屋敷への来訪(1) 森の奥の妖精

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屋敷への来訪(1) 森の奥の妖精

「承知しました」 ギリアンは眉間に深すぎる皺を刻み、熟考の末に短く告げると部屋の隅に控える執事に目配せをした。セオドアが退室し、視線を元に戻してみると何故か訪問者達が一様にキツネにつままれたかのような奇妙な顔で互いに顔を見合わせており、怪訝に思って正面に座すアランに尋ねた。 「娘を呼んでいますが、何か?」 「いや.......もう少し悩むか、即断られるかと」 アランは成人の儀で目の当たりにしたギリアンの所業を思い出していた。彼が娘を大事にしているのはあの場で充分に察せられる事実であって、若くして領地で隠遁生活を送っている現状を見ても偏屈なイメージを抱いていた。まさかこうもあっさり理解を得られるとは予想だにしておらず、逆に恐ろしくすら感じていた。 「私は王命には従います」 たじたじとなっている青年らを前にギリアンは自身のイメージが相当よろしくないのだろうとアタリをつけ、表情を緩めて努めて穏やかな調子で言った。 「()()()()()と言った方が正しいですが。王もそれをご存じの上でお命じになられたはずです」 王子が来訪した時点で王権が発動する事案だとは思っていた。娘の行動が一時でも筒抜けになるという策に不快感は拭えないものの()()()殿()を納得させるためであれば致し方ない。 「娘の名誉と将来のためにも早急に事を収めておきたく思います。娘も使い魔承認のためともなれば断ることはしないでしょう」 「............そうか。私も人事を尽くそう」 すんなり進んだ話に内心諸手を上げて安堵しながらアランは神妙な面持ちを以て頷いてみせた。 「神殿との間は私が取り持つ。ひとまず使い魔の名前登録を進めておこう」 この時、ギルバードが王家の血筋にごく稀に顕現する神の息吹の可能性があるとの私見がちらとよぎった。しかし王家と神殿との間で神の息吹に関する秘密が保持されているために情報は明かさず胸の奥へとしまいこんだ。 「ご面倒をお掛けします」 目を下げて会釈をするギリアンに平静を装って軽く頷く。 「いや、いいんだ。気にしないでくれ」 良かった。 握った拳を漸くほどく。誰にも言ってはいなかったが今日の申し出の果てに憧れの英雄に嫌われでもしたらどうしたらいいのだろうかと、アランはずっと一人気に病んでいたのであった。 ナインハルトはアランの安堵を感じ取りつつギリアンの振る舞いに感服していた。百聞は一見にしかずとは良く言ったもので、英雄伝の印象から血気盛んで喧嘩っ早い人物だと思っていたがどうやらそうではないらしいと知り密かな興奮を覚えていた。 その時、 「お父様」 ノックに続いて扉の外より声がした。 「入りなさい」 「...........失礼します」 客間に入った瞬間、ライラは全員の視線が自分に集まるのを感じて脚がすくみ立ち止まる。 居心地が悪い。 でも顔には出さない。 違う、出せない。 ギリアンは娘の様子から緊張を察知すると席を離れて隣に立った。 「私の娘です。先日はあのような事態でご紹介できませんでしたので」 父の視線に促されライラは震える吐息を飲み込む。なけなしの勇気を奮い起こすと浅く一礼して言った。 「ライラ=ブラッドリーと申します。本日はお忙しい所をお越しいただいて、ありがとうございます」 「元気そうでなによりだ。急な来訪で驚かせてしまったならすまない」 アランはさらりと答えたが実のところ戸惑っていた。美しい娘だと知ってはいたがこれはどういう事態だろうか。飾りの少ないグリーンのドレスを身に纏い、心の機微が読めない(かお)には淡い化粧を施しただけ。にも関わらず髪も瞳も内から発光して輝いている。 何故これまで社交界の話題に登らず過ごしてこられたのか、理解が及ばないほどに圧倒的な存在感と美貌とを併せ持つ令嬢。家柄も侯爵家と低くはない。しかも父親はかつての英雄(ヒーロー)。 社交界に出れば間違いなく世間の注目を攫うだろう。国外の貴族や王族の目に留まったとしても、全然おかしくは―――。 そんなことを思った途端、もやっとする気持ちが湧いてくる。 対するライラはと言うと笑うでもなくアランの金の瞳を見つめていた。王家の威厳を滲ませる瞳にすらりとした体躯。まさに小説に登場する王子様そのものだと思ってどきどきしていると、 「あ!お召しのドレスはティターニアの刺繍ですね!それも幸福を呼ぶとされるアカランサス紋様。ああ、美しいなあ」 急にセーブルが恍惚の表情で言ったと思えば、はっと我に返ってペコペコと頭を下げた。 「申し訳ありません!つい興奮してしまって」 ライラはふるふると(かぶり)を振るとセーブルに歩み寄った。 「ティターニアの文化にお詳しいのですか」 「ええ職務柄.............私、セーブル=ゲナシュと申します。またお目にかかれて光栄です」 彼は伯爵家の令息だと先程ライラを呼びに来たセオドアが入れ知恵してくれていた。家格の点もあるが、父と同じで茶色の髪と瞳を持つ彼にはどことない親しみやすさが感ぜられた。 