103人が本棚に入れています
本棚に追加
/61ページ
まるっと5年ひきこもりました
ブラッドリー侯爵領。
鬱蒼とした木立を抜けた先にある、重厚感のある大きな館。
「ライラも成人か。早いものだな」
静かな夕食の席で、ギリアン=ブラッドリー侯爵はぽつりと独り言のように呟いた。
彼は今、娘と対面に座してワインを飲んでいる。
若くして父親になったが故にまだ三十路。
見た目こそ若々しいものの、ワイングラスを持つその手には剣士時代に負った数多くの傷痕が深く刻まれていた。
彼は対面で静かに茶を飲む娘に尋ねる。
「成人の儀には出るのか」
「ええ」
「王都にある神殿まで外出することになるが」
外出。
「......ええ」
暫しの逡巡を挟んだのちに、ライラはティーカップを口元に運ぶ。
「もちろん出席いたします。しきたりですもの」
成人の儀。
アルゴン王国では18歳になった者は一律で成人とみなされ、とある儀式を王都で行う決まりになっていた。
それは神殿で使い魔を呼び出し、使役する儀式。
呼び出された使い魔の能力に応じて就ける職種も決まる仕組みである。
大抵の人間は狭い範囲での失せ物探しや重いものを運ぶといった、日常生活をサポートする程度の力を得ることになる。
しかし危険探知や戦闘に有用な能力を得た場合においては、たとえ平民であっても貴族と同列の地位を与えられ、王宮関連の要職に就いて名を挙げることが可能であった。
とは言っても貴族女性の場合は結婚により家庭に入りがちで、使い魔と共に働くケースは決して多くはなく、まして戦士を選択するケースは前例すらないのであるが。
ギリアンは何か思う所がありそうな顔をしながらグラスの中の液体を揺らす。
「そうか。お前がそう言うのなら。その日は私も同行しよう。成人の儀の結果にもよるが、お前の考えは今も変わっていないのか」
「変わっておりません」
ライラは赤紫色の瞳をギリアンに向けて、はっきりと告げる。
「婿をとり、爵位を継いでお父様をお支えしたく思います」
ライラは侯爵家の一人娘で、母は幼少期に鬼籍に入っている。
父のギリアンはまだ若く、世代交代はまだだいぶ先と思われるものの、ライラとしてはいずれ父の領地を継承して次世代に繋ぎたいという志を持っていた。
しかし、この国では女の身である以上爵位を継ぐことができない。
そのため婿をとりたいのだが、ライラはひとつ、しかし致命的な問題を抱えていた。
ライラは子どもの頃、令嬢教育のため預けられていた全寮制の女学園で公爵令嬢とトラブルを起こし、気づけば陰湿ないじめの対象になってしまっていた。
物を隠してみたり、突き飛ばしてみたり。
そこから次第にエスカレートしていき様々な嫌がらせを受けた。
ライラは父に心配をかけたくなかったため、報告の手紙には何も書かず、学園生活は楽しく有意義なものだと完璧にごまかし続けて6年間を過ごした。
13歳となり卒業を迎えた日。
帰館した娘に対してギリアンは、令嬢教育の成果を是非見せてほしいと言った。
習熟度合いを見るためではなく、成長した娘の姿を見たいという親心からであった。
するとライラは礼儀作法などはすべて完璧にこなしたのだが、途中泣き崩れてしまった。
その時のやりとりと明らかに様子のおかしい娘を見て、ようやく彼は良かれと思っていれた学園での生活が悲惨なものであったと知るに至った。
対面に座る娘を見て、ギリアンは思う。
もともと物静かな子どもであったが、学園を卒業して以来笑うことがなくなり、感情をあまり顔に出さなくなってしまった。
それは他でもない自分の責任だと。
ギリアン自身は若い時分に武勲で名を立てた生粋の剣士だった。
当時、結婚をきっかけに各地に戦士として赴くことはなくなったものの、王宮内では依然戦士育成の任に就いていた。
朗らかだった妻の死後、彼はその生来の寡黙な性格と無骨さ故に、娘との接し方がどんどんわからなくなっていった。
