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本当にただの蛇?
「旦那様、お嬢様。お寛ぎの所失礼します」
朝食後、父娘で向かい合って紅茶を飲んでいる席に執事のセオドアが銀の盆を持ってやってきた。
「旦那様、こちら王宮からです」
銀の盆を主人に差し出す。盆の上にはペーパーナイフと王家の紋章つきの手紙が乗っている。
「来たか」
ギリアンは手紙の封を切り広げて目を通す。読み終えて少々の思案を経、盆に戻すとセオドアは一礼ののち速やかに退出していった。
「ライラ。明後日の朝、王宮から使いが来るそうだ」
「はいわかりました」
真顔で答えつつ紅茶にドボドボとミルクを入れる。茶とミルクが混ざった液体が跳ね、ライラの傍ら―――テーブルの上で丸まっていたギルバードの頭に掛かった。
『んひゃあっ』
「あっ!ごめんなさい!」
大慌てでナプキンを被せ、頭の上をぽんぽん拭う。
「熱くなかった?大丈夫?」
『大丈夫』
ギルバードはブンと頭を振って目の上の水滴とナプキンとを弾き飛ばした。蛇にはまぶたがないため汚れはダイレクトに目に付いてしまう。ちなみに夜は目を開けたまま寝ておりライラはギルバードが寝ない生物だと暫く勘違いして過ごしていた。
「ライラ、緊張はしなくていい」
至極何でもない話題をするようにギリアンは言った。
「ギルバードを見てもヤミーは反応しなかった。人に対して悪意がないという証明はできるのだから、そこまで気負う必要はない。ただ変化のことは今は伏せておこう」
「はい、それは黙っておくつもりです。少なくとも危険な存在ではないとの判断が下りるまでは」
変化は強い力を持つ証となる。父ですらギルバードが人に変化した時にはものすごく驚いていたのだ。セオドアやアンナ含む屋敷の人間達にもまだ変化の事実は打ち明けてはいなかった。
ライラはギルバードの鱗を拭きながら細長い体躯をじっと見つめる。本当にただの使い魔なのか。もしそうでないとしたら彼は一体何者なのか。
『ボクだってわからないんだ』
ライラの思念を勘よく察してギルバードは言った。
『自分がどうしてここにいるのか。そもそも呼び出される前の記憶すらないんだから』
その言葉に偽りはない。神の庭という場所が存在することすら知らなかった。
ギリアンはティーカップにジャムを落としてかき混ぜつつ、
「どちらの姿であろうと主人とその使い魔として紹介すべきところだが、まあ大した付き合いのない人間には身内と説明してもいいだろう」
変化後の姿については、と言って紅茶をすする。
「元々人と使い魔の関係は単純な主従関係でない場合が多い。使い魔を愛するあまり守って命を落とす人間もいる。その場合使い魔も死んでしまうが」
主人の魂に使い魔の魂は結びついているとされ、主人が死ぬと使い魔も死んでしまう。逆に使い魔が死んでも主人は死なず、但し使い魔は生涯で一体しか召喚できないので一度失ってしまえば神力は行使不可となる。
うーん、とギルバードは唸り、頭を右に左にゆらゆら揺らした。
『守ってもらうのは使い魔のプライドに反するよ。ライラが危ない時は駄目って言われてても守ると思う』
「あなた戦えるの?」
『多分』
「......そう」
ギルバードは人語を操る知能に加えて人の姿になれるため、それだけでも十分強力な使い魔と言える。これ以上の能力はないと考える方が自然ではあるが、口ぶりから判断するにまだ何かしらの隠し玉があるのだろう。
「戦えても戦えなくてもどちらでもいいわ。最悪、私が手で掴んで逃げればいいんだもの」
そんな機会、一生来ませんように。
心の中で祈りを捧げ、白くなりすぎた紅茶にスプーンを突っ込み、ぐるぐるとぐろを描くようにかき混ぜた。
*
*
*
その頃、王宮の一室で。
「アラン王子!!恐れながら申し上げます」
四人いる大神官の内の一人、サイモンが王宮の執務室にて進言していた。
「私は神殿で40年勤めをしております。しかし蛇が神の庭にいるなど未だかつて聞いたことがありません」
「まーたその話.........」
この後用事があるんだが、とアランは面倒臭そうなそぶりを隠さない。今日までに三人の大神官が個別に訪れてきて同じことを言っているのだ。
「昨日カナンとサイラスにも伝えたが、この件は既に王が許諾済みだ。神殿は王意を覆すつもりか」
「決してそのようなつもりは。ですが危険生物の可能性がある以上彼の存在は認めるべきではありませんし、第一をお忘れではありますまい」
「忘れてはいない。それにこれは《原則不可侵》の例外だと言っただろう」
原則不可侵。
神の国アルゴンにおいて、原則として神殿の判断に王家が干渉してはならないという決まり事。
ただし神殿が直接断罪や命を奪取すると判断を下している場合はその限りではない。
「神殿はあの蛇を危険生物かキメラと考えて断罪対象としているな。過去に危険生物が呼び出された時と状況も異なるし証拠もないにも関わらず」