「アカランサス紋様というのはこの蔦模様の名前でしょうか」 「ええ!ティターニアには願いを刺繍に籠める文化がありまして、そちらの紋様は身につける人の幸せを願うものです。一針一針想いを籠めて、すべて手作業で縫うんですよ」  「............素敵」 ドレスをつまんで改めて刺繍を見る。 知らなかった、幸福への願いが籠められたドレスだなんて。お父様はなにも仰らなかったけれど、きっと知っていて作らせたんだわ。 胸の内がぽかぽかと温かくなるのを感じつつセーブルの隣に立つ金髪碧眼の男に視線を移した。いかにも貴族といった容姿の男はライラの前に進み出ると手を取ってきて、洗練された所作に緊張する間もなく柔和に語り掛けてきた。 「ナインハルト=ベルシュギールです。アラン王子の護衛として参りましたが今日お会いできて嬉しく思います」 「あっ.........私もです。本日はお越しくださりありがとうございます」 ライラは無難に返しながらナインハルトの碧い目をまじまじと見上げていたが、不躾に見過ぎたと気がついて慌てて視線を横に外した。不思議そうな顔をするナインハルトを前になにか話さなければと言葉を探す。 「あの、ええと..........」 言えば夢見がちと笑われるだろうか。 以前屋敷の本で《海ほどに碧い瞳》という表現を見たことがあった。その際、空と表現してはだめなのかしらと疑問に思って読んでいたが、今目の前に立つナインハルトの瞳の色が空の青さとは全く違う青色をしているためにもしやこういう色味かと。 「................海のようだと」 見たことはないけれど、と目を伏せてやっとの思いで絞り出した。見上げれば少し驚いた瞳と目が合って、気まずくなってまた目を伏せるとナインハルトは笑って言った。 「貴女は森の妖精のようです」 ライラの手に軽い口づけを落とし、視界の端でアランが軽く睨むのも構わず微笑む。 「以降お見知り置きを、レディ」 「はい。ナインハルト様」 ライラは知る由もなかったが、ナインハルトにはこの日の出逢いがとても好ましく運命的なものに感じられていた。寄る辺ない面差しで立つ姿は可憐に映り、歳にそぐわず世馴れない雰囲気は本当に妖精のようだと思って見ていた。 ライラは全員への挨拶と一通りの世間話を済ませたところでそれまで下に下げていた左手を満を持して差し出した。 「私の使い魔のギルバードです」 『................。』 「.................ギル、なにか話して頂戴」 『こんにちは』 「すごい。本当に話せるのか」 唯一ギルバードと面識のないナインハルトは驚きの声を上げ、その後皆の前でギリアンの使い魔ヤミーによる判定作業が行われた。攻撃系のトラップを仕掛けた人形を見せた瞬間ヤミーは噛みつき引き裂いたが、ギルバードを前にした際にはなにも手出しをしなかった。 しかし、 『すごい嗅がれた.......』 攻撃はされずともギルバードはそれなりのストレスを感じたようだった。チェックを終えると一同は席につき、ギルバードはテーブルの上でとぐろを巻いた。 「王家としては使い魔ギルバードは危険生物の類ではないと判断している」 アランの言葉にライラはひとまずほっとするが、 「しかし神殿は納得していない。説得は試みているんだが聞く耳持たずだ」 「.......そうですか」 「そこでなんだが」 目配せを受けてセーブルは懐から小箱を取り出すと椅子の下でアランに渡した。アランは小箱をテーブルに置くと逡巡ののちにライラとギルバードの前に差し出した。 「あの、これは?」 「開けてみてほしい」 言われるがままに開けた途端、ギルバードは頬を膨らませてシュッと噴気音を出す。 「花のブレスレットと、ちっちゃなリボン.......?」 『へえ。いいシュミだね』 「そうね。かわいいわね」 ギルバードの皮肉はライラには通じなかった。アランは心底言いづらそうに、 「ブレスレットはライラ嬢、リボンは首輪でギルバード用だ。ギルバードが危険生物でない証明が済むまでの間身につけていてほしい」 そうして先だってギリアンに説明したのと同じ話をふたりに告げた。 「............というわけなんだが、協力いただけるだろうか」 「もちろんです」 『ライラ、いいの?』 ギルバードは身を伸ばして小さな頭を近づけてくる。 『居所を監視されるの嫌じゃないの?』 「別に構わないわ」 『でもこれ多分、やろうと思えば細かい場所まで特定出来るよ。今浴室にいるなあ、とかさ』 その言葉に微妙な空気が流れるが、ライラの決意は揺らがなかった。 「いいの。認めてもらうためだもの」 それに断罪よりも悪いことなんてあるかしら。 ブレスレットを右手に通して光に透かす。薄桃色の小花はきらきらとして、誰もこれが発信装置だとは思わないだろう。 「そうしたら首輪の方も............あら?」 リボンを取り出した手をぴたりと止める。テーブルの上につっぷしているギルバードを指でつんつんとやって、 「ねえギル」 『んー?早くつけなよ』 「教えてほしいのだけど、あなたの首ってどこ?」  
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