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悩める王子
緑豊かなブラッドリー侯爵領を漆黒に塗られた馬車が緩やかな速さで進んでいく。
「王都の喧騒とはほど遠いな。イーリアス側とも大違いだ」
同じ国境なのにとアランは感慨深く呟いて車窓の外の果樹園を見る。対面の席には二人の青年が座し、彼らものどかな農園風景を眺めている。
「危険生物の被害報告もありませんからね、この地域は。【移住したい領地ランキング】で毎年上位に挙がるのもわかる気がします」
答えたのはアルゴンの戦士ナインハルトだった。
ナインハルトは若くして早年戦士をとりまとめる隊長の座に就いた青年であり、アランとは戦士養成学校時代からの親友同士。ベルシュギール公爵家嫡男と高貴な身分にして容姿にも優れ、左瞼に斜めに走る傷もワイルドで素敵だと多くの令嬢の憧れの的になっている人物だった。
「のどかですよねえ。やはり英雄の領地は安心感が......ああっ!イーゴのやつぅ!!」
ナインハルトの隣にはセーブルがおり、上空を飛ぶ使い魔が地上の小動物に気をとられていると気づくやいなや車窓を開けて小笛を吹いた。
「もっと上だ上。そうそう。ねずみは見ない!」
彼の使い魔イーゴは監視能力に長け、8キロ先地点にいる対象を観測出来るだけでなく主人に自身の目を共有する力を有していた。能力的には戦士スキルに分類され、セーブル自身は父のゲナシュ伯爵と同様外交官として王宮務めを始めたものの、専らの職務は戦士らに混じっての王都監視。この日はアランに周辺監視の任とコミュニケーション能力を活かして場をどうにかもたせてほしいと依頼され、他の予定を調整した上で同行していた。
馬車は農園の隙間を縫って南に進む。領地を半分ほど南下したところでけぶる霧の中大きな山が姿を現し、セーブルは嬉々とした表情で指をさした。
「うわあトルタ山だ!いつ見てもでっかいなあ!!これを越えればティターニア最北のトッカに出ますよ」
「酒で有名な場所だよな」
アランはさして興味なさげに相槌を打つがセーブルは気にせず笑顔で頷く。
「ええ!でも最近は酒よりナッツオイルの方が人気です。肌に塗るもよし食べるもよし香料を入れてオイル香水にするもよしと女性方に好まれています。昨年ついに観光客の男女比率が逆転したそうです」
「流石は詳しいですね」
アランとは違いナインハルトは感心した声を上げ、セーブルは照れて頭を掻いた。
「い、いえいえ!今は監視職務がメインになっておりまして、使節の仕事は最早お声も掛からずで」
「俺の監視もあって多忙だもんな」
「ええ、アラン様を探すのが一番骨が折れます」
茶化しには茶化しで返す。
「ま、そのぶんやりがいも一番です。それに御身が心配ですから」
「まったく、なにが心配なんだか」
「常々思うんですが王子の自覚っておありですか?」
「戦士は一律戦士で身分差はない。常々言ってるだろ」
「王族は別だと思います」
セーブルのアランに対する態度は不遜と取られて差し支えない気安さだった。それもそのはず、公では語られないが二人は乳兄弟の間柄であり誰よりも近い距離感で育てられ、その事実を知るナインハルトにしてみれば二人の会話はごく自然なやりとりだった。
「もうじき到着いたします」
気がつけば馬車は深い森に分け入っていた。深緑一色の薄暗い視界の中、御者が到着を予告するベルを鳴らす。鬱蒼とした木々の合間を抜け出ると臙脂の石で建てられた大きな屋敷が見えてきて、アランは屋敷の重々しい佇まいを一瞥すると傍らに置いていた小箱を取って悩まし気に吐息をついた。
「あー..............気が重い」
「大丈夫ですよ、ナインハルト様もいらっしゃいますし、不測の事態があれば王宮にイーゴを飛ばしますから」
「..........どうかされたんですか?」
