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成人の儀(2) 5年ぶりに外へ
"ギルバード"って一体なんのことかしら。
成人の儀のため神殿へと向かう馬車の中でライラは悶々と考えていた。
ちらと対面に座す父を見る。
......お父様に聞く訳にも、いかないわよね。
杞憂だとは思うものの、亡き妻から娘への手紙に男性名が書かれていたことで、父の心に一点の疑念が生まれる場合もあるのではとライラは不安に感じていた。
指輪はつけてきたが、成人の儀前日に心をかき乱すような手紙を用意した母を少しだけうらめしく思った。
「お前の母さんは、不思議な人だった」
唐突の発言に、ライラは心を読まれたような気になって内心飛び上がる。
「か、変わった性格の方、ということでしょうか」
父への遠慮などもあって、生前の母がどんな人だったかを深く聞いたことはなかった。
ライラに問われ、ギリアンは唸るように、
「性格はおっとりなんだが、天真爛漫でもあった」
おっとりで天真爛漫。
矛盾している気がしたものの、ライラは黙って父を見る。
「母さんはティターニア出身だが、文化の違いもあってか変わった振る舞いが多かった。猫を助けようと木に登ったり、廊下を駆けて調度品の壺を割ったり、虫の羽化を見たいと言ってさなぎを捕まえてきては屋敷の壁に貼りつけて夜通し観察したり」
「ちょ、ちょっと」
思わず口を挟む。
「母は妖精のように可憐な女性だったと以前セオドアから聞いたような」
「言い得て妙だが、まあいたずら妖精だな」
「は、はあ」
木登りするなどもはや野生児では、と言いたくなったが飲み込んでおく。
ギリアンはこほんと咳払いをした。
「そういうわけで落ち着きはなかったんだが、彼女の人柄のおかげで、暗かった屋敷の雰囲気が明るく和やかなものに変わったのは事実だ」
「結婚された時期って、お祖父様...先代侯爵が急逝されたあとでしたよね」
「ああ。先代の死と侯爵の代替わりとで張り詰めていた糸も、彼女は難なく緩めてくれた。お互い19歳の時に結婚して1年後にお前が産まれた。まさに順風満帆、そろそろ二人目の子どもをと話していた矢先だ。彼女が倒れてしまったのは」
その日の話は知っている。
当時ライラは3歳になったばかりであった。
ギリアンが領地視察で数日屋敷を不在にしていた冬の日の朝、母は屋敷の庭に倒れているところを使用人に発見されたという。
剪定ばさみが落ちていたことから、屋敷に飾る花を切ろうとしていたと思われ、知らせを受けて帰ってきたギリアンと少し会話を交わしたのちに息を引き取ったと聞いた。
死因は心臓の病とされたが、それまで予兆もなかったため誰もが予期していない死だった。
「毎日笑顔の絶えない人だったが、亡くなる時も微笑んでいたな。彼女なりの私への配慮だったのだろうか」
苦しむ姿を記憶させないようにしたのだろうか。
であれば、愛ゆえの行動だったのだろうとライラも思う。
「それにしても」
少ししんみりした空気を変えるように、父は言った。
「ライラとは真逆だな」
「はい?」
「ライラは見た目は母さん譲りだが、性格は間違いなく私似だ。鉄仮面なのもな」
「...発言差し控えます」
鉄仮面も父似と言われるとまんざらでもないが。話ついでに、もう一つ気になっていたことを聞いてみることにする。
「お父様はお母様のどこに惹かれたんです?」
ギリアンは目を丸くし、こほんと咳払いをしてから言った。
「どこにと言うか......まあ、そうだな、一目惚れと思ってくれていい。輩に絡まれていた母さんを助けた時に軽く怪我をしたんだが、慣れない手付きで一生懸命手当てをしてくれる姿が好ましく映ったんだ。当時私には婚約者がいたんだが、こちらの意思を尊重させてもらった」
「......素敵ですね」
人によっては、きっとそれを大恋愛と呼ぶのだろう。
でも。
"あなたがどうやって教師の気をひいているのか、皆知っているわよ?"
"魔性ね、母親譲りの"
脳裡に響き渡る嘲笑。
息をつき、外の景色を見て気を散らす。
忘れよう。
心機一転する日に、思い出すべきことではないのだから。
そうして馬車に揺られること約二時間半。
西の森で危険生物が出たとのことで、予定の道をだいぶ遠回りしてやっと神殿の前に馬車が停止した。
時刻は正午を過ぎたくらいであった。
ライラはギリアンに手をひかれて馬車を降りる。
久々の王都、人の往来。
久しぶりすぎるせいか怖いとは思わなかったが、人目も肌に触れる風の感触でさえも落ち着かない。
深呼吸をしてあたりを見回した時、ふと視界の隅にフードつきの外套を着た男の姿を捉えた。
さっと目をそらしてしまったが、失礼だったろうか。
「参りましょう、お父様」
ライラは父と共に神殿に向かった。
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