25歳

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猫……? カイリは不思議に思いながらも、言われた通り南の方に少し歩いていくと、ナギの言った通り一匹の猫が身体を丸めて眠っていた。 暗闇の中ではあったが、月明かりで僅かに見える体毛や顔立ちを見て、カイリは気がついた。 ——この猫、校舎の敷地にもよく出入りしている子だ。 野良だけれど愛嬌があって、クラスのみんなが撫でてあげたり、ミルクや魚缶をあげたり可愛がっていた。 ……ミナトもこの猫を気に入っていたみたいで、一度「次はこの子をモデルにして描いたら?」とも提案してきた。 僕は「動く生き物はモデルに適さないから」と言って断ったけれど…… そんなことを思い出しながら、眠る猫を抱き上げたカイリ。 触っても猫は目覚めず、野良でここまで警戒心がないのは珍しいと不思議に思いながらもカイリは猫を連れて祭壇まで戻ってきた。 「……連れて来ました」 ナギに、腕の中で眠る猫を見せると、ナギはこう告げた。 『お前の手で、その猫を殺せ』 「……っ!?」 カイリが息を呑むと、ナギはこう続けた。 『その猫のはらわたを引き摺り出し、祭壇に撒け』 「ど、どうしてそんなことをしなければ——」 『お前が死んだように見せるためだ』 「!!」 僕が死んだように見せるため……? 『この島で人間の臓物を見慣れている者など医者ぐらいのものだ。 明日の朝、この祭壇に散らばっている血やはらわたを見ても、それを人間のものではないと疑う者はいないだろう』 ……この猫を殺して、その臓物を使って、僕がナギに取り殺されたように見せかけろ、ということか…… カイリは、自分の腕の中で眠る猫に目線を落とした。 元々動物はあまり得意じゃなかったけれど、ミナトが「可愛いだろ?」「カイリも撫でてみなよ」って言うから、この子にも何度か触ったことがあった。 僕が触ると喉をゴロゴロ鳴らして、餌を催促する仕草をしてみせたり、可愛いな……と思った記憶がある。 この猫を、僕の手で殺す——? 『猫の血肉を、お前のものだと皆が思えば、お前はもうこの世から抹消された存在となる。 そしてお前が島を出れば、誰もお前を捕まえになど来ないだろう』 「……だけど……そのために罪のない生き物を殺すというのは……」 『お前が凄惨な死を遂げたと思い込んだ坂井湊は、お前のことを一生忘れられなくなるだろうな』 「!……」 ミナトが、一生僕のことを忘れない……? カイリはごくりと生唾を飲んだ。 ——僕には選択肢がない。 僕が生きていると島の人達が知る限り、僕は生かしておいてはもらえないだろう。 ミナトの近くで、これからも同じように暮らしていくことはどのみち出来ないんだ。 ならば僕が消えたあとも、ミナトに僕のことをずっと覚えていてほしい。 僕のことを、忘れないでほしい—— そのためならば、僕は他者の命——なんの罪もない命を犠牲にしても厭わない。 僕は善人なんかじゃないから。 カイリは覚悟を決めると、猫の首に手を掛けた。 ギャアアア、と激しい鳴き声が森に響き渡る。 カイリはなるべく苦しめないよう、ひと息に首を絞めようとしたが、猫は必死で抵抗し、カイリの手に噛みついたり腕を爪で引っ掻いたりを繰り返した。 それでも、ここで怯んでしまうわけにはいかない——とカイリは精一杯の力を込め、猫はだんだんと弱っていった。 やがて完全に動かなくなったのを確認すると、カイリはぜいぜいと息を吐き出した。 ……まだだ。 まだ終わってない…… カイリは、額にかいた大量の汗を拭うと、今度は近くに落ちていた鋭利に削れた石を拾い上げ、猫の腹を引き裂いていった。 むわっとした血の匂いが充満する。 石畳に血が広がっていく様が月明かりによって照らし出され、カイリは思わず目を背けたくなった。 ——ダメだ。目を背けるな。 この子は僕が殺したんだ。 僕が死んだように見せるために。 僕のエゴで殺したんだ。 腹の中に手を突っ込み、内臓を引き摺り出すと、どろりとした感触が手にまとわり付いた。 カイリはその気持ち悪さに耐えながら、丁寧にはらわたを全てかき出すと、 祭壇にそれを撒き散らし、猟奇的に見えるよう細工をした。 「はぁ……っ、はぁ……」 経験したことのないような疲労と不快さに、流れる汗が止まらない。 バクバクと鳴り止まない心臓を抑えながら、目の前に出来た血溜まりと臓物の山を見下ろしていると、やがて背後からナギの声が聞こえて来た。 『良かったな。これでお前という存在は、この島から消失したこととなる』 「……まだ、終わりじゃない……。 僕が殺した猫の頭や皮を隠して、最後に僕自身がこの島を出るまでは、僕が消失したことにならない……」 カイリが言うと、ナギは頷いた。 『お前は島民に見つからぬよう海に向かい、夜が明ける前に本土まで泳ぎ切らなければならない。 私はお前に道を示しはしたが、手助けすることはしない』 「……分かっています……」 そうだ。 僕はもう、取り返しのつかないことをしてしまった。 後は一か八かで逃げ切るだけ—— 「——もうこの島には戻って来ることはないだろうから、最後に言わせてください」 カイリは、猫の首と皮を持って立ち上がると、ナギに向き直った。 「あなたは、あなたと同じ目に遭わされた僕のことを生かしてくれた。 あなたと同じ境遇の人間を作って仲間にしても良かったのに、それをしなかった。 ナギ、あなたは僕の命の恩人です」 『勘違いをしているな。 私はお前を殺しはしないが、助けたつもりはない』 「でも僕の拘束を解いて、僕が生き延びるための道を示してくれたではありませんか」 『——ただの気まぐれだ。 私と同じく生贄にされた者に、少し手を貸してやりたくなっただけだ』 「やっぱり……。あなたが優しい巫女であることを、僕は島を出た後も忘れません」 『好きにすればいい』 「……それから、僕が島を出たら、ミナトを必ず目覚めさせてください。 ミナトには生きて、そして僕のことをずっと覚えていてほしい。 それが僕にとって一番の願いです」 『約束しよう』 ナギが答えると、カイリはほっとしたように安堵の表情を見せた。 そしてナギに向かって深々と頭を下げると、森の外へと歩いて行った。
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