小箱を前に急にそわそわしだした二人の様子をナインハルトは訝しく思う。
「今日は令嬢の使い魔について処分が白紙になった旨の伝達だと聞きましたが」
「ああ、それはまあそうなんだが..........」
であれば特段警戒する必要もないのではないかと思っていると、
「ナイン、もしお前に成人を迎えたばかりの一人娘がいるとして」
「.........はい?」
「処分を一時白紙にする条件で、娘と使い魔に神力を籠めた発信装置を持たせて常に居場所を把握する..........と言ったとしたらどう思う?」
「............いい気はしません」
プライバシーの侵害も甚だしい。それを年頃の娘―――巷の噂では女性かどうか怪しいなどと揶揄されている令嬢ではあるが―――に課す気でいるのかとナインハルトは眉を顰める。
「つまり箱の中身は発信装置で、今日それを渡すと」
「ああ」
「神殿の命令であろうと私が親なら拒否をします」
「王命だ」
「................王命であろうと、娘の居場所を具に特定されるのは親として受け入れがたいのでは。ご令嬢にしてみても他人に自身の行動が筒抜けになるのは不安でしょう」
「あくまで一時的な措置だ。使い魔について懸念が晴れ次第監視は止める」
「監視を行うのは誰でしょうか。せめて女性がいいかと思いますが」
「リリアナに頼む予定でいる」
リリアナは王太子デオンの妻―――即ち王太子妃の名前だった。アルゴンにおいて最も高貴な女性に監視されるとなれば誰しも萎縮すると思われるが他に適任もいないのだろう。令嬢に同情心を覚えると共に心には一点の疑問が湧く。
「この話を今話されたのは何故です」
「知ってたら同行しなかったろう?」
「本当に、あなたという人は..............」
頭が痛い。大人になって落ち着きこそ出たものの人を巻き込む癖は変わらない。
戦士見習いの時分より、王子の身分でありながらもちょくちょくやんちゃをするアランに度々ナインハルトは振り回され面倒事へと巻き込まれていた。
俄に顔色が悪くなったナインハルトを横目にセーブルはやれやれとした口調で、
「成人の儀といい、またノゾキ行為に加担させられるなんて」
「だから人聞きの悪いことを言うな」
「..........................覗き?」
穏やかでない響きにナインハルトは胡乱げな瞳でアランを見る。
「なんの話です?しかも、また?」
「違うって!俺は英雄を一目見たくて成人の儀に忍んで行っただけだ。普通に観覧に行くと迷惑になるかと思って」
「まったく、あなたって人は......」
これから相まみえるブラッドリー侯爵はナインハルトにとっても憧れの存在だった。両親が熱弁する英雄ギリアンの武勇伝に触発されてヴァルギュンターに入り、アランと同様に彼の指導を受ける日を心待ちにして剣の修行に励んできた。故に今日の訪問は至上の喜びに他ならない。
そう、こんな状況でさえなかったら。
「よりによってあの方のご令嬢.........」
普段自信に溢れているナインハルトにしては珍しく力のない声が出る。
「ルビーやゼクスではなく私が護衛として選ばれたのにも合点がいきました」
「ほら、最近カルトやキメラ絡みの事件が増えてるだろう。特にキメラの出現は令嬢が使い魔を召喚した日に始まってるから、彼女と使い魔を野放しにせず幽閉しようと神殿は言って聞きやしない。この監視は事件との関係を否定する調査を終えるまでの期間、神殿を黙らせておくために必要なんだ」
つまり、令嬢とその使い魔を守るべく令嬢にとって不名誉な策を提示するということになる。
「難しいとは思うが、理解してもらえるよう善処する」
重い空気が車内に広がる。間もなく、高くそびえる門扉の前に三人を乗せる馬車はゆっくりと停止した。
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