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 祭典の日は憎らしいほど晴れていた。  ディディエ家の庭には縦長の白テーブルが出され、おめかしした客人の笑い声であふれている。父がよく通る声で全員の注目を集めた。 「みなさま。テーブルの上にありますのが、当家の新作フレグランスです。今年はふたつ、私が熱意をこめて制作しました」  どよめきが上がり、客人たちは喜々として小瓶のサンプルを手にした。エリザの目の前にもふたつの小瓶が用意されていた。透明な液体と、蜂蜜色の液体。父が透明な液体のほうを手にしたので、エリザもそれを嗅いでみる。瓶のふたを開けた瞬間、やさしくまろやかな香りが広がった。思わず心がほどけ、ゆるんでしまうような香調だ。エリザは息をのむ。まさしくこういう香りをプレゼントしようと考えていた。ラベンダー、蜂蜜、バニラにムスク──。 「ひとつ目は『ルナ』です。月のようにやさしく、リラックスできる香りを作りました。きつすぎず肌になじむので、香水というより、肌から良い香りを引き立たせるようなフレグランスといえるでしょう。疲れたときや寝香水としておすすめです」  あちこちで称賛の声があがる。エリザは茫然と『ルナ』を嗅いでいた。エリザが作ろうとしていた香水だ。コンセプトも名前もそっくりそのままだった。エリザは自分の考えを誰にも話していない。伝えたのはただひとり──。 「もうひとつの香水は……『エリザ』」  急に呼ばれてエリザは飛び上がる。やさしい微笑みの父と目が合った。 「豊かなザクロとスパイスを使い、嗅ぐと元気が出る香りにしました。最近、我が娘の元気がないと耳にしましたので。この香水で、ぜひ以前の微笑みと元気を取り戻してもらえればと」  茫然とエリザはふたつ目の香水を嗅ぐ。たしかにすばらしい香りだが、心臓がドクドク鳴ってそれどころではない。周りのお客さんたちの歓声も、父の上っ面だけの口上もすべて、ぼんやりと頭の上を通りすぎていく。香水を持つ手がかすかに震えてきた。今、はっきりと実感できた。この二種類の香水は、父が作ったものではない。  夜、部屋の明かりを落とした後、エリザは急いで庭へ向かった。夜は冷える。羽織ったカーディガンのポケットに、昼間の香水瓶をふたつ入れてきた。お守りのような重みは、ふとした瞬間にカチャカチャ鳴る。進むエリザの歩みは自然と速くなっていた。  ──前の奥さん、流行り病で子供もろとも亡くなったって。  ──似た方と見間違えられたのでしょう。  父は毎夜遅くまで外出している。エリザが幼い頃からずっとそうだった。昼は昼で領主としての仕事があり、外で働いている。香水を作る暇なんてきっとなかっただろう。それなのに毎年、ディディエ家は斬新なフレグランスを発表している。あれほど上質な香りを誰が作ったのか。  父のコンサバトリーにつき、息を整える。明かりは落とされ、中には誰もいないようだった。父は今日、夜遅くまで町の会合に出席するとパトリスが言っていた。静かにドアを開けると、南国植物の青々しい香りがむわりと鼻をつく。眠れる植物の間を探索し、地下へ続く扉を見つけて開いた。らせん状に降りる階段の先に、オレンジ色の明かりがともされていた。ガラス瓶がたくさん並ぶ調合台の前に、彼は立っていた。妖精神アレンデル。肖像画の中の美少年。あるいは──エリザの母違いの実の兄だ。真剣な顔でガラス瓶を覗きこんでいた少年の瞳が、はっとエリザへ向けられる。 「見つけた……」  近寄っていって抱きつくと、満月の良い匂いがした。少年はおろおろと視線をさまよわせ、結局は嘆息して天をあおぐ。そっとエリザの震える背に手が添えられた。エリザが泣きかけていたからかもしれない。思えばずっと、幼い頃からそばにいてくれた。エリザが困っていると静かにやってきて、気配もなく助けてくれる。巧妙に彼は隠れていたが、エリザの優れた嗅覚は残り香を記憶していた。やさしい満月の香りだ──慰めるように、背中をとんとんと叩かれている。もう大丈夫、そう言われている気がした。 満月の光が天窓からさしこみ、兄妹の再会を静かに見守っていた。
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