ルドラ視点

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ルドラ視点

 計画は順調に進んでいるようだ。  今朝方手元に届いた書簡を握り、笑みを浮かべる。  陛下との婚約も決まり、これでアリシアの願いは叶えられる。前回は、アリシアが行方不明となり、正妃の座を憎っくき王妃に奪われたが、今回は必ず成功させてみせる。  側妃の立場というのが、気に食わないが今や王妃ティアナはただのお飾りだ。生家のルザンヌ侯爵家の力も削がれた今、王妃が邪魔をしたところでアリシアが側妃になる事は確実だ。  そして、最終的には――――  アリシアがこの国の王妃の座に就くのも時間の問題であるな。 「ルドラ! この手紙は本当ですの⁈」  ノックもせずに、大きな音を立て扉から入って来た女を見つめ、眉間にシワが寄る。  相変わらず無作法な毒婦である。こんな女が公爵夫人だなんて、世も末だ。 「ミーシャ様、どうされました? 血相を変えて」 「どうもこうもないわ! 陛下が、ノートン伯爵領にお越しになるなんて、いったい何があったのかしら?」 「それはもちろんアリシアを側妃に娶るにあたってという事では有りませんか。以前から一度、バレンシア公爵領へ来てくださるように打診はしておりましたから」  陛下がバレンシア公爵領を訪れる事に、重要な意味がある。正式な訪問であろうと、お忍びであろうと、側妃候補の生家を訪れたと社交界に知れ渡れば、必然的にアリシアの立ち位置も大きく変わる。  お飾り王妃に取って代わる存在として、注目を浴び、社交界での地位も確固たるものへとなる。  誰もアリシアを側妃と蔑む事はない。  アリシアさえ幸せであれば、他はどうなろうと関係ない。 「ただ、どうしてノートン伯爵家なのかしら?」 「陛下もお考えなのですよ。バレンシア公爵家へ訪問するのではあからさま過ぎますしね。ノートン伯爵家あたりが丁度良いとお考えなのですよ」 「そんなものかしら?」 「えぇ。それに、ノートン伯爵領は自然豊かな地でもある。誰にも邪魔されず、アリシアと過ごすにもうってつけかと思いますよ」 「あらぁ、陛下はそんなにもアリシアの事を気に入っているのね」 「それはもう。アリシアとの結婚をルザンヌ侯爵と王妃ティアナに邪魔されて怒り狂う程ですから」 「あぁ。その仕打ちが、王妃の力を削いだ上での完全無視という態度なのね。無視なんて、なかなか幼稚な行いかと思っていたけど、ルザンヌ侯爵家の今の力を考えれば、その程度の行為でも充分効果があるわね」 「えぇ。王妃はお飾りと言われ、隣国の脅威もない今、ルザンヌ侯爵家は片田舎の一貴族に過ぎませんから」  あの頃とは状況も大きく変わったのだ。正妃選びの時はルザンヌ侯爵家に邪魔をされたが、今回は誰もアリシアの輿入れを邪魔出来ない。たとえ、王妃であろうともだ。 「ふふふ。これで邪魔なアリシアもいなくなる。これでやっと、わたくしの可愛いアンドレが跡継ぎになれるわ」 「そうですね。アンドレ様が跡継ぎになれば、私もやっと自由になれる」 「貴方も酷い男ね。実の妹が、次期バレンシア公爵の座を死守しようとあんなに必死だというのに、兄は自身の自由のために裏切ろうとしているなんてね」 「あぁ、元々アリシアに次期バレンシア公爵など務まらないのですよ。小さな頃から、私に何でも頼り切りで、自分では何も出来ない甘ったれた小娘。正直うんざりなんですよ。誰に対しても関心のない父にも、死んだ母に囚われているアリシアにも、バレンシア公爵家にもね」 「今回の件で、上手くアリシアを追い出せた暁には、約束通りそれ相応の手切れ金を持たせて縁を切ってあげるわ」 「ありがとうございます」 「それにしても、残念だわ。こんなに頭も切れて、しかも美丈夫に育って、手放すのが惜しくなる。わたくしの愛人として飼ってあげてもいいのよ。上手く立ち回れば、出奔するよりも楽な生活が送れるわよ」  シナを作り近寄って来た毒婦が、肩へもたれ掛かる。強烈な香水の匂いが鼻をつき、吐き気を催しそうになる。  ブラックジャスミンの香り……  ノートン伯爵領の特産品でもあるブラックジャスミンの香水の香りは、嫌な記憶を呼び覚ます。  母を殺したブラックジャスミン。  母の寝室に忍び込む人影。ギラついた目を私は見知っていた。強烈な甘い香りを放ち、眠る母の唇に落とされたひと雫が、母の命を奪うとは思いもしなかった。  最期の母の美しい顔を忘れる事など出来なかった。  あの時、なぜ勇気を出して叫ばなかったのだろうか?  