自分といるより学園で同世代の友人を作った方が楽しいだろうと浅薄に考えた結果、深く娘を傷つけることになってしまったのは大きな誤算だった。
卒業以後、ライラは貴族が集まる場に一切顔を出さなくなった。
それどころか屋敷からも出なくなった。
そうしてひきこもって、早5年。
人によっては、たったの5年?と思うかもしれない。
しかし思春期の、まして貴族令嬢の5年は非常に長く重いものだった。
正式な社交界デビューが18歳からとなるため、それまでになるべく人脈の幅を広げておくことが望まれる期間だった。
通常の令嬢であればお茶会をしたり婚約者探しに王都に出たり、他国周遊をしたり。
着飾って、とにかく人目に触れる。
高貴な家門との繋がりを持つ。
あわよくば婚約にこぎつける。
それこそがうら若き貴族令嬢のあるべき姿。
しかしライラは何も、本当に何もしなかった。
せいぜい窓から日差しを浴びるくらいしか外界と接点をもたなかった。
ギリアンも社交ができる場への参加を強制することができず、せめて領地内ならどうだろうと自身の視察への同行を薦めたこともあったが、ライラは決して首を縦には振らなかった。
結果的に、ライラには今婚約者どころか友人の一人も存在しない。
まるで世界から取り残されたかのような、孤独な令嬢と化してしまっていた。
こういった経緯を見れば、婿を迎えると口で言うだけは簡単だが、現実は過酷だろうと思わざるを得ない状況になっていた。
しかし、ライラは存外に落ち着いた声で言う。
「私ももう18です。もともと人と話すこと自体は嫌いではありませんし。これからはなるべく社交を行っていこうと思っています」
学園での経験は確かに苦いものだった。
しかし5年の歳月が効いたのか、普通にしている分には辛い記憶はほとんど思い出せなくなっていた。
無理に思い出そうとすれば、記憶に靄がかかったようになる。
ただし夢では時々見るので、その都度思い出して落ち込み、また忘れていく。
ずっとそれを繰り返してきて、もういい加減前を向かなくてはと思い始めていたところだった。
自分のためではない。
父と家門のため。
そして支えてくれた使用人達のためにも。
成人の儀は心機一転するにふさわしい場だろう。
ライラはそう思い、外に出る決意を固めていた。
「これまで沢山心配をかけてごめんなさい、お父様」
表情を変えず淡々と話す娘に、ギリアンは首を左右に振った。
「謝ることは一つもない。成人をきっかけにお前が前向きになれるのは父としても喜ばしいことだ。だが...」
一度言葉を切り、少し間を空けて続ける。
「お前の母は生前占い師の職に就いていた。今は貴族の女性で職を持つ人も多少増えているし、女性だからといって絶対に結婚しなければならないといった時代でもない」
「はい」
すべて聞かずとも、父が何を言わんとしているのかライラは察していた。
表情だけ見ると怖い印象の父ではあるが、話してみれば誰よりも温かい人だとライラは思う。
「お前はまだ若い。最初から選択肢を狭める必要はない。ふさわしい相手がいれば早々に結婚するでも構わないが、まずは自分がやりたいことを優先し挑戦しなさい」
「はい。お父様」
「それともう一つ」
ギリアンはぐいとワインをあおって、
「自覚はないだろうがお前は母さんに似て非常に器量がいい。この国のどの令嬢も敵わないだろうが、美貌に釣られただけの能無しボンクラ共には一切寄って来られたくはない」
低い声が一段と低くなる。
「結婚するにしても相手を精査する時間はとらせてもらう」
精査とは。
「......わかりました。お父様にお任せします」
父の目が少し怖いものの、そんなすぐ結婚できないだろうし今は気にしないでおこう。
そうライラは思いつつ。
メイドのアンナが淹れてくれた特製ハーブティーを口に運ぶ。
最初のコメントを投稿しよう!