満月の夜に咲く花

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満月の夜に咲く花

「ティナ、難しい顔をして黙り込んでどうした?」  積み上げた本を台座に頬杖をつく陛下が痺れを切らしたのか声をかけてくる。 「レオ様、邪魔をするなら出て行ってください。わたくしは、調べもので忙しいのです」 「それにしたって、毒薬辞典片手に、過去の殺人や病死事例なんて資料まで持ち出して難しい顔でもしていたら気にもなるだろう。誰か殺す気か?」 「大丈夫です。レオ様を殺したりしませんから」 「何!? 俺を殺す気だったのか!」 「だから違いますって!! うっ……」  陛下の言葉に思わず視線を上げ、固まった。優しく細められた目元と悪戯が成功した子供のようにニッと笑った口元に、心臓を掴まれる。 「やっと顔上げたな。ホラっ、隈が出来てる。しっかり寝られてないだろう?」 「えっ……」  ヌッと伸びて来た手に顎を掴まれ、肉厚な指先に目元をなぞられていた。 「じょ、冗談はやめてください!」  見る見る赤く染まっていく頬を誤魔化すため、伸ばされた手を振り払い俯く。 「わたくしは忙しいのです。早く解決しなければならない案件もありますし、皆さまお待ちですから」  ここ数日、オリビア様の死の真相を突き止めるため寝る間も惜しみ調べものをしているせいで、寝不足で酷い顔をしている事は自覚している。ただ、寝不足の原因を作っているのも、目の前に座り笑みを浮かべている男なのだ。その張本人が指摘などしないで欲しい。  文献の宝庫である機密文書保管庫への出入りは不可欠で、早々に陛下から入室許可をもぎ取った訳だが、当然という顔をして、毎日居座る彼に正直困っていた。  あの星祭りの夜から、急速に縮まる距離感。  気を許した友に向けるような笑みを浮かべ、見つめないで欲しい。  心がザワつき落ち着かない。  彼にとって侍女ティナは友人のような立ち位置なのかもしれない。少し特別な友人。ただ、心の片隅で涙を流す王妃ティアナの存在が、近過ぎる距離感に警鐘を鳴らす。  今の距離感を心地よいと感じれば感じるほど、怖くなる。侍女ティナの正体に、彼が気づいた時、今の距離感すら失う。  だって、王妃ティアナは、陛下に恨まれているのだから……  涙が滲む。  零れ落ちた涙の雫がパタパタと紙を濡らし、色を変えていく。 「……ご、ごめん…………」 「泣くほど辛いのか?」  いつの間にか隣に座った陛下にポンポンと頭をあやされ、余計に涙が止まらない。  自分が原因で泣いているだなんて思いもしないんだろうなぁ。  虚しい思いに駆られる一方で、少しくらい甘えてもいいじゃないかと開き直る気持ちもある。  ここに居るのは、陛下と王妃ではない。近衛騎士レオ様と見習い侍女ティナなのだから。  思いのままに身体を傾け、彼の胸へと頭を預ければ、優しく頭を撫でてくれる。そんな心地よい時間がずっと続けばいいのにと願いながら、声をあげて泣き続けた。 ♢ 「レオ様、お胸を借りてしまい申し訳ありませんでした」 「少し落ち着いたか?」  ひとしきり泣いたせいか、寝不足の頭は妙にスッキリしていた。心なしか胸のつかえも取れたような気がする。 「突然泣いてしまい申し訳ありませんでした。なかなか思うような進展がなく煮詰まっていたようです」 「まぁ、ティナへの依頼は多いのだろうが、一人でどうこう出来る範疇を超える依頼に関しては、途中で断った方がいいと思うぞ。今、頭を悩ませている依頼は、そんな物騒な資料を持ち出さなければならない程の案件なのだろう?」 「確かに、物騒な案件ではありますが。ただ、途中で投げ出したくは無いのです。わたくしも、踏み込んではいけない領域の線引きは心得ているつもりです。ただ、今回に関してだけは、絶対にひけないのです。わたくしの未来にも影響する案件ですから」 「そうは言ってもなぁ。ティナが調べているのはバレンシア公爵家の事だろう?あの家は、踏み込めば踏み込んだだけ、闇が深くなる。真相に近づくには、それ相応の覚悟が必要になるぞ」  確かに、バレンシア公爵家の闇は深い。調べれば調べるほど、疑問は増えていく。  オリビア様の死の真相も、アリシア様の出生の秘密も靄がかかり掴めない。この二つが分かれば、全ての謎が解ける気がするのだ。 「レオ様は、バレンシア公爵家の闇をご存知なのですか?」 「まぁ、色々と噂されてはいるな。ただ、どれも噂の域を脱しない。どれも真相は不明なのだよ」 「では、レオ様はオリビア様の死をどう思われますか?」 