランは従者の肩にぽんと手を置いて、
「彼の使い魔に確認してもらったが、あそこにいる住民達は全員逃げ出せたようだ。食われた形跡もない」
人々の間にほっと安堵の吐息が広がる。
「それと、今朝の危険生物も大きな2体のムカデだった。そちらは早々に退治されたが、未発見だった3体がこちらにきたと思われる。見えているのが3体というだけでまだ地下にいるかもしれないが」
『今この付近にはいないよ』
ギルバードがまたも舌をピロピロしながら話に割り込み、ライラは失礼よ、とギルバードの頬をつまみ、それを見てアランはニヤリと笑った。
「へえ。探知スキルか」
ギルバードは頭を傾げる。
『さあ。嗅覚と振動で普通にわかる範囲だけどね。熱感知できる蛇もいるけどボクにはできない』
「そうなのか。まあいい。3体のみならやってくるか」
まるで散歩にでもいくような気軽さでアランは言い、ライラは信じられずに瞠目する。以前父から第二王子は剣士であると聞いた記憶があった。実際アランがいるとわかってからは聖堂の緊迫した空気は穏やかなものへと変わっていた。
しかし複数の大ムカデをたった一人で倒せるのだろうか。
そんなライラの考えを察してかギルバードは言った。
『3体とも動きが鈍くてごはんを食べるそぶりもない。寒くて弱っているんだと思う。毒牙にさえ触らなければ退治は可能だよ。多分強いんでしょ王子』
ライラはノロノロと地を這うムカデを見る。
あのムカデ達は弱っているのか。
そう聞くと急に可哀想に感じ、恐怖を感じたり気の毒に思ったりと大概自分勝手だと思った。
「ねえ、ギルバード」
ライラは視線を落とし、手の中の蛇に話しかける。
「あの蟲は改良されていると言っていたけれど、人間によって作られた生物ということ?」
『そうだと思うよ。ムカデなのに獣のにおいがする。普通に産まれたらあんなヘンテコ生物になんてなるもんか。作った人間が意図的に襲わせてるのか、飼っているのが逃げたのかはわからないけどさ』
「そう」
であれば彼らはひとつも悪くない。
悪いのは作出した人間だ。
でも――――――。
「このまま放っておくわけにもいかないし、捕獲するにしてもメリットがない以上は駆除する他ないわよね」
『メリットね。無理やりひねりだせなくはないけど割に合わない。駆除より段違いに大変だし流石の王子も死んじゃうんじゃ、あうっ!』
後頭部を指の腹でぺしと叩かれ、ギルバードはくるっと振り向いた。
『ひどい!』
「駄目よ。縁起でもないことを言うのは」
『可能性としてはあり得るでしょ?王子だって人なんだから』
「口、縛るわよ」
『動物ぎゃくたい、ダメ絶対』
「お前達、静かにしなさい」
ギリアンが低く窘め、ふたりはスンと静かになる。
すると小さく噴き出す声がして、見ればアランが笑っていた。
「申し訳ありません」
父と娘揃って鉄面皮のまま同時に謝ると、アランはなおも笑いながら顔の前でひらひらと手を振って言った。
「いや、ごめん。いいんだ。なんだか意外で面白くて」
間近で見る英雄一家のやりとりはこんな時でさえほのぼのとしたものに見える、などと言える筈もなく。
「ギルバード、君が考える捕獲のメリットがあるなら一応教えておいてほしいんだが......おっと」
急にアランが目の前に来たかと思えば、身を屈めて見つめてくるのでライラの心臓は大きく跳ね上がった。
「な、なんでしょうか」
「彼があまりに流暢に話すので失念していた。知恵を借りるにしても君の使い魔だったな」
「あっ...はい」
許可取り?
