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——ぴちゃり、という音が響く。
舌をどう動かせばいいのかなんて知らない。
経験もないし、そういう動画を見たって口の中で何が起きているのかまでは分からなかった。
唯、自分が思うようにカイリの中を舐るだけ。
カイリの目を見て、カイリがどう感じているかを想像しながらミナトは舌を絡ませた。
そうして暫くカイリと粘膜の接触を交わした後、唇を離した。
「……キス、足りた?」
「……足りた……」
「次、何しようか」
「……ミナトが帰らなきゃいけない時間になるまで、抱き合っていたい。……良い?」
「んじゃベッドに行かない?座ったままずっとは体勢きついしさ」
「うん」
ミナトとカイリはシングルベッドに並んで入ると、身体を横たえ、再び抱き締め合った。
クーラーがかかっているとはいえ、真夏の室内で抱き合っていれば自然と汗ばんでいった。
「……俺、汗臭くないかな?」
思わず気になったミナトが言うと、カイリはくすりと微笑んだ。
「汗っていうか、制汗剤の匂いがする」
「ああ。今日、ずっと外で釣りしてたからさ……。
カイリに会う前に、ちょっと念入りにスプレーしたんだけど、やり過ぎたかも」
ミナトが苦笑いを浮かべると、カイリは
「良い匂いだよ」
と告げた。
「僕に会うために気を遣ってくれたんだ?」
「そりゃ多少は、ね」
「シトラスっぽい香りがする。島のドラッグストアで売ってるの、無香料とシャボンの香りだけじゃなかった?」
「……あー。母さんが通販で本土から化粧品とか買う時に、一緒に取り寄せてもらったんだよね」
前にナナミと近くで話した時、シトラス系の香水の匂いがしたから。
きっとこういう系統の香りが好きなんだろうなって思って、ナナミに気づいてもらえるかもなんて邪なことを考えたりして、母さんに買ってもらったやつ。
……なんて、前の俺だったら普通にカイリに話してたんだろうけど。
それを言うのはやめておこう。
なんとなく、カイリが悲しむんじゃないかって思ったから。
するとカイリは、ミナトの鎖骨の辺りに顔をうずめてきた。
カイリの柔らかい髪が首筋に当たり、くすぐったさに思わずぶるりと震えてしまう。
「……良い匂い。僕、この香り好きだな」
「ふ、ふうん?カイリってシトラス好きなんだ?」
「うん。好き……」
そう答えるカイリの髪からも、ふんわりと柑橘系のシャンプーの香りが漂っていた。
あ。お揃いの匂いだ——
——それから、二人は夕日が沈んでいくのをぼんやりと眺めた。
いつメンといる時には、気の利いたことを言わなければ、面白い話題を振らなきゃ、楽しんでるリアクションをしてみせなきゃとあれこれ頭を回転させているが、
今は言葉を交わさなくても、沈黙が気まずいなどと思うことはなかった。
むしろ、カイリと裸同士で布団に入っている、この非現実的なひと時が
日の沈み切った頃には終わってしまうのだと——
そう思うと、なんだか寂しいような気さえした。
「……なあ、カイリ……」
すっかり日が沈み、「そろそろ帰ってきなさい」という母親からのメッセージが届くと、ミナトは惜しみながらも服を身につけていった。
「こんなんで俺、カイリの思い出になれたかな」
「……なったよ」
「——っていうか!やっぱ思い出になるのは嫌だわ」
ミナトは、シャツに袖を通して行くカイリを止めて言った。
「思い出、だなんて過去形になるのは嫌だ。
卒業しても、定期的に連絡取り合おう?
で、たまにでいいから遊んだりもしようよ」
ミナトが言うと、カイリは嬉しそうに唇の端を上げた。
「——ミナト。もう気付いてると思うけど、僕……ミナトが好きだ」
カイリは真っ直ぐとミナトを見つめ、ミナトもその視線を正面から受け止めた。
「ミナトが片思いしてる相手がいることは知ってるし、そもそも男同士だし……
ミナトにその気がないのは分かってる。
——それでも、ミナトが僕のことを受け入れてくれたの、嬉しかったよ」
カイリはそう言って立ち上がると、部屋の棚から一枚の絵を抜き取り、ミナトの前に差し出した。
そこには、裸の姿で描かれたミナトが居た。
「……裸も芸術だ、なんて大層なことを言ってのけたけど……
本当はミナトの裸が見たかっただけだった」
「……そうなの?」
「なんてことない世間話をしながら、僕はずっと自分の欲求を垂れ流しにしてミナトを描いていた。
気持ち悪いでしょ?」
カイリがそう言うと、ミナトは絵の中の自分をじっと見つめた後、カイリと視線を合わせた。
「カイリが欲求垂れ流しで描いた絵であっても、俺、やっぱりカイリの描く絵って好きだな。
——なあ、この絵、もらってもいい?」
「……飾る場所に困ると思うけど」
「はは、さすがに自分の裸の絵を家の中で飾るなんてことはしないけど、
カイリが俺を描いてくれた絵だから一生大事にするよ」
「……そっか。じゃあ、ミナトにあげるよ、その絵」
——カイリが玄関までミナトを見送りに出ると、ミナトは「あ」と思い出したように言った。
「明日、『凪の森』に行く日なんだけどさ」
「ああ」
「やっぱ、カイリは行かない……よな?」
「行かないよ」
「そっか。じゃあ……明後日、また会おう」
「!」
カイリが目を見開くと、ミナトは照れくさそうに頭を掻いた。
「あの、ほら俺も夏休みの課題やんないとだから。
一緒に勉強しようよ、カイリんちで。
それから——さっきカイリが言ってくれたこと……
俺の中でもっと咀嚼して、よく考えたいなと思ってる」
「……分かった」
「じゃあ——また明後日な」
「うん。またね、ミナト」
ミナトはカイリに軽く手を振ると、家路に向かって走った。
途中、一度だけ後ろを振り返ると、家の前でまだカイリがこちらを見送っているのが見えた。
また明後日、カイリと会う——
その約束を取り付けたミナトは、そこでまた手を振り返すようなことはしなかった。
その約束が果たされることはないと分かっていたなら、
夕飯の時間に遅れて親に怒られることなんて気にしたりせず、
何時間かかってでもその場で考えて、カイリに自分はこれからカイリとどうしていきたいかを伝えていたことだろう。
後にミナトはそう悔いることとなる。
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