「オリビアというのは、バレンシア公爵の前妻か?」 「はい。アリシア様の本当のお母様ですね。わたくしは、オリビア様の死に疑問を持っております」 「それで、そんな物騒な資料を持ち出したのか。確か、前妻の死因は病死ではなかったか?」 「それが、そもそもおかしいのです。剣術や馬術を嗜むような活発な女性が、病死するなんて信じられますか?」 「まぁ、不慮の事故でない限り有り得んな。誰かに殺されたと考えている訳か」 「はい。それに、オリビア様が亡くなられて直ぐに、妹のミーシャ様を後妻として迎えたのも、解せません。しかも、当時を知る使用人は全て解雇するという徹底振りです。怪しいと思いませんか?」 「確かに、ティナの話を聞く限りでは怪しいなぁ」 「ですよね!」 「ただ、疑わしいというだけで殺されたという証拠はない。本当に病死だったのかもしれない。世の中には、突然死というモノがあるからな」 「だから、死因を調べているのです! 赤味を帯びた美しいお顔で死んでいたなんて、そんなの有り得ない」 「――――今、何て言った?」 「赤味を帯びた美しい顔で死んでいた。と」 「ブラックジャスミンだ」 「ジャスミンですか? あの良い香りを放つ真っ白な花の事ですよね?」 「いや、違う。ティナの言っているジャスミンとブラックジャスミンは全く違うものだ。別名、死を呼ぶ花とも呼ばれているな」 「死を呼ぶ花だなんて、何とも物騒な」 「まぁ、実際にブラックジャスミンの強過ぎる芳香で死んだ奴もいるからなぁ。ティナは、満月の夜に咲く世にも美しい花の話を聞いた事はないか?」 「夜に咲く花ですか? 聞いた事ないですね」 「まぁ、ある地域でのみ伝わる伝承のようなものだから知らなくて当然か。ある条件を満たした夜にだけ咲く花の伝説だ。『満月の夜にだけ咲く世にも美しい花、その名をブラックジャスミンという。芳しい香りに誘われ、近づけば深い眠りへと落とされる。決して満月の夜に出歩いてはならぬ。さもないと、ブラックジャスミンの香りを纏し死神に連れ去られる』と、そんな感じの伝承だった筈だ」 「なんとも物騒な伝承でございますね」 「まぁ、この話は迷信めいた伝承だが、ブラックジャスミンという花が存在するのも事実であるし、その花に毒性がある事も知られている。ただ、香りを吸っただけでは死なんがな」 「では、オリビア様の死の原因がブラックジャスミンとお考えなのですね?」 「断定は出来んがな。ただ、赤味を帯びた美しい顔で死んでいたなんて聞いたもんだから、思い出した。ブラックジャスミンから抽出される毒で死んだ者は皆、血色の良い美しい顔で眠るように死んでいる事が多い。死んでから半日程の現象のためか、毒物の痕跡も無く、昔は原因不明の病死として扱われた事例も多かったようだぞ」  原因不明の病死。  陛下の話が真実なら、オリビア様の死の真相はブラックジャスミンを使った毒殺の可能性が濃厚になる。  やはり、オリビア様は誰かに毒殺されたのだろうか? 「レオ様、ブラックジャスミンの毒は簡単に手に入れられる物なのですか?」 「いいや。ブラックジャスミンの毒を作るには、霧の立ち籠める満月の夜に咲く花の夜露を取り、それを精製しなければ作る事は出来ない。そんな条件が整う日など年に何日も無いだろうし、夜露の精製方法も危険を伴う。そのためか、毒殺にブラックジャスミンを使おうだなんて、酔狂な犯罪者も滅多にいない。今では、知る者もほぼいないだろうなぁ」  簡単には手に入らない毒物かぁ……  そんな面倒な物を使って毒殺を企てるより、もっと簡単な方法はいくらでもある。  やはり、オリビア様の死因は病死だったのだろうか。 「先程レオ様は、ある特定の地域のみに伝わる伝承と仰っておりましたが、ブラックジャスミンの生息地域も限られるのですか?」 「あぁ。確か、ノートン伯爵家が治める地域であったな。そうそう、この前行った星祭りをやっていた町の近くであった筈だ」 「ノートン伯爵家ですか……」  オリビア様の生家でもあり、ミーシャ様の生家でもあるノートン伯爵家の領地に咲くブラックジャスミン。  その花の毒性を知らない訳がないわね。  オリビア様の死にはミーシャ様が関わっているのかもしれない。そして、バレンシア公爵も何かを知っている。 「レオ様、わたくしブラックジャスミンを拝見しとうございます」 「はっ?? ティナ……それは、正気か?」 「えぇ」  
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