王子なのに細かいところで気を遣う人らしい。
「私の使い魔が有用でしたらどうぞ。お役に立てれば幸いです」
「ありがとう」
『ちょっと』
ギルバードはシュッと噴気音を出す。
『捕獲は割に合わないって言ってるのに』
そう文句を呟きながらも彼がひねりだしたメリットは大体こんなことだった。
一つ、研究用の毒を継続確保できること。
一つ、動物の骨や残滓処理に使えること。
一つ、脱皮した殻や排泄物を肥料に転用可能なこと。
『.....これくらいしか浮かばないや。前提としてムカデを収容する施設と意思疎通できない生物の管理や研究をしたがる人材が必要だ。施設なんかは今から準備だと間に合わないし現実的ではないと思う』
「難しそうね」
ギルバードの言う通り、施設の準備然りあのムカデをわざわざ飼育したいと思う人物がいるとはライラには到底思えなかった。
しかしアランは少しの間考え込み、
「わかった」
それだけ言うとさっと身を翻し、剣を携えて従者とともに聖堂を出ていってしまった。
「回収部隊への伝達を頼む」
アランは脱いだ外套をセーブルに押し付けて、返事も聞かずに三本の剣の内一本を抜いて走り出した。黒い装束を翻し、石畳を駆け抜けて神殿の高い塀をも難なく跳び越える。石造りの家の屋根を駆け登り、上から対象の位置を把握する。
その駆ける速さや跳躍力は並外れており、見ている者は驚愕と感嘆の声を漏らしながら声援を贈る。
時を待たず、アランは巨大ムカデと対峙する。
三体のムカデはアランを視認した途端に硬質な身をバキバキと鳴らして咆哮を上げ始めた。数百の脚で石畳を突き刺して破壊し土埃を巻き上げながら、猛然としたスピードで襲い来る。
アランは逃げることなくその場に立ち、ムカデの動きをじっと眺める。
土中に潜られるより、このまま地上にいてくれた方が余程楽だ。
そう胸の内で呟いて、今頃聖堂から自身を見ているに違いない英雄と彼の娘とに思いを馳せて緊張する吐息をつく。
対象は複数だが弱っている。
そんな相手であればアルゴンの戦士として、負けることはおろか傷を負うことすら許されない。
ムカデはアランを逃さないようにと左右からとぐろで巻くように素早く囲む。
毒牙を突き刺そうと頭をグンと下げる。
赤くギラつく獣の目が迫る。
次の瞬間、アランは剣を大きく一閃して二体の首を同時に迷わず斬り頭部を落とした。剣からは金色の光が火花のように弾けて大きな爆発音を鳴らし、ムカデの体は斬り口からぼろぼろと崩壊し始める。
残り一体。
アランは二体の死骸を踏み台にしてとぐろの中から脱し、土中に逃げようとしているムカデの首の付け根目掛けて剣を横薙ぎに振り抜いた。その剣筋はほんの少し外殻を掠めたのみに過ぎなかったが、ムカデはその身に強い衝撃を受けて硬直したかと思うと、体を左右に揺らしてどうと地面に倒れ伏した。ろうそくの火を吹き消すように、赤い獣の目からフッと光が消える。
周囲から歓声が聞こえてくる中、アランは勝利に喜ぶでもなく地に膝をついて陽光にすかして剣を確認した。
思わず、はあ、と大きくため息をつく。
薄っすらとだが刃にはヒビが入っていた。
「アラン様!」
立ち上がって振り向けば、肩に鷹を留まらせてセーブルが走り込んできた。
「お見事でした。もうすぐ回収部隊が来ますので少しお待ちを。怪我は?」
「ない。だが拙い剣を見せてしまった」
気落ちした口ぶりを隠せずに言って剣刃を眺め、鞘へと納める。
「そんなことありませんよ」
セーブルは本心から言って頭を振った。
三体の巨大ムカデ相手に数分で勝利したのだ。誰が拙いなどと思うだろうか。
「この後どうされますか。王城に戻られるのでしたら馬車を用意しますが」
「......いや、まだやることがある」
アランは装束についたムカデの血を隠さんと、セーブルから外套を受け取って手早く羽織った。
遠目に危険生物回収部隊の姿を認めて、
「彼らに蟲を引き渡したら聖堂に戻る。俺が間に入らないとまずいことになるから」
そうだ、気落ちなどしている場合でない。
金の瞳で神殿の方角を眺める。
キメラ出現よりこっちの方が重大案件だ。
彼を怒らせるとどうなるか誰にもわからないのだから。
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