あの時、大声を出していれば、母は目を覚ましたかもしれない。もしかしたら誰かが助けに来てくれたかもしれない。  母を見殺しにしてしまったという自責の念が、あの日から消える事はない。  必ずや、この毒婦を死地へと送るのだ。  しな垂れ掛かり、キスを要求する毒婦を上手く交わし、窓際へと歩みを進めれば、窓からは、母が愛した薔薇園の無残な姿が見える。  この毒婦にとっては、薔薇園などどうでも良いのだろう。自身を着飾る装飾品にしか興味がない。  さしずめ、この私も毒婦の感情を満たす装飾品に過ぎないか。 「ご冗談を。私は自由気ままに暮らしたいのですよ。アリシアに縛られる生活も、バレンシア公爵家に縛られる生活もうんざりです。あなた方も、私がいない方が自由に出来るでしょう」 「それもそうね。実権を握った暁には、目見の良い従順な愛人を囲い放題でしょうしね」  本当、どこまでいっても気持ち悪い女だ。 「ただし、あなた方の希望を叶えるには、もうひと仕事必要ですがね」 「どういう事かしら?」 「以前仰られていましたよね。社交界での絶対的な地位が欲しいと。今でも、バレンシア公爵家は、社交界で一目置かれる存在ですが、王族と多数の血縁を持つメイシン公爵家には勝てません。今のままでは、たとえアリシアが側妃になろうとも、社交界でのバレンシア公爵家の地位は変わらない。ミーシャ様は一生、メイシン公爵夫人には勝てないという事です」 「ちっ! あの女、本当ムカつくわ。大した美貌も無いくせに、社交界の花を気取りやがって。わたくしこそが、社交界一の貴婦人と呼ばれるべき存在なのに!!」  相変わらず自分中心の考え方しか出来ない女だ。たとえ、天地がひっくり返ったとしても、下品なお前が、社交界一の貴婦人と呼ばれる事はないだろうよ。 「今のままでは、メイシン公爵夫人に勝つ事は出来ませんが、もしアリシアの立場がお飾り王妃の地位に取って代わるとしたら、どうなるでしょうね。例えば、王妃が不慮の事故などで死ぬとしたら?」 「ルドラ……貴方、何が言いたいの?」  流石に頭の軽い女でも警戒心はあるか。 「簡単な話ですよ。王妃ティアナの存在がいなくなれば良いのです。さすれば、アリシアは王妃の座を得て、結果として王妃の生家としてバレンシア公爵家は絶大な力を得る事になる。そして、ミーシャ様は、社交界一の貴婦人として持て囃され、メイシン公爵夫人をも跪く、女王として社交界を牛耳る事が出来るという訳です」 「社交界の女王……、なんて甘美な響きなの」  天を見上げウットリと嘯く顔つきの何と醜悪な事か。どこまでも卑しい女だ。 「ただ、この時期に王妃が死ねば、真っ先に疑われるのはバレンシア公爵家ではなくって?」 「そうですね。だからこそ、アレが必要なんですよ。ノートン伯爵家秘蔵の毒薬、ブラックジャスミンがね」 「……貴方、ブラックジャスミンの事を知っているのね」 「まぁ、これでも陛下へ仕える身ですからね。あらゆる知識が必要になる。特に、毒薬の知識は色々と重宝しますから。ノートン伯爵家の裏の顔も、もちろん知っていますよ。あそこの領地で採れる植物から精製される毒薬は、昔から王家との密約の元に成り立つ既得権益ですからね」 「ふっ……、ルドラも王家に仕える裏の人間という訳ね。確かに、ブラックジャスミンを使えば、王妃を病死に見せかけて殺す事は可能ね。つまり、共犯者に成れと」 「えぇ。ミーシャ様は社交界の女王として君臨するために、そして私は自由を手に入れるために」 「ふふふ、貴方も怖い男ね。良いわ、その計画乗ってあげる。ただし、契約の証としてキスをちょうだい」 「……キスですか。えぇ、良いですよ」  獲物を前に舌舐めずりをする女へと近づき顎を掴むと、真っ赤にひかれた唇に噛みつくようなキスを落とす。 「あぁぁ、良いわ。本当に手放すのが惜しい」 「契約成立ですね」  ひと言告げ、ウットリと此方を見つめる女の視線を無視し、扉へと向い廊下へ出ると、後ろ手に扉を閉める。  気持ち悪い。  あの女のブラックジャスミンの香りが身体に纏わりついて離れない。  あぁ、気持ち悪い。  あのヌルッとした唇の感触が気持ち悪くて仕方ない。  嘔吐しそうな程の吐き気を何とか抑え、真っ暗な廊下を歩き出す。  アリシアさえ、幸せになれば後はどうなろうと構わない。  王妃ティアナが死に、アリシアが王妃の座に就いた暁には、ミーシャを道連れに死ぬ覚悟は出来ている。  それが、私に出来る最期の罪滅ぼし……
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