呼び出す人間が大罪を犯している際にそれは起こる。
その場合に呼び出されるのは巨大すぎる動物やどろどろに溶けたナニカであり、明らかに普通の生物ではない見た目をしていた。
いいえ、とサイモンは食い下がる。
「見た目は蛇でも人語を理解するのであれば脳は蛇のものではないかもしれません」
「つまり、頭がキメラ化していると?」
「仰る通りです」
「.....................ぶっ、はは」
「アラン王子?」
「いや、すまない」
ギルバードのきょとんとした顔とライラにぺしりとはたかれて憤慨していた小さな後頭部を思い出すと噴き出すのを堪え切れなかった。サイモンの見解にあのふたりは一体どんな反応をするのだろうか。
「サイモン、時間の都合で簡単に話す。使い魔として降ろされる動物は神の庭にいて、彼らは神の愛玩動物だったな」
言うなればペットだ、と言えば、その響きにサイモンはわずかに不服な顔をしつつも頷いた。
「まあそうですね、我々の言葉で言えばそのような存在にあたります」
「そうだな。だが神のペットリストに蛇はいない。しかもその蛇は人語を操る能力がある。少なくとも普通の使い魔ではなく危険生物の可能性がある、と」
「仰る通りです。人心をたぶらかし堕落に導く存在かもしれません。ご令嬢も既に魅入られているかもしれませんし早めに引き離すべきかと思います」
「では聞くがペットではなくもっと神に近い存在だという可能性はないのだろうか」
「........仰る意味が」
「神の庭の生物より更に神の側にいる、特殊な力を持った生物、と言えばわかるだろう」
「まさか..............................」
目を泳がせ数瞬黙り込んだのち、サイモンは苦々しい口調で言った。
「その蛇が神の息吹だと仰っているのでしたら神殿として信じがたいことです」
貴族以下には知られていないが、高位の召喚獣は存在する。王家の人間が呼び出す召喚獣に稀に顕現し、《神の息吹》と呼ばれる神秘の使い魔。
「一介の貴族令嬢が召喚したという前列はありません。王家の血をひいているというならば話は別ですが、聞けばあの侯爵殿のご令嬢だそうで」
「ああ、英雄のな」
「.............神具を破壊する者を神殿は英雄とは認めません」
呟く顔にははっきり「忌々しい」と書かれていたが、アランは気にせず手をひらひらとやった。
「違う違う、あれは誤作動で自爆したんだって」
「そんな話信じられるはずありませんでしょう!!」
抑えてはいるが激昂を隠しきれない顔色をしてサイモンはアランの方へと身体を乗り出した。
「あの神具は国の文化的遺産でもあるために強固な護りを掛け保存していたのです!それを、あれほどまでに無惨に........................国として罰するべきです!」
サイモンの怒りはもっともで、アランも不問に処すのは厳しいと踏んだ上で王への報告を行っていた。しかし王の反応は普段の厳格さも鋭さも鳴りを潜めた、正直らしくない、甘いとしか言いようのないものだった。
「無傷の時点で侯爵の仕業ではなく誤作動か神具の寿命説が濃厚だ。王もそう判断している」
「侯爵殿ははっきり申し上げて人外です!私はこの目で見ております。少年期から異様な―――」
ここでサイモンは言葉を途切らせ、目を閉じて天井を振り仰いだ。
「とにかく!彼のご令嬢が神の息吹を召喚する可能性はないかと思われます」
「神の息吹かそうでないかは現状断定しきれない。あの蛇が高位の存在である可能性を完全否定する材料は誰も持っていない。王家も神殿もだ」
苦渋を滲ませるサイモンと相反して飄々とした態度でアランは続ける。
「知っての通りこの国では神殿の権威が大きい。だからこそ王家は白黒判断できないものを軽々しく罰してはならないと考えている。疑わしき者は罰せず。アルゴンは神国でありつつ法治国家だということを忘れるな。..................という話を他三人にも伝えてくれ。もれなく、速やかに、確実に」
「............................承りましたッ!」
サイモンは黄色いローブを翻すと憤然とした面持ちで執務室を後にした。
はあ、とアランは疲れきった吐息をつく。追い返したところでまた明日以降誰かが来るに違いないと思うと憂鬱になる。
「....................もうこんな時間か」
外を見ると日が傾き始めており、慌てて外套を掴んで席を立った。
明後日ブラッドリー侯爵の屋敷まで赴く。
彼の娘が召喚した使い魔の件で。
その訪問時に持参する品があり今日はそれの出来映えを確認しにいく予定だった。
あんなものを提示して、逆鱗に触れやしないだろうか。
急に暗い気持ちになりながら外套を羽織り執務室を後にした。
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