第三章

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 雪が寝込む前に近くで見た久賀と由希の姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。並んで会話をする二人なのだが……由希と話す久賀は雪の目には生き生きしているように見えた。自分と一緒に居る時よりも、自然体だったのだ。声を荒げたり、不機嫌そうにしたり。人間らしい。  雪の前ではしない態度を幼馴染の前ではしていた。きっと気心知れている女性の前だから気が緩んでしまっていたんだ、と雪は思った。 (僕が子供だから、久賀様は大夫無理をされてるんじゃないかな……)  きっと……あれが久賀様の本来のお姿なんだ。 (僕は苦手だけど……)  久賀があの日見せた、本来の姿の片鱗が雪は苦手だ。  久賀様はお優しい、って分かっているけど。  僕を殴らないって分かっているけど。  怒を纏った時のフトした空気が似ているのだ──に。それが、凄く僕は怖い──……。 (久賀様は、と違うのに)  雪は頭の中から、を追い出そうと頭を振った。   (兎に角、僕は久賀様に無理をさせているのは確かだ。僕が居るから由希さんと二人きりで会えなくて夜中にこっそり会いに行ってるんだから)  雪の体調が戻った頃に、彼女が寝静まったのを確認してから久賀は夜中にこっそり抜け出している。雪は寝たふりをしているから、家から出て行くのを知っていた。  久賀と由希の躰だけの関係が終わった事を知らない雪──躰だけの関係だった事も知らない雪は、久賀がこっそり夜中に抜け出して由希へ会いに行っているのだと思っている。実際は新たな女──雪の身代わりの女を見繕って、女を抱いているのだが、それを知らない少女は、日中僕が居るから、僕に気を使っている。と信じ切っている。  その逢瀬を堂々と出来ないのは、僕が居るからだ。風邪ばかりひいて、心配させてばかりだから久賀様の心が休まらない。  休まる為には。  久賀様と由希さんが幸せになる為には。 (僕が久賀様の元を離れる事が一番だ)  それも、円満に。  今の身体の弱さでは、心配のあまり反対されるだろうから丈夫で健康な状態で出て行くのが一番良い。  そして三つ目。  久賀様の元を離れた後の事だ。  きっと寂しがっているだろう桜を探したい。桜を見つけたら、妹と一緒に住むのだ。 『大きなお屋敷で、桜の木沢山生えてあって、そこには大きな池があって、鯉が沢山泳いでいる、そんな所で(ねえ)様と一緒に住みたいです』  そう言っていたから、そういうお屋敷を探して桜と暮らす。  そんな大きな屋敷に住むのだから、お金を沢山稼がなきゃ。  三つの目的を果たす為に、まずは無理をしない程度にお金を貯めよう。     「ゆき君。今日のお駄賃ね」  由希が少女の小さな手に五十文(一文32.5円)を置く。それを巾着袋にしまって大事そうに懐に入れた雪が、思い切り頭を下げた。 「ありがとうございます!」 「こちらこそありがとう。ゆき君、要領が良いからいつもより多目に仕込めて、助かってるわ」  よしよし、と下げたままの雪の頭を撫でてあげると髪を手櫛で梳きながら、雪は照れて頭を上げた。由希に褒められて、頬が赤く染まっている。それを見た由希が、また熱が出てしまったのかと思わず心配したのだが、「て、照れているだけです」と呟いて、雪は頬を両手で挟んだ。久賀から褒められてばかりいるが、男からの誉め言葉はお世辞としか捉えていないので、言われてもへっちゃらなのだが……男以外からの誉め言葉には免疫がないので、擽ったいような気持ちになってしまうのだ。        
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