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「お前、まさか──」
「今さら気付いたの? その程度で運命って、笑っちゃうな」
麻咲──いや、麻咲のふりをした麻寿が、口に人差し指を添えながらにい、と唇を横に伸ばす。よりによって麻寿と麻咲を間違えてしまったことに自分を責めながら、麻寿へ詰め寄った。
「麻咲はどこだ!?」
「いないよ」
「は……?」
「だから、もうこの世にいないよ。怜が出ていってからすぐにぽっくり逝ったから」
またも、怜の脳が入ってきた情報を理解することを拒む。
いない。この世に、いない?
思考が停止しているはずなのに、額から冷や汗が流れ落ちる。
「え……、う、嘘だろ……?」
「何なら墓見せてあげようか? ああ、でももう怜はここから出られないから」
嬉しそうに歪んだ笑顔を怜に向ける麻寿が、心の底から喜んでいるのが分かってしまう。麻咲に、恋人に、愛した人にもう逢えないことを唐突に理解して、見開かれた瞳からぽろ、と零れた水滴が石の床に小さな黒い丸を作った。
「……そん、な……麻、咲……麻咲が……」
「うっさいなあ、麻咲麻咲って。そんなにあの欠陥品が大事?」
『欠陥品』という言葉だけが、強く怜の心に突き刺さった。気付けば、怜は目の前の男の頬に拳を振るっていた。
「ッ……!」
「ふざけんな! 血の繋がったお前の兄弟だろ!? 双子の兄貴だろ!? なんでそんな……っ」
悔しさと悲しさと怒り。様々な負の感情が混ざり合った複雑な思いに、握り締めた拳がわなわなと震える。
殴られた麻寿は、前髪で表情が見えない。だが、呟かれた声色には怒気が含まれていた。
「双子の兄貴? 虫酸が走るね。あんなやつただの肉塊だろ。まあその肉ももう燃えてなくなったけどさ」
「お前……っ!」
「あのさあ、そんなこと言い合いしてる時間ないの。せっかく怜のために舞台を整えてあげたんだから」
怜の気持ちに反して、びくり、と体が震えてしまうほどの冷たい声。垂れた前髪の隙間から見える恐ろしいほど闇に似た瞳が、怜をその場に縫い付ける。
「っ何がしたいんだお前は!」
「怜と遊びたいんだよ。この子たちも一緒にね」
「──っ!」
辛うじて動く口で問うた質問の答えの意味は計りかねた。それでも、警鐘を鳴らした自分の第六感を信じて、今度は麻寿の腹部へ拳を突き刺す。
「ぐぅ……っ」
怯んだ麻寿の横を通り抜け、よろめきながら石段を必死に駆け上がる。早くここから出なければ。麻寿から逃げなければ。
足りない酸素を少しでも多く得ようと大きな息を繰り返して、ようやく石段の終わりを視界に映す。だが、その先にあるはずの光が差し込む場所がない。僅かな電球の光を反射する金属は、怜に絶望を落とす錠の形をしている。ご丁寧に入口を閉めたらしい。
一縷の望みを持って梯子を登り天井を開けようと試みるが、当然と言うべきか、開くことはない。その間にも、下から怜のもとへ足音が近付いてくる。
「なんで、開かねえ、開け、開けよ! 開けってば!」
焦燥を含んだ声を嘲笑うかのように、ガタガタと音が鳴るのみの天井。そして、今一番聞きたくない声が、怜の足元から聞こえてきた。
「だからさっき言ったでしょ。……怜はもうここから出られないって」
言葉が終わると同時に、梯子に掛けていた足が掴まれて引っ張られる。高校生までほぼ毎日受けていた、あの痛みと同じ感覚。
「なっ、やめろ──あがッ!」
麻寿の力に負けた体が、固い石の床に叩きつけられる。背中に走る激痛と共に、強制的に肺から空気が吐き出された。
「……なあ、黙れよ。ぴーぴー五月蝿いんだよ」
衝撃で上手く呼吸が出来なくなっている怜に無機質な声色でそう浴びせ、怜の体を荷物のように肩に担いで麻寿が再び階段を降りていく。
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