鰐時雨

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「..ふーん、それで俺のとこに来たってわけね」 道玄坂の途中にあるチェーンの寿司屋で、横並びに座った男は気怠そうに呟いた。彼の興味は、私の話より今目の前に運ばれてきた炙りサーモンの方にある。 「俺さ、回らない寿司屋嫌いなんだよね。面白くねえじゃん、あれ。回らない寿司なんて家で出来るんだからさ、外で食う寿司は回ってナンボだわ」 一通り聞いた後の話がそれかよ。 それに、回らない寿司の魅力は目の前で職人が握ってくれることとか、ネタの質の良いことにあると思うけど、と頭の中で反論する。 「んで、もっと欲を言えば、いつまでも回ってる寿司屋が好き。コロナ禍の影響なのか知らねえけどさ、こういう注文するまで何も回ってこない寿司屋は悪くはねえけどやっぱ面白くねえな」 そう言いながら、その悪くはねえけど面白くねえ寿司屋から提供された寿司、3皿にすぐ箸を伸ばす。 「注文なのは、フードロス対策とかなんじゃないの」 「ふーん、やっぱ絵美って頭良いんだな」 感心してるんだか、していないんだかわからない言い方に私はため息をつく。 コロナ禍の名残で置かれたままの不透明なアクリル版の下から太い、ゴツゴツと節ばった指が覗いている。 人と会食をするのが苦手だから、声が聞こえずらいとしても、他人と自分を隔てる壁があるのはありがたい。 特にこういった、交渉という場においては。 「とにかく、シブヤ、渋谷のことを隅から隅まで知り尽くしているアンタにだから、お願いしたいの。何か白いワニについて知っていることがあったら教えて」 「知らん」 期待とは裏腹に帰ってきた答えはこれだった。とはいえ、期待は裏切られたが予想は裏切られていない。このシブヤという男は、いつもこうなのだ。たとえ知っていたとしても、一度は断る。 「てか、何で渋谷にそいつがいるってわかんの?彼氏さんは」 「渋谷って名前通り、地形が谷底にできているから、駅の地下に巨大な雨水貯留施設があるんだって、広いし綺麗だし下水道より暮らしやすいみたい、それに渋谷は飲食店多いから地上に這い出た時は廃棄物食べ放題だからって」 佑二の得意気な考察を思い出しながら、つらつらと彼から聞いてきたことそのまんまに私は語る。 「へー、そいつ住居は重視するくせに食べんのはゴミなのかよ」 貧乏臭えやつ、そう言って怠そうに笑う。言いながら、シブヤはまた同じネタの皿数のボタンを3回連打した。 好みとかではなく、ただのサーモンよりなんか贅沢な感じがするからという、ふわっとした理由で、何10皿も頼み続ける彼の方が私からしたら貧乏臭い。 せっかく奢ってやってるんだから、もっと雲丹とか季節限定のとか本当に贅沢なの食べればいいのに。 「茶化さないで、佑二も私も真剣なの。それにちゃんと証拠写真もあるんだから」 私はシブヤに向き直り印籠を突き出すようにあの十字路の写真を見せる。 シブヤはスマホをゴツゴツした指で器用に上からひょいと奪い取ると、カラーコンタクトなのか自前なのかわからない、クリソベリルみたいな目を細め写真をしげしげと眺めた。 「..あー、確かに、ここは渋谷だな、奥のやつもまぁワニに見えなくもない」 「そうでしょ!そうでしょ!」 思わず口の端が吊り上がる。 この皮肉屋な男を納得させられそうだという昂りが、私の中に1ミリくらい残っていた猜疑心を吹き飛ばした。 「はー、証拠もあるみたいだし、俺絵美のその顔好きだしとりあえずやるわ」 「幽二@都市伝説チャンネルも、当たりを引いたのかもな」 意地悪く笑うと、シブヤは寿司を一貫丸ごとペロリと平らげた。 この食いっぷりを見れたことだけは、奢った甲斐があったのかもしれないと思った。
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