第二章

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 ※ ※ ※  秋空。  秋の高く澄みわたった空の下を歩く。  米屋の石、八百屋の八重、魚屋の仁、豆腐屋の蔵が開店の準備を慌ただしく始めたところだった。 「おはよう、ゆきくん! 朝早くからどこへ行くんだい?」  雪に気付いた八重が話しかけると、石、仁、蔵が次々と挨拶をしてくる。雪はそれを笑顔で丁寧に返した。 「お友達に会いに行ってきます」  頬を染めて照れた雪を見て八重は思わず破顔した。大の大人の久賀の世話ばかりして、同年代と絡んでいない雪を見て全く遊ばない子供の事を人知れず心配していたのである。 「そうかい……! うちに今度連れてきなよ」 「……はい!」 「友達ができたってさ」と八重は石と仁、蔵に教えると全員自分の事のように喜んだ。 「いい魚が入ったから、あとで来てよ! そん時に友達のこと教えてくれな」 「はい!」  雪は四人に笑顔で手を振ると、その場を後にした。  歩き出したものの、雪はぴたりと足を止め振り返った。その表情は先程と打って変わって、困ったように目尻が下がっている。  その視線の先は、米屋の前に米俵が高く積まれている場所だった。特に変哲もない売り物である米俵があるだけだった。  雪はというとその物陰をじっと見据えた。 「――久賀様」  雪は眉間の皺を深くして困惑の表情を浮かべ、名を呼んだ。  暫くすると、観念したのか久賀が米俵の後ろから姿を現したのだった。  隠れるのも、気配を消すのも得意の久賀にとって、すぐに見つかるとは思ってもおらず、雪に見つかりばつが悪そうに頭を掻いた。 「右耳の聞こえが悪い分、気配を感じるのは得意なんです」 「そう」  そんな得意技があったなんて知らなかったと心中で舌打ちすると、久賀は雪の元まで足を運んだ。 「後をついこられたら困ります……」 「心配だから」  本当の事である。  久賀がしれっと答えると雪は益々困った顔をした。  この男、雪が薫と会う事を今朝許可を出したばかりである。  というのも、起きてすぐに久賀のお願い事を途中で寝てしまい、中断してしまった事を雪が涙を浮かべながら詫びたのだった。最後まで出来ず約束を守れなかったと落ち込む雪を見て、罪悪感が芽生えたのである。眠っている雪の目前で自慰をした事実がそうさせた。 「毎日頑張っているから」という理由を付けて許可を出した。その時の、雪の瞳が見る見る大きくなって、輝きが増した。あまりに嬉しかったのだろう、雪は思わず久賀に抱き着いてきたのである。 (許可は出したものの、だ)  言ってすぐに後悔した。  恐らく、これはごねたら雪は薫との約束を破り、会いに行かなかった案件である。  全く持って昨夜の出来事を雪が申し訳ないと思う必要はないのだが、途中で寝てしまった事実を突けば素直に従った、と後悔した。  手紙でしか知らない相手が本当に女とは分からない。性別を偽っている可能性が高いし、もしや雪を知っていて複数人で現れるかもしれない。  何で許可を出したんだと後悔していると、雪がはしゃぐように抱き着いてきた所で久賀の思考は止まったのだった。  抱き着いた雪の頭を撫でながら、「距離を保ちつつ、こっそり後をついて行けばいいか」と結論を出した。 「お昼までには帰ります」 「知らない男についていきそうで怖い」 「ついて行きません!」  もうっと、雪は頬を膨らませ、久賀を見上げた。  まして、その姿は怒っているという意思表示なのだろうが久賀にとって可愛くて仕方ないので効果はない。 「僕一人で行かせてくれる約束でしょう……」 「雪だって昨晩俺との約束の途中で眠ってしまっただろ」 「そ、それは」  雪はしどろもどろになった。  負けそうになるが、久賀は今朝許可を出したのである。それを反故する方がいくら久賀様だって悪ではなかろうか。  それに、雪は薫と会ったら当初の目的である質問を訊ねようと思っているのである。久賀が居ては、訊く事も出来ない。 「く、久賀様は気にするなって言いましたっ。約束を破るんだったら、ぼ、僕だって考えがあります!」 「え? 何それ?」 (他の男と乳繰り合うって事?????) 「――今夜の夕餉はないですから!!」 「……夕餉」 「夕餉です」  真顔でそう宣言した雪を見て、久賀は思わず両手で自分の口を塞いだ。 (かっ……わいーーーーー! 約束を破ったら、ご飯抜きだって!)  あまりにも可愛過ぎたのである。 (そんな事を至って真剣に言っちゃう雪って本当に最高に可愛い)  こんなに可愛い子が歩いていたら、誘拐されてしまうのではないかと病的なまでに心配した。  誘拐ではないが似たような事をした男がここに居るが、誘拐ではなく、保護をしたと言ってもらいたい。 「……夕餉を作ってもらえないのは、残念に思うけど……でも心配だ」  久賀は雪が誘拐されてしまう事を想像してしまう。誘拐されてしまえば、二度と雪が作った食事を口にする事が叶わなくなるのだ。一日食べられないだけなら、こっちの方がましである。  往生際の悪い久賀に雪は一歩近付いて、上目遣いで男を見上げた。そして、雪は背伸びをして、 「久賀様は、心配性ですね」  と、久賀の鼻先を人差し指でチョンと軽く押し。  久賀は、その押された鼻先に触れて、背伸びをして見上げてくる雪を何事かと見下ろした。フフッと笑う雪の表情は、何故だか年下にも関わらず、大人びたように見える。 「桜も僕が心配で僕の後ろを良くついて回っていたんです」 (妹を思い出したから、この表情か……) 「今の久賀様は、桜みたいです」 (妹と同等な扱い……)  男として見られたいのに、妹と同じ扱いをされて面白い筈がない。  久賀は大人げなくムスッと口をへの字に曲げたのだが、再度鼻先をチョンと押されて、クスクス笑う雪の姿を見て、毒気が抜けていく。口をへの字から一文字へ戻して、肩をガックリと落とした。 「心配しないで下さい、久賀様。決して知らない人について行きませんし、お菓子をあげるって言われても断ります。それに、道を訊ねられても、知らないって突っ撥ねますから」  雪から腕を慰めるように、優しく撫でられる。 「……それに久賀様は今日は、お兄さんの道場の日でしょう?」  そんな事を雪に言われて、直前まで兄貴の事を忘れていた。そういえば今日は兄貴の道場を手伝う日だった。俺が顔を出さなければ、あの兄貴が必ず自宅まで押し掛けるだろう。そうなれば雪と会う事になってしまう。  それに、隼馬は由希との関係を誤解したままである。  久賀を見上げ、雪は再度「お昼までには帰ります」と久賀を安心させるように笑って見せた。
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