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成人の儀(5) 変化するなんて
浅い眠りから目を覚まして、ライラはベッドから身を起こす。
時は進み、成人の儀から少し経った頃。
スリッパに足先をそっとすべりこませて窓まで歩き、カーテンを少しだけ開けて外を見る。
外はまだ真っ暗。空には星の瞬きさえ見えている。
ライラはふうと息をついて鈍痛がする目頭を指で押さえた。
ここ最近いろいろと目まぐるしく、不安もあって眠りが浅い。
二度寝できる気もせず、ベッドには戻らずにソファに腰掛けてクッションに身を沈ませた。
あの日、窓から見えたアランの姿は闘神のようだった。
輝く金色の光と蟲の断末魔、落とされた頭が地面に落ちる映像とがしっかり脳裡に焼き付いてしまって暫く忘れられそうになかった。
一方隣で見ていた父はといえば、物思いに耽る眼差しでアランを眺めて佇んでいた。
アランは二匹倒し、残った一匹は気絶させるに留めていた。
恐らくギルバードがひねりだしたメリットの中に有用なものが含まれていたのだろう。
「流石はアルゴンの英雄」
聖堂に戻ってきたアランには口々にそんな賛辞が掛けられた。
しかし彼は何も言わず、自慢するでもなくただ笑っていた。
***********
「侯爵、ライラ嬢とその使い魔とを連れて帰館してもらって構わない」
アランは神官達と何やら言葉を交わした後、彼らの不服と言わんばかりの顔を無視してギリアンにそう告げた。戦闘の後にも関わらず彼は汗ひとつかいていなかった。
「ギルバードの件については日を改めて話せればと思う。後日使者を送るから少し待っていてほしい」
「......ありがとうございます。使者の件も承知しました」
ギリアンは頷き一礼をする。
少し間を置いたのちに、
「僭越ながら見事な剣技でした」
アランは思案気に伏せていた瞳を上げる。
ギリアンは続けて言った。
「剣の腕については以前から聞き及んでおりましたが。見たところ、王子は体術の方もかなり研鑽を積まれているのではありませんか」
「......まあ、多少は」
アランは落ち着かない様子で頭をかく。
「だが剣術も体術も貴殿の活躍には到底及ばないと思っている。よければ今度手合わせ願いたいんだが...」
「私は戦士を辞して長らく経ちます。王子の相手など最早務まりませんよ」
「ではせめて、私の剣技で至らない点があったなら教えてほしい」
「至らないということではありませんが、もし神力が枷になっているようでしたら、調節するためのトレーニングをするのがいいでしょう。例えば柔らかい物と硬いものとを―――」
「なんだか楽しそうね」
ライラはギルバードに話しかける。父とアランの会話内容は当たり障りないものに聞こえたが、意外なことにアランの横顔は真剣そのものだった。
『あの人誰?強いの?』
ギルバードは尻尾でギリアンを指し、ライラは小さく肩をすくめる。
「お父様よ、私の。元剣士らしいけれど、もう辞めてらっしゃるし詳しくは知らないわ。王宮で稽古をつけていたそうだし強いのではないかしら」
『そうなんだ。ボクも手合わせしてみたいなあ』
「......手?」
ギルバードのひょろりとした体躯を見ながらそう返せば、ギルバードはうるさいとでも言いたげに頭を上げてシュッと噴気音を出した。
アランは熱心な会話を終えたのち、ライラに視線を移して歩み寄ってきた。
「ライラ嬢」
「はい、なんでしょ―――」
急に手を取られて言葉を失う。
見上げるが、穏やかに輝く金の瞳が眩しくて目を逸らす。
「騒がしい事態にはなってしまったが、そのぶん思い出深い日になったと思う。貴女と貴女の使い魔の未来に神の加護があらんことを。成人おめでとう」
そう言って、アランはライラの白い手の甲に口づけを落とした。
「あっ......ありがとうございます」
これくらいのスキンシップ、社交界では当たり前。
同世代の令嬢ならきっと慣れっこなのだろう。
しかしライラにとっては初めての経験で、しかも相手が相手なだけにものすごく気恥ずかしかった。
それでもアランの言葉が嬉しくて、どうか今の気分が顔に出ていませんようにと祈りつつ平静を装った。
その後ライラは神官や見知らぬ令嬢達から微妙な視線を浴びせられつつ、父とギルバードと共に馬車に乗り込み帰途につくことにした。
「......。」
緊張のあまり無言のまま父の対面に座す。
ムカデ騒動で有耶無耶になってしまったものの、今日は5年ぶりに外に出たにも関わらず、怒鳴ったり言うことを無視したりと令嬢にあるまじき振る舞いばかりしてしまっていた。
恥ずかしい娘だと思われても仕方ない。
叱責されるに違いないと思って俯き身構える。
しかし、ギリアンが開口一番言ったことには、
「何故"ギルバード"なんだ?」
「...はい?」
「使い魔の名前だ。何故ギルバードにした」
「特に理由はありません。ちょうどたまたまなんとなく思いついただけで」
手紙のことを言っていいものかわからなかったため、しどろもどろになりつつ煙に巻く。
「不都合ある名前でしたか...?」
「いや、不都合ということではない」
ギリアンは眉間に寄せていたしわを少し緩めて、
「亡くなる少し前にリィンが話していた。次はきっと男の子を授かる、名前はあなたの名前からとって《ギルバード》にしよう、と。お前には言っていなかったように思うんだが」
「......あ」
衝撃で出そうになる大声は飲み込んで我慢する。
弟の名前?
