第三章

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※ ※ ※    久賀と由希と恵之助と寒い日に井戸端会議をしたせいで身体が冷えた雪は、案の定その日の夜に熱を出して寝込んだ。二日三日で下がるものではなく、十日経ってやっと熱が下がり、その後は咳が治まらずに床に臥せっていたのだった。それを甲斐甲斐しく看病したのは勿論久賀である。寒さで体調を崩した子がこの調子で働きに出れるのか……不安のまま如月(きさらぎ)に入った。その頃に、咳は止まり体調が回復してやっと念願の働きに出ることができた。  太助の仕込みを手伝ってから十日が経つが、久賀に食事を作るのとは違った楽しさがあった。ゆき君が作った酢の物を美味しいとお客様が言っていた、なんて由希から聞いた日は、その日はずっと有頂天だった。自分が作った物を他人から美味しい、って言ってもらえる事がこんなに嬉しいなんて知らなかった。  そして、自分が知らない煮込み料理を由希は教えてくれる。雪の作れる料理の種類が増えていって、これを久賀に披露するといつものように彼は「美味い」と褒めちぎってくれる。  雪は太助で仕込みの手伝いをしているだけなのだが、働く事がこんなに楽しいなんて知らなかった。週に二、三日しか許されていないがいつかもう少し日数を増やしてもらおう、と雪は考えている。  楽しそうに出掛けて、楽しそうに久賀に話をするのだが久賀と言う男は表面上はにこやかに聞いていても内心は面白くもなんともなかった。雪は俺だけのものだと思っている男が、自分以外と楽しのそうにしているのを見て嬉しがるはずがないのだ。  だから久賀は雪が出掛ける際に玄関で「本当に行くのか」と呼び止める。 「本当に大丈夫か」 「慣れない事をして熱を出すんじゃないのか」  雪はただ久賀の極度の心配性から来るものだとしか思っていないのだが、本音は「俺以外の人間と喋ってほしくない」という嫉妬心だけで動いているのである。雪本人だけが知らないだけ。  今日も玄関先で何度も「本当に行くのか」と呼び止められたが「心配性ですね」と久賀の鼻をツンと押して、男の言動を止めた。物凄く腑に落ちない表情を浮かべられたものの、「もう風邪はひきません」と自信満々に答えたのだった。  久賀の不安そうな目に背を向けて、雪は家を後にした。  雪にはやり遂げなければならない事がある。  まず一つ目。  いつもお世話になっている久賀様に贈り物を贈りたい。  そして二つ目。  働いて、身体を少しずつ動かすようになって、ご飯をもりもり食べれるようになって、丈夫で健康な身体になって、お金を貯めて……久賀様の元を離れる。 (これが僕の一番の目標で、一番難しいんだ……)
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