生まれては来なかったものの。
母が何故それを手紙に記したのかは不明だが、ライラも勢いで名付けてしまった手前申し訳なくなって、
「あの、この子には悪いですけれど名前変えましょうか。まだ登録されていないでしょうし」
使い魔の名前は成人の儀当日に記録され、神殿によって情報が保管される。今日はその登録過程を経ずに帰館しているため名前の変更は可能なように思われた。
『好きにしなよ。ボクにとって名前は重要じゃない』
さして興味もなさげに答えるギルバードだったが、ギリアンは首を左右に振って言った。
「その必要はない。驚いたのと少し感慨深かっただけだ」
それはさておき、と彼はまた眉間にしわをよせる。
「王宮から使いがくるようだが、一波乱二波乱ありそうだな。アラン王子が口利きしてくださる可能性は高いが、神殿にとってギルバードが疎ましい存在であるということは間違いない」
「疎ましいって...何もしていないのに」
ライラは手のひらにいるギルバードを見る。
こうして見る分には無害な子ヘビにしか見えないのだが。
とても小さいし。
「あなたって子ども?これから大きくなる?」
『体は大きくならないよ。精神年齢はきっとライラと同じくらいだから子どもでいいのかもね』
「私は大人よ。成人したもの」
『子どもに見えるよ。背低いしちっちゃいもん』
「貴方は小さくてひょろひょろじゃない」
「ライラ、ギルバード。喧嘩はやめなさい」
「けんかじゃないわ」
『けんかじゃないよ』
戸惑い顔をする父はさておき、ライラは微かにため息をつく。
「ひとまず、私はアラン様が味方になってくれることを祈ります。お優しい方のようでしたから」
金の双眸を思い返しながら、ライラは憂う瞳で言った。
「乗りかかった船と思って、なるべく穏便に収まるよう口添えをしてくださらないかしら」
誰にも目をつけられず、目立たず静かに穏やかに暮らしたい。
今日観覧にきていた貴族達が噂を広める気がするので今更難しいかもしれないが、平々凡々が一番だ。
そう平和を熱望するライラの胸中も知らずギルバードは、
『ライラ、社会的地位があって顔もいいからって、少し話しただけの男をすぐ信じるのはよくないよ』
「不敬よ」
すかさずたしなめるが、見れば目の前に座る父もうんうんと深く何度も頷いていることに気がつく。
「私もギルバードと同じ意見だ。たとえ王子であってもすぐに信用してはならない。話し掛けてくる男は全員狼だと思って行動しなさい」
ライラはあ然として父を見る。
婿を取る際に精査をすると言われたけれど、王族すら疑う父の御眼鏡に叶う男性はこの世に果たしているのだろうか。
***********
カーテンから朝の日差しが差し込んできて顔にあたり、ライラははっと目を覚ましてソファーから身を起こした。
あの日の出来事を思い返している内に、どうやら寝落ちしてしまったらしい。
体にかけていた毛布を横に置いて立ち上がる。
大きくのびをして、腕を上げたままはたとその動きを止める。
毛布?
私、かけたかしら。
『おはよう、ライラ』
ライラは軽いめまいを覚えて頭を押さえた。眠りを浅くしている原因が今まさに脚を組んでベッドに腰掛けている。
彼は心配そうな目をして首を傾げる。
『頭痛?風邪ひいた?』
「風邪なんてひいたこともな......そうじゃなくて、なんでその姿なのかしら」
『だって、毛布をかけるには手足がいるから』
青年は赤い目を細めて両手を広げて見せながら、気まずそうな顔をして言った。ゆったりとした白装束を長身に纏い、腰下まである長い銀色の髪は緩く編まれている。元の姿とはおよそ似ても似つかない、異国の風貌を持つ美青年がそこにはいた。
『見慣れないと思うけど、そろそろ慣れてもらわないと』
そう文句を言いつつ、毛布をかけた後ライラから離れた場所に座っていたあたり一応配慮はしてくれているように思った。
「そうね、わかっているわ。でもまず服をちゃんと着て頂戴」
暑さ調整なのか気を抜いているのか、胸元がやや開いているので目のやり場に困るのだ。ギルバードはやれやれと言いたげな表情で服の合わせ目を閉じて、ベッドに上がり膝を抱えるようにして座り直した。
その後、体が一瞬光ったかと思えばシーツの上には小さな茶色い蛇が鎮座していた。
黒いぽちっとした目がライラを見る。
『先が思いやられるなあ』
「ええ、本当に」
ギルバードが変化できるのは予想外だった。
しかもこれまた前例ないであろう人の姿。
神殿や王家にこのことを知られた場合、自分達は一体どうなってしまうのだろう。
考えるだけで恐ろしくて、ライラはクッションを抱き顔をうずめて一つ、ため息をついた。
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